「おかあさん」は、明るくて優しくて、誰よりも頼りになる『お母さん』の姿を描いた物語です。

本当は泣きたい気持ちを隠して、何があっても子供たちを立派に育てようとする母の生き様に、涙を誘われてしまいます。

主人公の一家には、次々と悲劇が訪れます。
そして周りの人々も、それぞれ悲しみを胸に抱えて暮らしています。
ところが誰もがみんな朗らかで、どこかホッコリしている所には、今とは違ったものを感じました。

この頃の日本人のたくましさは どこから来るのか?そして今は何かが欠けているのではないか?という気がしてきます。

大きな甘えん坊の姉、年子(香川京子)

年子はもう年頃の娘ですが、まだまだお母さんっ子の甘えん坊な所があります。

長男やお父さんが結核で亡くなった事で一家の状況は予断を許さず、年子はクリーニング屋である家の手伝いをしています。
ただ年子は母親の庇護の元に守られているせいか、どこか呑気で無邪気です。
なりは大きくても、幼い妹や従兄弟とあまり精神年齢が違わないように見えます。

一応ボーイフレンドはいるのですが、彼がデートに誘っても妹達を連れて来たりして、まだ色っぽさはありません。
年子にとってはボーイフレンドよりも母親の方が重要な存在で、父が亡くなった後を手伝ってくれる木村さん(加東大介)と母親との間に噂が立っているのが、何よりも気掛かりな事です。

賢くて大人な妹、久子(榎並啓子)

久子は、まだ小学生くらいの小さな女の子です。
この子はけっこう賢い感じで、おませで もう洒落っ気があります。
幼い感じのする年子の事はどこかバカにしていて、あまり姉として認めていないような様子です。

とはいえやっぱり小さな女の子で「わたし、おさしみになりたい」などとシュールな事を言ったりします。
なぜ“おさしみ”なのかというと「お母さんは おさしみが好きだから、私がおさしみになったらお腹いっぱい食べさせてあげられる」という理由で、更に「そしたら、私が生まれてお母さんがお乳をいっぱい飲ませてくれるの」と言います。

何だか良くわかりませんが、突き詰めるとお母さんが従兄弟ばかり可愛がるから寂しいという事なのでした。
ところが年子はデリカシーが無く「だったら おさしみになんなさいよ、私が食べてやるから」とバカにするのでした。

姉妹の精神年齢の差が浮き彫りになる

じつは久子は、叔父の家に養子に出される事になっていました。

叔父の家は戦争で子供を無くしており、その時お父さんが久子を譲ると約束したのでした。
無理強いしてまでという話でも無さそうですが、久子は小さな女の子でいながら、自分の意志でもって決断を迫られてしまいます。

久子は、お母さんの苦労を理解していました。
お米よりうどんの方が安いからと、うどんばかり食べているのを心配していたりします。
そしてお母さんがクリーニングに失敗して、弁償代を作りに自分の着物を売りに行くのを見て、いよいよ決心を固めるのです。
本当は養子になど行きたくはないけど、家が助かるならと涙をのんでの決意です。

一方で年子は、嫌なものは嫌という性格です。
久子は聞き分けのない年子に怒り、兄弟喧嘩が始まってしまいます。
年子は両親が幸せだった頃に子供時代を過ごしたせいで伸び伸びと育ち、久子はお母さんの苦労が重なりすぎたせいで否応なく大人にならざるを得なかったのかもしれません。

1952年公開

この映画は終戦7年後の作品ですが、戦争の傷跡が生活に暗い影を落としている状況が描かれていました。

そしてこの物語に共感を覚える人も、少なくなかったのではないでしょうか。

それでも彼らの生活が荒んでいないのは、お互いにいたわり助け合う「土壌」が、心までも腐らせる事のない底力なのだと思いました。

お母さんは妹の再起を助けるために子供を預かり、一方で子供を授からなかった親類のために、娘を養女に出す事もいとわない心の広さを持っています。

行商で隣り合った奥さんが、なにかと心配りをしてくれる様子も、心温まるものがあります。

そしてお父さんが亡くなると、起動に乗るまでのあいだ、同業仲間だった人が手助けに来てくれたりもします。

「お互い様」という言葉は、この頃では当たり前の概念だったのかもしれませんが、だんだん実感のないものに変わってきているのかもしれません。

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