「泉へのみち」は、ヒロインの新人記者が商業的で薄っぺらな記事に疑問を持ち、社会問題に切り込んでいく姿を描いた物語です。

何か難しい問題にぶちあたった時「どうせ何も出来ない」とかチャレンジして傷ついたら「結局無駄だった」という気分に陥る事は多いものです。
何度そんな目に遭っても、挫けずに頑張れたら胸を張って生きていけるのに・・・。
かつては自分もそんな事を考えたものだ、と考えが青かった頃が懐しくなるような物語です。

人の気持ちが分からず、正義を振りかざすだけの薄っぺらな存在から、苦しくても人の役に立ちたくて、茨の道を歩き始めるヒロインの姿に共感を覚えました。

正義感に燃える女記者、京子(有馬稲子)

京子は、雑誌「女性の友」の編集社に入ったばかりの新人記者です。
正義感が強くて、先輩たちの社会への醒めた態度が気に食わずに衝突する事もしばしばです。

社会部の投書にいたく同情した京子が、特別に熱を入れて投稿者・ウメに協力しようと奔走する様子は、先輩記者たちの冷笑の対照になってしまいます。
ウメは女工をしており、病気の父を助けるために工場主に借金をし、交換条件として身体を許さざるを得ませんでした。
おまけに彼女には恋人がいて、その恋人に酷な扱いをされても愛しています。

京子はウメの事を記事に書き、その原稿料を借金の返済に当てて、ウメには薄情な恋人とは別れ、別の仕事に就くようにアドバイスをします。
人に親切にしてあげて、京子は晴れ晴れとした気分になります。

女手ひとつで京子を育てた母、つね子(高峰三枝子)

ところが家庭では、京子にとって面白くない事が起こっていました。

京子の家庭は母子家庭で、母親・つね子は父親のいない子供を生んだ日陰の身でした。
京子の父親には妻子があり、京子が子供の頃につね子を捨ててしまいました。
二人の関係が奥さんにバレてしまったのです。
絶望したつね子が自殺しようとした時の事を、京子は未だに忘れられません。

ところが京子の同僚・金沢(根上淳)の友人が、父親と同じ大学に勤める知り合いだという事が分かり、彼を通じて父親が京子たちにアプローチを始めるのです。
父親は既に妻を亡くしていて、自分も病気で寂しげな心境になっており、無性に京子たちが懐かしいようです。
京子は頑なに父親との再会を拒みますが、つね子は父親の事が心配そうです。
そんな弱気な母親の姿に、正義感が強くて潔癖症の京子は我慢がなりません。

理屈では割り切れない世界がある

モヤモヤした気分の京子は、自分が助けたウメが幸せに暮らしている様子でも見てウサを晴らそうと、彼女の元へ出かけていきます。

ところがウメは職場に来ておらず、家を訪ねてみたら彼女の家庭は悲惨な事になっていたのです。
借金の道を絶たれた事で生活は苦しくなり、新しい仕事には健康保険が無いため父親の病状は悪化していました。
おまけに京子への義理を感じて恋人と会えなくなってしまったウメは、寂しさに打ちひしがれていたのです。
自分が助けたと思った娘が不幸になっていたのを見て、京子は絶望的な気分に陥ります。

おまけに家庭の方では、母親が京子に内緒で父親にお見舞いに行っていた事が判明するのです。
京子は人の気持ちがわからなくなり、自己嫌悪に陥ってしまいました。

1955年公開

映画には、ウメの転職先には健康保険が無かったというエピソードが出てきます。
おそらく結核の父親は、それで薬を買えなくなってしまったのでしょう。

そして もうひとつ、京子と金沢が療養所への入所の申請をしに行くエピソードが出てきますが、なかなか空きは出ず、出ても短い期間で出されてしまうという現実が紹介されています。

国民皆保険制度が登場するのは1961年まで待たねばならず、この頃は結核の罹患率もまだ高かったようです。
貧しく、社会保障のない時代がいかに悲惨だったかを思い知らされるような作品でした。

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。