戸田家の兄妹

「戸田家の兄妹」は、華やかなブルジョア一家の没落であらわになる、家族関係の表と裏を描いた物語です。

頼もしい大黒柱であった父親が亡くなった後、それまでとても和やかに見えていた家族関係が、突然ひどく冷淡になっていく様が何とも寂しいです。

それでも5人の兄弟の、金の切れ目が絆の切れ目になってしまう組と、逆に一層固く結ばれる組とに分かれていく様子は面白く、兄弟というのは必ずしも価値観が同じじゃない事を物語っていました。

同じ家庭に育っても目的や生き方を共有できるとは限らないし、無理に合わせる必要は無くて、それぞれが自分の信じる道を行った方が良いのだと思いました。

実は勝ち気な性格の持ち主、節子(高峰三枝子)


戸田家の三女・節子は、まだお嫁入り前で、何不自由ないお嬢様として育ちました。

姉たちとは年が離れているし、みんなお嫁に出ているせいもあってか、どこかよそよそしい感じです。
それよりも節子は、ざっくばらんな性格の二男・昌二郎(佐分利信)と気が合うようで、彼が兄弟の中で一番の仲良しです。

ところが突然父親が亡くなり、それまでの平穏な世界がガラッと変わってしまいました。
父親の死を悲しんでいる暇もなく、大実業家であった父には借金があった事が判明し、家屋敷も手放さざるを得なくなります。

節子と母親は、長男の家庭で同居する事になりますが、兄の嫁と上手くいかず決裂してしまいます。

仕方なく姉夫婦の家に移り住みますが、そこでも2人は窮屈な思いをさせられ、半ば追い出されるように家を出る羽目になってしまいます。

次男の所などは、最初から「家へおいで」という誘いかけすらしません。

というのも、どうもこの3人の兄妹と節子たちとでは、価値観が合わなくて同調し合えないといった様子です。
長男や長女や次男は父親の築いた富にしがみつく一方で、節子が自活への一歩を踏み出そうとすると「労働は卑しいもの」として否定されてしまうという、相容れないものがあります。

父のバトンを受け取る末弟、昌二郎(佐分利信)


昌二郎は、ブルジョアの家に育ちながら、ざっくばらんで物事に執着しない鷹揚な性格の持ち主です。
毎日をのらくら過ごしていましたが、父親の急死で彼の意識は変化します。

当時としては新天地であった天津へ渡り、事業に打ち込みたい、という野心が沸々と湧いてきて、あっという間に飛び立ってしまいます。
どうやら彼こそが、実業家であった父親の気質を受け継いだように見えます。

そして昌二郎が葬儀の後友人たちと酒を飲むシーンには、彼の父親に対する愛情が滲み出ていました。
昌二郎は、なぜか父親との他愛もない出来事がやけに鮮明に思い出され、切ない気分になります。

とはいえ、彼が嘆きや後悔、動揺など負の感情を見せず、むしろ強い意欲を顕にする姿には、父親から何かを受け継いだという確かさのようなものを感じます。

思わぬ展開

節子たちは、このまま親子二人暮らしで苦労するのかなぁ、という想像は、意外な展開で覆されます。

戸田家の父親の死から1年が経ち、お寺で一周忌の法要が執り行われました。

そこへ昌二郎が、天津から初めての帰国をしてきます。

彼は、母や節子が兄弟の家庭を転々とし、現在は廃屋となっている別荘に住んでいる事に怒りを感じていました。
なんと法要が終わり、兄弟の家族が一堂に会する会食の場で、昌二郎は思いっきり啖呵を切ります。

「母親や節子の面倒を頼んでいったのに、たかが1年でこの有様というのはどういう事だ!」
という「ぐうの音も出ない」ような抗議を、逃げも隠れも出来ない公的な場所でストレートにぶつけます。

何だか、見ている方がヒヤヒヤするような場面でした。
特に表面を繕っているような「ナアナアな家族」では、これは なかなか出来る事では無いと思います。

まるで父親が昌二郎に乗り移って、兄弟たちを叱っているみたいで、惚れ惚れするくらい頼もしい態度でした。

さらに、年老いた母親が一緒に天津へ旅立つという決断をするというのは、想像を越える展開でした。
さすがは実業家の妻というか、勇気のある人だと思いました。

1941年公開

1941年ともなると、映画の世界もだんだん雲行きが怪しくなっていたようです。

外国映画の輸入は中止されて、邦画のラインナップもクオリティが著しく低下していた感じです。
この年のキネマ旬報ベストテンを見てみると、硬い作品や時代劇ばかりでエンタメ色が失せています。

そういう作品が居並ぶ中で「戸田家の兄妹」は異彩を放っているように思いました。
逆境の中で深まる家族の絆や、親と子の間で受け継がれていく魂みたいなものが力強く描かれていて、この厳しい時代の気迫のようなものが伝わってきます。

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。