「大日向村」は、困窮極まった寒村が村を上げて満州への移住を決意するまでの、村人たちの葛藤を描いた物語です。

物語はフィクションながら、分村して満州開拓団となった村をモデルにした、当時の「超」時事的なネタです。
思いっきり政策が反映された、誘導の「意図」があからさまで、何ともブルーになります。

どうしても彼らのその後の運命を考えると、背筋が凍るような恐ろしさを持ってしか、見ることの出来ない映画でした。

今となっては「国策映画」認定を受けた、エンタメ要素皆無の地味な作りとは裏腹に、ストーリーはめちゃくちゃ「エモーショナル」です。

追い詰められた寒村の「どん詰まり生活」の不安と焦り、
そこへ現れた「未知の試み」への膨らむ希望、
恐怖が同胞どうしの対立を生み、ヒステリックな感情の激突に発展する・・・

これは一つの村の物語ながら、アメリカの経済封鎖で殺されかけていた当時の日本全体の気分を表しているようにも見えます。

もちろん政府が、最初から国民をハメようとしていたとは思いません。
じっさい満州は終戦直前まで、内地よりも平和だったという話を聞きますし、農業も主に大豆の生産で潤っていたようです。

だだ こうした問題を物語にして推すというやり方や、村人が「集団心理」に飲み込まれて感覚が麻痺していくような展開には、なにか強い抵抗感を覚えました。

村の存続のために身を捧げる男、堀川(河原崎長十郎)

時代は昭和11(1936)年、舞台は貧しい寒村の「大日向村」・・・。

この村は土地が痩せていて農業には向かず、林業も底をつき、追い詰められています。
村長も村の借金をどうする事もできず、辞職してしまう有様です。

こうした状況に、村の存続を憂慮する作業組合の専務・堀川は、東京に出ていた浅川(中村翫右衛門)を新村長として迎え、財政の立て直しに乗り出します。

二人の考えは、この逼迫した状況を覆すには、大陸への移民しかないという意見で一致していました。

行く先は、日本が建国をさせた「満州国」です。
それも「有志を募る」などという、生易しい方法ではありません。
村の人口の半分を入植させて「分村」してしまおうという大計画です。

はじめはこの大それた計画に、村人たちは懐疑的でした。
計画は若者を中心に、仕事の終わった夜集会が開かれる形で、細々と進められます。

ところが意外にも、この運動に火を付けたのは、移住計画には反対である地主たちでした。
山林の地主である材木問屋の「油屋」は、山から村民たちを締め出して伐採を禁じたり、借金で縛って計画を阻止しようとします。

ところがその嫌がらせが若者たちの怒りを買い、逆にその情熱に火を付けたのです。

一方で年長者たちは、どんな嫌がらせにも じっと耐え、若者たちの はやる気持ちを押さえようとします。
地主の山を伐採できなくなった村民は、遠くの山まで出かけて行かなければならなくなります。

その距離は「大日向村から十国峠」と言っていますが、大体「軽井沢から御殿場」くらいの距離じゃないでしょうか。
徒歩では、有り得ない距離ですが・・・。

村はしだいに移民に懐疑的な「地主支持派」と、若者を中心とした「移民推進派」の二手に分裂して行きます。

自由への憧れを募らせる病身の娘、スエ

スエは、紡績工場へと出稼ぎに出ていましたが、肺結核を患ったために村へと戻ってきた娘です。

彼女の家も経済状態は厳しく、村では大規模な移住計画が持ち上がっています。
出稼ぎの結果も虚しく、病に倒れたいま、スエもまた大陸へと夢をはせるようになります。

ところが母親は移住には反対で、政府の主導する開拓農民運動にも懐疑的です。

そこへもって、地主が母親に耳打ちをします。

「行く者は行くがいいさ。
そうすりゃ残った者は、今までより田も畑もよけいに作れる勘定だ。
なに好き好んで先祖からの土地捨てるんだ。

それに一体お前たち、満州つう所はどんなとこだか良く知ってんのか?
向こうは年がら年中冬みてぇな所で、開墾するのも大変な所なんだ。」

「へえ・・・おらも、そんな事でねえかと思ってやした。」

その一部始終を見ていたスエは
「母やん、卑怯な事だけは せんでください!」
と、たしなめるのでした。

スエにとって、故郷に帰って一番楽しみだったのは、恋仲である義治(よしじ)との再会でした。
彼女の夢は義治とともに満州の地へ赴く事に向かい、それだけが全ての問題を解決してくれる唯一の道となって行きます。

憧れと憎しみが「大陸熱」に火を付ける

大陸行きへの懐疑派の一番の懸念は、実のところ「借金を抱えた者でも行く事ができるのか?」という心配でした。

一方で堀川は、満州の視察へと向かいます。
そして村へと戻った彼は、現地へ赴いて得た、驚くべき農業経営の様子を大いに語ります。

そこでは広大な大地、どこまでも続く稲穂、輝く太陽のもとで、大勢の農夫たちが整然と大規模な農作業に取り組んでいます。
近代的な耕作機械、組織的で効率の良い作業風景の映像は、陰惨で前時代的な村の雰囲気とは対象的です。

この違いは、たとえて言えば昭和の子どもたちが、手塚治虫が漫画に描く未来像に憧れを抱いたぐらいのギャップではないでしょうか。
なおかつ、それは手を伸ばせば届く所にある状況だったわけです。

さらに堀川は、持ち帰った収穫物や土を披露して言います。

「肥料のいらねえ土っつうもんは どんな土か、手にとってよく見てもらいてェだ。

満州には、1,700万町歩(ちょうぶ)というデッケエ土地があって、俺たちに作ってもらいたがってるだ。
わずか5反足らずの田畑で苦しんでる者でも、満州へ行けば1町はおろか10町だって、
自分たちのものになる訳でありやす」

これを聞いた支持者たちは有頂天になり、少しでも懐疑的な発言でもしようものなら、たちまち袋叩きにでもしそうな勢いですw

こうして支持派の気分が最高潮になった所へ、十国峠まで伐採へ行っていたお父つぁんが、川へ落ちて死んだという悲報がもたらされます。
そして借金に苦しむ者の憎しみや、行きたくても行けない者の障害は、一気に「油屋」一点へと注がれて行くのでした。

もはや、誰ひとりとして満州行きに不安や疑念を抱く者はいなくなりました。
堀川は地主との借金交渉は浅川に任せ、先遣隊の先導役として大陸へ出発します。
その中には、スエの恋人・義治もいました。
彼らは、まるで聖戦に赴く英雄たちのように讃えられ、華々しく飛び立って行きます。

一方で病身ゆえ旅立てなかったスエは自ら命を絶ち、重たい肉体を脱ぎ捨てた「魂」となって、義治とともに大陸の土を踏む道を選ぶのでした。

1940年公開

この作品は、今からちょうど80年ほど前の状況を如実に表す、貴重な作品ではないかと思います。
80年といえば、ちょうど人の一生くらいの年月で、この頃の記憶もすっかり風化して「遠い過去」になったと言えるでしょう。

歴史は繰り返すと言いますが、まったく同じ事が起こるわけではありません。
この映画を見たとき、状況は違えど今と「空気」がそっくりだと思いました。

メディアによって疫病への恐怖が演出される。
行政による庶民の生活への規制が入り、どんどん自由が無くなっていく。
経済も悪化していく。
「お注射」が唯一の解決策のように奉られ、すべてがそこへ向かっていく。

接種した者にはインセンティブが与えられ、拒絶する者には「社会に害を及ぼす身勝手な者」というレッテルが貼られる。
徐々に、多数派が少数派を凌駕するようになる。
そして接種者が増えるにつれ懐疑派の警戒心も徐々に溶け、逆に恩恵に預かれない者は焦りを募らせて我先に飛びつくようになる。

まるで同じ「公式」に、時代の変化に適用させた別の「変数」を当てはめたようです。

この映画の公開から5年後、開拓団となった人々の身に何が起こるのかを、私たちは知っています。
そして これから5年ののち、今の状況を振り返った私たちは、何を思うのでしょうか。

ただこの頃と違うのは、いまは本気で探せば嘘偽りの許されない「情報ソース」にアクセスできるということです。
翻訳機能も、変な部分も残るものの、ずいぶん良くなったと思います。

メディアの偏った情報や、それに大きく影響を受けた人々に引きずられて取り返しのつかない事になる前に、自分自身で調査できる環境は、明らかに1940年と今とでは変化しました。

何度も繰り返されてきたパターンに気が付いて、今度こそ自覚的に生きることができる時代が、近づいているかもしれませんね。

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