「私の鶯」は、革命から逃れて満州へ渡ったロシア人の、日本人との交流を描いたミュージカル映画です。

ロシアといえば、今までは日本と敵対していたというイメージしかありませんでした。
ところが この映画を見ると、革命後の亡命ロシア人と日本人は、満州で良好な関係を築いていたのではないかと思えてきます。

この頃の日本人と亡命ロシア人は、共産党が作ったソ連という共通の敵を持った事で「敵の敵は味方」という関係になっていたのかもしれません。

そんな彼らと日本人が、満州という短い歴史で終わってしまった国の中で心を通わせる姿には、今まで知らなかった歴史を垣間見る驚きがありました。

家族とはぐれてしまった商社マン、隅田(二本柳寛)


舞台は満州のハルビンです。
赤軍に追われた亡命ロシア人たちが寒さで行き倒れになっている所へ、日本人の乗ったソリが通りかかり、彼らを救出します。
彼らは「白系ロシア人」と呼ばれる帝政支持者で、ロシア帝室劇場の歌劇団や伯爵などでした。

ハルビンに駐在中の日本人商社マン隅田は、この芸術と祖国を愛する人々とたちまち意気投合し、友情を育みます。
ところが今度は軍閥同士の争いが起こり、彼らは再び逃亡しなければなりませんでした。
逃亡の途中で落馬した隅田と伯爵は、団長のデミトリと隅田の妻子が乗った馬車と別れ別れになってしまいます。
その後ハルビンに舞い戻った隅田と伯爵は、妻子の居所を知るためにデミトリの消息を追いますが、彼らは会う事が出来ませんでした。

そして15年の歳月が経った頃、ようやく隅田の友人がデミトリの居所を突き止めます。
ところがデミトリにとって隅田の娘マリ子(李香蘭)は、本当の娘のように無二の存在となっていたのです。
デミトリは隅田の友人を見て、娘を父親に返さなければならない事に怯えたのか、その後 姿を消してしまいます。

大音楽家デミトリ(グリゴリー・サヤーピンワシリー・トムスキー)

デミトリは、かつて帝政ロシアの音楽界で第一人者的な存在でした。
ところが今では、身分を隠しているため公の場に出られず、ナイトクラブのような所で細々と身を立てるしかありません。
そして生活は、だんだん苦しくなっていきます。

それでもデミトリは、娘と二人で暮らせる事の方が大切でした。
ある日デミトリは、マリ子が日本人の男性と仲良くなっている事を知り、何だか寂しい気分になってしまいます。
彼にはいつも「マリ子は、いつか日本へ帰ってしまうのではないか」という恐れが付きまとっているように見えます。

そこへあるモスクワ時代の友人である貴婦人から、上海でデミトリを中心とした劇団を作りたいという話が持ち上がっている事を知らされ、デミトリは上海へ赴く決心をします。
上海へ行けば、マリ子は日本人のボーイフレンドと別れる事になるし、デミトリはもう一度歌劇が出来るのです。

ところが、晴れてハルビンを発とうというその時、満州事変が勃発します。
日本軍はハルビンまで手が回らず、街は無法地帯と化してしまいます。

デミトリは、マリ子だけは助かって欲しいという願いから、彼女を日本人の自警団に預けて自分はどこかへ立ち去ってしまいます。
その後しばらくして日本軍が堂々の入城を果たし、街は平和を取り戻すのでした。

親心と祖国への想い

デミトリは再びマリ子との生活を取り戻しますが、こんどは重い病気になってしまいます。
病床のデミトリの元に、隅田がお見舞いに現れます。
マリ子と会えないまま、彼は南方へ転勤していたのでした。

特に説明はありませんが、デミトリが隅田に知らせたのかもしれません。
マリ子は初めて生みの親に出会う事になるのですが、彼女にとっての父親はデミトリだけです。
ただ、ただ涙が溢れてきます。
隅田は二人の深い絆を知り、彼らを無理に引き裂こうとはしませんでした。

その後デミトリは、いったん回復したように見えたものの、舞台の途中で心臓の発作を起こしてしまいます。
そして、いまわの際に「マリ子、本当のお父さんと日本へ帰りなさい」と言います。
デミトリが最期に言う
「日本は美しい、神の国だ。尊い国土・・・」
というセリフは、国難に接した日本人と、亡命ロシア人の祖国を想う気持ちがリンクしているように思えました。

1944年完成

日本の本土が物資の窮乏や空襲に苦しんでいた戦争の末期でも、満州ではまだ社会が安定していたそうです。
一気に事態が急変したのは、終戦の年のソ連侵攻からだという話をよく聞きます。
この映画が完成したのも1944年で、満州では終戦の前年までこんな芸術的なエンターテインメント映画が撮られていたという事に驚かされました。

ただ、やはり内地では映画の上映どころではなく、この映画は封切られる事なくお蔵入りになってしまったそうです。
その後 満州国崩壊のドサクサで消失したのか、1984年になって初めてフィルムが発見され、その2年後にやっと上映会が行われたという幻の映画なのです。

監督の島津保次郎がこの本格的な音楽映画を作ろうと思ったキッカケは、来日したハルビン・バレエ団を見て感激しての事だそうです。
ところが時局柄 国内で制作するのは困難だったようで、満州国政府と南満州鉄道が出資していた映画会社「満洲映画協会」で撮った事が、結果として歴史的に貴重な映像を残す事になりました。

日本が大陸へ進出していた頃のハルビンの優雅な文化を、本物の白系ロシア人たちが演じているという記録としても、今となっては大変興味深い内容です。
戦前・戦中の暗い話しか聞かされてこなかった戦後世代が、当時の様子を少しでも伺い知る事のできる貴重な手がかりだと思います。

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