日本の熱い日々 謀殺・下山事件 [DVD]

「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」は、戦後最大のミステリーといわれる”下山事件”の謎を長年追い続けた朝日新聞記者・矢田喜美雄の著作を元に作られたドキュメンタリー映画です。

1949年‎に起こった事件が、1981年にやっと映画化されるという30年ものタイムラグが、疑惑の闇の深さを物語っているようでした。
当時の雰囲気を再現する為か わざと白黒の画像にしていますが、このタイミングの公開で一体どれだけの人が興味を持って観たかと思うと、ちょっと疑問です。

この事件に関しては、以前に松本清張の「日本の黒い霧」を読んだ事があったのですが、難しくて挫折してしまいました・・・。
この映画は分かりやすいので、事件に興味がある人にとっては入門的な存在になると思います。

この事件が戦後最大のミステリーとされているのは、その社会的な背景に関係がありそうですが、疑惑の種は主に3つあります。

① 事件の捜査が途中で打ち切られてしまい、そのまま時効を迎えてしまったという事
② 死亡した人物が、大量解雇の先鋒として槍玉に挙げられていた国鉄総裁だったという事
③ 同時期に「三鷹事件」「松川事件」と、2件の原因不明の脱線事故が起こった

事件と心中する覚悟を決めた記者、矢代(仲代達矢)

仲代達矢が語る日本映画黄金時代 完全版 (文春文庫)

昭和24年(1949年)占領下の日本では、GHQと政府主導による「ドッジ・ライン」という、日本の資本主義を強化する政策が進行中でした。

一方で労働組合は この頃相当な勢いがあり、大企業の大量首切りに対して激しい反対闘争を繰り広げていました。
当時、労働組合の最大勢力は「国鉄労働組合(国労)」でした。
そして国労が共産党と組んで、大規模なストに入ろうとしていた矢先に起こったのが、国鉄総裁・下山氏の不審死です。

下山総裁は列車に轢かれて亡くなっていたのですが、この事件の捜査は自殺説と他殺説の二手に分かれます。
遺体の解剖の結果、東大組と慶應大組とで見解が違ってしまったからです。

昭和日報の社会部記者・矢代は、取材を重ねるうちに他殺説が正しいと直感し、この事件に深く関与して行きます。
そして自ら証拠になりそうな手がかりを掴んだ事で、検事から正式に捜査に加わってほしいと依頼されるのでした。

アメリカが関与?

ところが下山事件が発生した直後に、無人の列車が暴走するという「三鷹事件」や、列車が転覆した「松川事件」が続発します。

これらの列車事件では、共産党員が次々と逮捕されて行きます。
そして政府が、下山事件を含めた一連の事件に共産党の関与を匂わせた事から、世論が動いて「国労・左派の犯行だ」という噂が流れていきます。

その影響で国労は右と左に分裂し、ストは失敗に終わりました。
逆に言うと国鉄は職員9万5000人を整理解雇させることに成功し、これを契機に大量解雇が相次ぎます。

そして、事件の翌年である昭和25年(1950年)に、朝鮮戦争が勃発するのです。

映画では、連合国が対日政策を「民主化」から「反共の砦」に転換する為に、ハイパーインフレに悩む日本の経済の立て直しを急ぐ必要があったのではないか?と推測しています。

この戦争は昭和28年(1953年)まで続き、日本は米軍の兵器廠となって特需景気に沸き、戦後復興が進むのでした。

闇の支配者!?

矢代が下山事件の捜査に加わり、かなり核心をついたような発見をすると、必ずと言っていい程「暗殺の影」がつきまとっていました。

まずは矢代が、血痕を可視化する液体を使い、死体の発見現場で血痕を見つけ、それを記事にした時は、矢代自身が線路に突き落とされて殺されそうになります。

そして後に、大韓民国代表部に現れた李中漢というタレコミ屋が、矢代に下山総裁が殺害された方法などの情報を提供してくれます。
ところがその男は、米軍のヘリコプターで本国に送還された際に、どうやら殺害されてしまったようです。

おまけに事件と心中する覚悟を決めた矢代の決意とは裏腹に、下山事件は正当な理由もなく、突如として捜査が打ち切られる事になってしまいます。

それでも矢代は、その後も事件の究明を諦める事ができませんでした。

事件の発生からほぼ10年以上もの歳月が流れた時に、彼はかつて事件後に窃盗で拘置され、寝言で「下山総裁なんてそんな偉い人を殺してない」と口走った、という男の行方を掴みます。

男は容易に口を割ろうとはしませんでしたが、矢代の執念に負けて「そうとは知らずに、死体(或いは意識不明の人)を線路上に運ぶ仕事をさせられた」と話します。

そしてその後、この男は電車の線路に落ち、謎の死を遂げます。

「松川事件」裁判の最高裁判決は全員逆転無罪となり、下山事件は未解決のまま時効に終わったのでした。

1981年公開

この映画は、事件の約30年後に公開されたものです。

実在する矢田喜美雄記者の著書「謀殺・下山事件」は1973年の出版ですが、もうそろそろ映画にしても良いだろうという時期だったのかもしれません。

この戦後最大のミステリーに限らず、日本の現代史はいまだ謎に包まれている事が多すぎると思います。
学校の歴史の授業で「現代史」が疎かになっている事自体、不思議でなりません。
(どうせ嘘だらけなので、教わっても害になるだけかもしれませんが)

日本の未解決の問題はこの事件に限らず、未だに目隠しをされ続けている事を改めて実感するような作品でした。

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