「虞美人草」は、物欲や虚栄心にかられて、不幸に陥っていく母娘を描いた物語です。

文学調で堅苦しいセリフながら、何か響くものがあるような、明治期の価値観を今に伝えてくれる作品でした。
今となっては時代錯誤な所も多いのですが、なぜか嫌な感じはしません。
登場人物が見せる、大切な局面での真摯な態度や、シンプルなのに温かみのある言葉には、当時の人の含蓄や愛情を感じました。

秀才で気が弱い養子の青年、小野(北沢彪)


小野は天涯孤独の身の上ですが、子供の頃に井上という人物に拾われて養子となりました。
彼は秀才で、東京帝国大学を出て研究所に通いながら、博士論文に取り組んでいます。

小野は今は単身で東京に暮らしていますが、将来は井上の娘と結婚する約束です。
そしてこの度、井上が京都から娘を連れて上京してくる事になりました。
二人の結婚を進めるためです。

ところが小野は、東京の生活ですっかり都会的な価値観に染まり、京都にいた頃の謙虚さは失われています。
久しぶりに会った娘に対して
「あなたは変わりませんね。私はだいぶ変わったでしょう?」
と、もう昔の立場とは違うんですよ、とでも言いたいかのような突き放しぶりです。

じつは小野が娘に冷たいのには、理由がありました。
家庭教師に出ている金持ちの娘・藤尾(霧立のぼる)に気に入られており、その家へ婿に入れそうだという目論見が、彼にはあるのでした。
藤尾は美貌の持ち主で都会的な洗練もあり、小野の野望や虚栄心を満たしてくれる格好の存在です。

ただ恩人の井上が、娘との結婚を押し付けてくる事だけが、小野には気がかりなのです。

明朗快活な落第男、宗近(江川宇礼雄)

宗近は外交官志望で、試験を受けては落第している男です。
ざっくばらんで朗らかな性格で、何度 落第しても「何とかなるさ」という感じです。

宗近は小野と友達で、藤尾とは父親同士が親友という間柄です。
宗近は外交官になったら、藤尾と結婚したいと思っています。
外交官夫人に適しているとか、子供の頃に父親同士が約束をしたとか言っていますが、普通に彼女が気に入っているのでしょう。

ところが藤尾の方では、宗近との結婚など考えてはいませんでした。
藤尾は虚栄心が強く、外交官試験を落第してダラダラ過ごしている宗近よりも、優秀で将来有望な小野を夫にしたいと思っているのです。

宗近の小野に寄せる友情

小野は、井上に面と向かって断るのが怖くて、彼の娘との結婚話から逃げていました。
ところが藤尾との話が進展してきたため、いよいよ断る意思を示さなければならない状況になってきます。

ただ断り方が男らしくなく、井上を知る友人を代理に立て、償いは金銭的に持つからと告げてもらう手段に出ます。
そして案の定、井上はこんな風に断りを入れてきた小野に対して激怒します。

そしてこの友人は小野と宗近の共通の友人だったので、宗近の耳にもこの話が入ってきました。
宗近は小野に直談判しに行きます。
宗近の事だから、藤尾との話を諦めさせようとかいう目的ではありません。
「小野の窮地」を救いに行ったのです。

その説得の仕方が面白くて、どこか心に響くものがあります。
「人間、時には真面目にならなきゃいけない時がある。
真剣勝負をする事ほど、自信力の生まれるものはないよ。
こういう危ない時に生まれつきを叩き直さなければ、一生を棒に振ってしまうよ。」
という これらのセリフからは、何か人生哲学のようなものを感じます。

そして小野は
「君は始終、不安な様子だね」
と図星を突かれただけでなく、宗近が真剣に心配して駆けつけてくれた事を、嬉しく思ってすらいる様子です。
彼は宗近からの嘘偽りない直球な忠告を受け止め、すんでの所で救われたようです。

1941年公開

この作品は、日米開戦直線という局面に描かれた「明治観」という意味で、興味深いものがありました。

どちらかと言えば「文明開化」のマイナス面がクローズアップされていて、日本の文化や価値観までが「欧米寄り」になってきた事への危惧を感じました。
小野や藤尾に代表された当時の「進歩派」が、頭でっかちになり、虚栄心や物質的な豊かさを追求するあまり道を踏み外していくという「警告」が描かれています。

明治期に目指していた「近代化」とは、あくまでも西洋の進んだ技術やノウハウ「だけ」を取り入れる方針だったようです。
価値観や社会構造は日本の方が優れていて、むしろ西洋に染まる事には警戒をしていたというのが、当時の知識人の認識だった事を物語っていました。

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