「あらくれ」は、女の一代記を描いた徳田秋声の文芸映画です。
結婚とは、所詮こころの繋がりとは別のものであるとでも言うような、恋愛と結婚の分離を感じさせられる映画でした。

真から想う人とは決して結ばれず、生活を共にする人とは心が通じ合わないという皮肉なめぐり合わせが延々と続いていきます。

一方で実力が上がるたびに自由度が増していく様子は、心を満足させるには それなりの実力も必要なのだという事を物語っているようです。
たとえ一緒になれずとも相手を想いつつ、お互いに依存しない潔い関係が、実は一番心地よいのかもしれないと思わせる映画でした。

逆境と闘い実力を付けていく、お島(高峰秀子)


お島は気が強くて野心の強い、男からすると扱いにくい女です。
我が強い性格ゆえ、苦労の多い人生を強いられています。

一人だけ里子に出されたり、縁談を嫌がって家出したり、激しい夫婦喧嘩をして離縁させられたり、ぐうたら亭主を持ったりと散々です。
この頃の結婚というのは専ら生活の方便という感じで、縁談には愛情だの相性だのという要素はまったく考慮されません。

そんな縁談を嫌うお島は、早々に結婚というものに見切りをつけ、何とか自活しようと奔走します。
裁縫の内職をしていたお島は、それでは物足りなくなり工場へ勤め、更には独立を試みます。
その際に仲良くしていた男に声をかけて一緒に店を始めるのですが、一緒に店を始める=夫婦になるという意味らしく、結果的にこの二人は結婚するのです。
まず事業ありきで愛情は後からという感じで、今から見るとかなり不思議です。

でも そんなお島にも、一つだけ甘いロマンスがあるのでした。

気が弱いお坊ちゃんタイプの、若旦那(森雅之)


お島は商家に離縁された後、東北の旅館で働いていました。
そこの若旦那は、奥さんが療養中という事で離れて暮らしています。
大人しくて心優しい、ちょっとインテリ風な男性で、お島と何となく波長が合います。

お島はその若旦那に想いを寄せられ、二人は激しい恋に落ちます。
ところが それに感づいた旅館の主人は、お島を山奥の温泉にやったり、父親を呼び寄せて別れさせようとします。
お島は別れるくらいなら心中するつもりでしたが、若旦那にはそのつもりはありませんでした。

奥さんの容態が持ち直して戻ってくる事になったため、お島を妾のような扱いにしようとします。
お島は裏切られたと思い別れを決意しますが、お島が東京へ帰った後も若旦那はたびたびお島を訪ね、二人は何となく続いていくのでした。

二人の関係のゆくえ

お島は自分の店が起動に乗り、洋服屋として成功の一途を辿っていきます。
いまは洋服屋の主人と夫婦になっていますが、若旦那が上京してくれば会いに行き、その様子は洋服屋の夫に対するよりも親しみがあります。
お島にとって、若旦那の方が精神的な繋がりがあるように見えます。
ただ、今更のように若旦那からヨリを戻そうかと言われると、もう一緒に生活する事など考えられないのでした。

ある日お島は、若旦那に会いに東北を訪れました。
ところが若旦那は、既に病気で亡くなっていたのです。
そこで初めてお島は若旦那の奥さんと顔を合わせるのですが、奥さんは何もかも知っていてお島にアレコレと嫌味を言ってきます。
その奥さんの様子を見て、お島は若旦那が愛していたのはやっぱり自分だったと確信したように見えます。

1957年公開

映画が公開されたのは1957年で、原作が書かれたのが1915年(大正4年)ですが、物語の舞台は明治のようです。
それは、ストーリー中に“戦争”や“博覧会”というエピソードが盛り込まれている点や、洋服屋のウィンドーに飾られた衣装のデザインから推測する事ができます。

明治は、それまで産業の9割を占めていた農業から殖産興業へと移行した時代でした。
こうした産業構造の変化で、農業で活躍していた女性の行き場は大幅に無くなり、その地位も低下して行くしか無かったようです。
生活の基盤を求めて彷徨うお島の一代記は、こういった女性にとって生きづらい社会で奮闘する女性の姿が描かれているのだと思います。
いくら心の幸せを求めてもがいても、生活の方便としての結婚をするしかなかった女性も多かったのではないでしょうか。


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