夏目漱石のこころ(新潮文庫連動DVD)

「こころ」は、人のこころの揺れ動きが生む、迷いや苦しみを描いた物語です。

野渕の静を見る、悲しげで愛情を湛えた眼差しが印象的でした。
そして その憂いに満ちた表情は、静を通して梶を思い出していたのだと分かると、切なくなってしまいます。

かつて彼は梶と苦しみを共有し、こころを一つにしたように見えました。
砂浜で野渕が、崩れそうになっている梶の手を取り、歩く場面は美しく感動的です。

まるで足場の不安定な場所から、深い谷底へと滑り落ちないよう、お互いに支え合っているような姿に見えました。

孤独で思い詰めた感じの男、野渕(森雅之)

野渕は、虚ろな眼差しをした謎めいたインテリ紳士です。

彼は妻・静(新珠三千代)との二人暮らしですが、彼らの様子はどこか「いびつ」です。
野渕は長いあいだ無職で家に引きこもり、世間と隔絶したような生活で、静にすら心を閉ざしています。

そんな野渕の家に、最近知り合った大学生・日置(安井昌二)がたびたび訪ねてくるようになります。
日置は野渕の学識だけでなく、その秘密めいた影のある様子に引かれて、彼を「先生」と呼ぶのでした。

日置は、野渕の人生から何か深淵な教訓が得られるような気がして、つい色々と質問してしまいますが、その返答には いつも驚くような毒気が含まれています。

どうして世の中に出て仕事をしないのか?と聞くと
「私は、世間に向かって働きかける資格のない男です」と言ったり
子供の話になると
「子供はいつまで経っても出来っこないよ、天罰だからさ」
などと、謎めいていて意味深な事ばかり言うのでした。

日置はだんだん、野渕が何か人に言えない秘密を抱えている事を確信するようになります。

野渕は毎月、友人の墓参りに出掛けますが、決して静を連れて行くことはありません。

静が言うには、彼も昔はもっと頼もしい人だったようです。
そして彼女には、野渕が変わってしまった原因について、何か思い当たる事があるようです。
「主人がまだ大学生だった頃、卒業する直前に、彼の親友が死んだの。
突然、変死したのよ」
と気になる事を言いますが、静に分かっているのは それだけで、親友がどうして亡くなったのかは、誰にも分からずじまいだったのでした。

森雅之さんの出演している映画


若き日の記憶に焼き付いた親友、梶(三橋達也)

野渕の大学生時代には、梶という親友がいました。

梶は親の反対を押し切って、大学で哲学の道を目指していました。
そうするうち家からは勘当され、お寺で雑用をしながら苦学の生活を続けていましたが、体を壊して神経衰弱のようになってしまいます。

そんな様子を見かねた野渕は、自分の下宿に来ないかと彼を誘いますが、梶は
「俺は誰の世話にもなりたくない。
苦学も精進のひとつなのだから、これで良いんだ」
と、最初は野渕の誘いを突っぱねます。

それでも、野渕の
「お前のその生き方に習いたいんだ、一緒に向上の道を進んでくれないか」
という願いに応える気になり、二人の共同生活が始まります。

下宿には年老いた未亡人と、その娘である静がいました。
野渕は静に思いを寄せていて、母親も彼を娘の婿に迎える意思があるようです。
そんな訳で母親は、梶を家に入れる事に難色を示しますが、野渕の強い願いで仕方なく受け入れる事にします。

梶は最初こそぶっきらぼうな態度で、下宿でも相変わらずストイックな生活を続けますが、だんだん健康を取り戻して雰囲気も穏やかになってきます。

ところが一方で、野渕には困った事が起こります。
彼は、静が梶にちょっかいを出したりして楽しそうにしている場面を、良く見かけるようになります。
おまけに梶が学校から早く帰るようになったり、二人がどこからか一緒に帰る所を目撃した時などは、野渕の疑心暗鬼はマックスになってしまいます。

梶はといえば、以前より元気にはなったものの、相変わらず苦悩を抱えている様子です。
野渕が憎さ余って、彼を崖から突き落とすマネをすると
「丁度いい、ひと思いにやってくれ!」
などと言うほどです。

そして ついに、野渕は梶から
「お嬢さんに心を奪われてしまい、哲学の道への意欲が揺らいでしまった」
と、懺悔のような告白をされてしまいます。
梶の愛は、野渕の穏やかな感情とは違った、激しい情熱的な感じがします。

野渕は梶の存在に脅威を感じて、つい
「なんだ。お前の志も、その程度のものか」
と彼をなじるように言い、図星を突かれた梶は2つの思いに引き裂かれてしまいます。

それでも梶は、いよいよ「進むべきか、引くべきか」の決断を下そうとしていました。
このとき野渕に、悪魔の声がささやきます。

梶がいないのを見計らって、母親に「静さんを下さい」と申し出て、結婚の約束を取り付けてしまうのです。
未亡人は突然の申し出に驚きはするものの「静も承知しています」と承諾を与えてくれ、野渕はホッと胸をなでおろします。

そして間もなく帰宅した梶は、さっそく未亡人から二人の結婚の話を聞いて驚きます。

その日の夜中、梶は
「皆さんや野渕兄には迷惑をかけました。
もっと早く死ぬべきだったのに、どうして今まで生きていたんだろう」
という謎めいた遺書を残して、自殺してしまうのでした。

三橋達也さんの出演している映画


野渕の決意

野渕はその後 静と結婚し、13年の歳月が経ちました。
彼は梶の自殺の原因を誰にも打ち明けられず、ずっと独りで苦しみ続けてきたのでした。

野渕の精神はだんだん病んでいき、静には夫の心が分からなくなってしまいます。
彼は何度もすべてを告白して再出発する事を試みましたが、その度に「何か」が彼の決意を押し留めるのでした。

野渕は、静がいる限り梶を忘れる事ができず、それが障害となって静に愛情を注ぐことが出来ません。
彼は静を幸せにするには、自分が「消える」しかないと考えるようになります。

彼は、今となっては唯一信頼できる存在である日置にすべてを打ち明け、妻には黙っていて欲しいと告げると、自らの命を断ってしまうのでした。

市川崑さんの監督映画


1955年公開

この映画に出てくるセリフには
「僕らは誰よりも強く明治の影響を受けた」
「明治は終わってしまった」
「明治の精神に殉死する」
など、明治という時代が強調されていました。

明治といえば、これまでは「文明開化」や「富国強兵」といった
前向きで力強いイメージを持っていましたが、
もし野渕と梶の人生に この時代が投影されているのだとすれば、
それとはだいぶ違うと思いました。

確かに二人の男は、高い理想を追い求めて努力します。
ところが実際は、どうやら頭脳で作り上げた知識や思考の世界と、
心の奥底から湧き出るような精神的な感覚とが噛み合わず
激しい葛藤の末に、挫折してしまったように見えました。

そして、この物語の醸す何ともやるせない憂鬱さは、
国家存亡の危機にあって、日本を守る為がむしゃらに進んできた結果、
いつの間にか欧米的な価値観に侵食され、大切な何かが失われつつあるという、
明治という時代を振り返ったときに見えてくる「喪失感」なのかもしれません。

コメント

    • bakeneko
    • 2019年 4月 19日 5:15pm

    1.先生が梶を下宿に一緒に住まわせようとしたとき、母親は嫌がった.なぜなのか?.
    母親は、その時既に、先生が娘を好いている事を知っていて、梶が一緒に住むようになれば、梶も娘を好きになることが予測できたので、嫌がったのです.

    2.梶は学校から早く帰ってきたり、旅行を嫌がって、娘と一緒に居ようとしたのだった.
    先生は梶と娘が仲良くしているのを見て嫉妬し、嫌がる梶を、無理矢理旅行に連れ出したりした.
    こう考えれば、先生は梶に打ち明けられる以前に、梶が娘を好いていることに察しがついたはずだ.

    3.では、梶は、先生が娘を好いていることを、知らなかったのか?.
    普通に考えれば、知っていたと考えるのが当然である.
    『向上心のない人間は馬鹿だ.俺は馬鹿だから娘を好きになった』->『お前は馬鹿じゃないから、娘を好きにならないはずだ』
    梶は先生が娘を好きなことを知りながら、こう言ったのである.

    梶は汚い人間だった.相手の心の裏をかく汚い心の人間で、先生が汚い行為で娘と結婚を決めたとき、もし先生の行為を責めれば自分の汚い汚い行為も明かになる.....なので、自殺という汚い行為にでた.

    梶は、道端で食事をしている僧侶に、いきなり質問を浴びせて、答えがなってないと罵声を浴びせた.
    金がなくて下宿の食費を払えない.空腹を我慢することを精神の鍛錬のように言ったが、梶はそんな程度の人間だった.

    4.父親が危篤で、日置は手紙を受け取ったとき、すぐに先生に会いに行くことが出来なかった.
    これは簡単な出来事で、先生は手紙ではなく、直接、日置と話をしようとしたのであり、日置がすぐに先生に会いに行って、先生と話をしていれば、先生は死ぬことは無かったと考えられる.

    5.母親は梶に、先生が娘に結婚を申し込んだことを話した.その時、先生が梶に、未だその事を話していないことを知って驚いた.
    つまり、母親は梶が娘を好きなことを知っていて、先生もまた、梶が娘を好きなことを知っていて当然なはずなので、驚いたのである.
    こう考えれば、先に梶は先生が娘を好きなことを知っていたと書いたが、それは当然なことと判断される.

    母親は先生に『なぜ話してないのか』と、聞いたのだった.
    また、日置が、先生と話をしていれば先生は死ななかったはず、とも考えられる.
    つまり、話をしていれば良かったのである.

    もし、母親と先生と梶の3人が一緒に話をしていれば、母親は梶の汚い行為をすぐに見抜いたはずで、同時に母親は、先生が娘と結婚するのが当然と考えていたので、梶が失恋しただけの、単にそれだけの出来事に過ぎなかったと言える.

    今一度書けば、
    母親は、娘と先生が結婚するのを当然と考えていた.娘も現実に結婚したのだから、母親の考えと同じで、先生との結婚を当然と考えていたと言える.こう考えれば、梶が、先生が娘を好きなことを知らなかったはずがないのであり、知っていたからこそ、『俺は馬鹿で、お前は馬鹿じゃない』と、先生を追い込んで娘を横取りしようと企んだのである.
    このことは、皆で話をすれば、すぐに分ったことであり、そうすれば先生は死ぬことは無かったはず.

    『秘密にすれば悲劇になり、公にすれば喜劇になる』
    ジャン・ルノワール、『恋多き女』より.
    困ったときは、皆で話し合えば良いのであり、また、そうしなければなりません.

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