自由学校 [VHS]

「自由学校」は、中年にさしかかった夫婦が大喧嘩をして、別居するあいだにお互い自由を求めてさまよう物語です。

笑いのセンスがちょっとシュールで、ストーリー展開もかなりユニークなので、今見ても新鮮です。
それぞれ世代の違う男女の、幸福に対する価値観の違いが描かれていて面白かったです。

それぞれ親子程は違わないと思うので、年の差は10年くらいでしょうか?
でもその10年の差が、だいぶ大きいように感じます。
それほど変化の大きい激動の時代だったという事かもしれません。

老年の夫婦は何やら達観していて、相手のありのままを受け入れて幸せに暮らしているし、若いカップルは無邪気な遊び友だちといった感じです。

一番ジタバタしているのが働き盛りの大人組で、男も女もありもしない理想を追い求めるという、ある意味「諦めの悪い」世代のようです。

とにかくリードしてもらいたい男、隆文(佐田啓二)

世代の違う男女の中で、一番インパクトがあったのは若年カップルでした。
今から見ても「宇宙人」的で、日本語が乱れているとかいうレベルではありません。

老夫婦・藤村の家に出入りしている隆文(たかふみ)は、いちおう大学生なのですが知性的には未熟で、まるで自我というものがありません。

包装ばかり凝っていて甘いという意味で「キャンディボーイ」とか言われてしまいます。

全身が脱力したような動きをするし、表情も平坦でマネキンのようだし、なぜかオネエ言葉を喋りますww
独裁的な母親の言いなりになって育ったらしく、今では親が決めた許嫁の操り人形のように行動しています。

そんな隆文は、別居中の駒子(高峰三枝子)と叔父の家で久しぶりに会い、彼女に興味を持ち始めます。
そして働き盛りの駒子の実力や成熟度に憧れを抱き、別居中である事を幸いと、彼女を追い回し始めるのでした。
彼はどうやら同年代の許嫁では頼りなく、自分をリードしてくれる存在を求めていたようです。

お小遣いが無くなると絶望的な気分になる娘、ユリ(淡島千景)


隆文の婚約者ユリは、大人から「戦後派」と呼ばれるニュータイプの娘です。

思いのままに振る舞い、隆文を子分のように従えている姿は、まるで小学生のように無邪気です。
しぐさは小動物みたいだし、ユリも隆文のように感情が「読めない」感じです。

ところが結構 打算的なところがあって、別居中の駒子の夫が実力者だとわかると、いきなりシナシナと言い寄り「叔母様は叔母様として、別に私と世帯を持ちましょうよ」などと誘いをかけたりします。

自由を求める情熱家のような面もあるのに、一方でとても功利的です。
自由もお金次第という事なのかもしれませんが・・・。

お似合いの二人

二人の年上への接近は、どうやら一時的な打算による産物だったようで、二人とも早々と「追っかけ」に飽きてしまいました。

隆文のしつこい駒子へのアプローチは「しょうもない理由」で終了し、ユリの方は叔父が無一文だという事が分かると、たちまち興味を失うのでした。

大人たちが思いのほか頼りにならなかったせいか、あっさりと親の決めた結婚をする事に決めてしまいます。

宇宙人のように不可解に描かれている「戦後派」の若者たちも、破天荒なように見えて、結局は最も無難な選択肢を選ぶのでした。

1951年公開

この頃は、戦前の価値観が崩れてアメリカの文化がどっと流入した時代だったと思います。

ただ急にアメリカ文化が押し寄せたから、日本文化が崩壊したという単純な理由ではない気がします。
彼らがおかしく見えるのは、やたらと横文字を使いたがったり、価値観が薄っぺらな感じがするという所だと思いました。

元々「軸」のない所へ、新しい情報だけが詰め込まれた感じです。
若者がこんな風になってしまった様子からは、日本人が長い間積み上げてきたものが、いったん断絶してしまったように見えます。

年代的に考えると、1951年の時点で若者がこんな風だとすれば、戦時中の教育や、その後の社会の急激な転換に問題があったという事なのかもしれません。

若い二人の結婚観は「面倒くさくなった」という理由で結論を下すという、相当に投げやりな態度です。

明るく奔放に振る舞っているようで、じつは「人生に何にも期待しない」というような消極的なものを感じました。

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。