「伊豆の娘たち」は、お互いに惹かれ合っている者同士がそれを一切表に出せず、心の奥では強く結びついているという“遠慮”が、見ていて痛々しかったです。

若いカップルの感情がひどく抑えられており、ちょっとしたキッカケでどっと溢れ出すような描写を見ると、どうしても時代と重ねて見ない訳にはいかない気分になります。

どんな時代も、やっぱり人間の心は同じだという事がしみじみと伝わってくる貴重な資料といえる映画かもしれません。

しっかり者の長女・静江(三浦光子)


伊豆で軍需工業に働く職工たちの食堂を切り盛りしている静江は、ちょっと厳しい感じの働き者な娘です。
父親が縁談の話を持ってきても一向に聞き入れようとはせず、日夜 自分の仕事に邁進しています。

それでいて優く控えめな所もあり、自分の25才の誕生日のお祝いに、逆に父親に酒をふるまって、苦しい中からお小遣いを捻出して労ってあげたりします。

この頃の伊豆は疎開地として賑わい、どこも部屋が満杯です。
ある日、軍需工場の技師に静江の家の離れを貸してもらいたいという話が舞い込みます。
静江としては反対でしたが、父親は相談もなくこの話を決めてしまいました。

ところが、この青年技師・宮内(佐分利信)がなかなかの好人物で、静江は密かに想いを寄せる事になるのです。
勤労動員で二人して畑仕事に出たときのお昼休み、二人の間には控えめだけど心が通い合うような瞬間が訪れます。

おっちょこちょいの父・文吉(河村黎吉)

静江の父・文吉は、お人好しだけど思慮に欠けるような所があり、けっこう失敗が多い人です。
特に記憶が無くなるまで酒を飲むという悪い癖がありましたが、今では若くして亡くなった妻の強い願いであった禁酒を固く守っています。

部屋が無くて困っている人を見たら「浮世の義理だ」と大盤振る舞いするなど、店の仕事で目一杯の静江の迷惑まで考慮できる頭を持ち合わせてはいません。

こんな文吉に若い男女の機微が分かるはずもなく、年頃の娘が二人もいる家庭に若い男性を下宿させてしまう迂闊さを、妹に厳しく指摘されるのでした。

雨降って地固まる・・・

お人好しのおっちょこちょいな親父でも、時には役に立つ事があるようです。
どうやら何か難しい事態を打破するには、まずは“波紋を起こす”のも起爆剤になる事があります。

静江の気持ちを知らない文吉は、祝言の席で出会った宮内の部長さんに「宮内は好人物なので娘さんの婿にいかが?」などと酔った勢いにまかせて話をしてしまいます。
ところが、この話が現実に進んでしまい、静江の知る所になります。
静江は悲しみをぐっとこらえ、宮内は文吉に抗議し、部長は話がズレている事に腹を立てます。

こうして事態は大問題に発展してしまった訳ですが、二人の本当の気持ちが明るみに出たのは、ある意味進展と見る事もできる訳です。
何事も起こらなければ、二人は想いを打ち明ける事もなく、宮内は次の任務先へと去って終わっていた事でしょう。

1945年公開

この映画は公開の時期からして、あまり期待せずに見始めたというのが正直な話です。
ただ戦意高揚映画という感じでもなさそうだし、時代劇でもなかったので一応見ておこうかな、という気になった程度でした。

ところが いざ見始めてみると思いのほか面白く、意外でした。

1945年に公開という事は終戦末期に制作されていたという事になる訳ですが、これは映画界始まって以来の究極の時期だと思います。
よく、こんなのどかで人の心情が豊かに描かれた映画が撮れたものだと驚きます。

この頃の庶民の生活描写も、自然で誇張がない気がします。
国民服で琴を奏でている様子がどこか奇妙だったり、もう燃料は薪しかないという究極の物資の欠乏した様子も描かれています。

見ていて痛々しいのは、俳優さんたちが皆ガリガリに痩せているという事です。
女優さんたちは元々痩せているので違和感がありませんが、佐分利信や坂本武たちなどは顔が変わってしまっています。

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