お絹と番頭 [DVD]

「お絹と番頭」は、銀座の足袋屋の一人娘と番頭の恋のもつれを面白おかしく描いた、ハートウォーミングな物語です。

足袋屋と近所のモーターボート屋が、仲良しのような顔をしながら水面下でバトルを繰り広げる様子が笑えます。
足袋屋は江戸時代を思わせる家族的な経営だし、ボート屋は西洋のブルジョア風で、東洋対西洋みたいな対立も感じられます。
この頃は西洋化の受け入れについて、まだ拮抗していたのかもしれないと思ったりしました。

友達の合唱会のシーンなどは、黒紋付に袴という出で立ちのお嬢さん方が野外音楽堂で合唱する光景が、なかなか壮観で新鮮でした。

除夜の鐘が鳴る雪の晩に、お店の仲間たちが揃って年越しそばを頂く場面は何ともいえず風情があり、未知の世界ながら親しみを感じてしまうから不思議です。

素直じゃないけど情熱家の娘、お絹(田中絹代)


足袋を商う福屋の一人娘・お絹は、ちょっとワガママで支配欲の強いお嬢さんです。

お店のホープである番頭・幸どん(上原謙)とは、気が強い同士でいつも衝突が堪えません。
衝突といっても、実はお絹が幸どんに叱られてばかりいるというのが実情で、お絹は当主の娘という立場もあって素直に幸どんの忠告に耳を傾ける事ができません。
幸どんの言い方が冷たいのと、その言い分が真当すぎるため、気の強いお絹としてはカチンときてしまうのです。

その反動もあってか、幸どんが従業員へのシゴキの一貫で行っている寒中ジョギングがたたって風邪を引いてしまった時などは「それ見たことか!」と勝ち誇り、めちゃくちゃ嬉しそうです。
とはいえ介抱してあげる様子には彼女なりの愛情が垣間見え、彼を乱暴に扱う坊主を叱り飛ばす所などは、本当は幸どんを大切に思っている事が分かります。

ちょっと呑気だけど実は頼りになる、お父さん(藤野秀夫)

福屋の当主であるお絹の父親はちょっと呑気で、お店の事は番頭に任せて自分は寄席に夢中になっています。
お絹同様に幸どんにお説教される様子は、情けなくも愛嬌があって味わいのある親父という感じです。

この父親は今、店の地代の事でモーターボート屋から苦情を言われています。
福屋と地主とは先代からの約束があるようで、福屋だけが特別に相場の1/10で土地を借りているという事実を、ボート屋が嗅ぎつけてしまったのです。
ならば地主に直接申し立てれば良さそうなものですが、この地主がはっきりしない人で福屋にもボート屋にも良い顔をして、双方で話し合いで解決してくれと「逃げ」を打っているのです。

ところが福屋は福屋で、せっかく格安で借りる事が出来ているのに、わざわざボート屋のいいなりになる訳にもいきません。
とはいえ後ろめたさのようなものもあり、直接ぶつかる事を避けてコソコソと逃げ回っているのです。
そして とうとう地主に呼ばれた主人は、自分の代理として幸どんを派遣する事に決めました。

駄々っ子的な「愛の告白」

地主の所へと談判に行った幸どんですが、そこで彼は地主一家に見込まれてしまいます。
ちょうど適齢期を逃している娘がいて、彼女がひと目で彼を気に入ってしまい、たちまち縁談が持ち上がったのです。

その時お絹は、タイミング悪く幸どんに厳しい言い方をされて頭に来ていました。
父親に泣きついて「あんな奴大嫌い、追い出して頂戴!」
と、いつになく激しい言い方になっています。

父親は、幸どんを手放すのは惜しいと思いつつも、お絹と仲が悪くては先が思いやられると思案している矢先だったので、この縁談を進めてしまいます。
ところが それを知ったお絹はショックを受け、土蔵に籠城して精一杯の反抗をするのでした。

お絹は普段から幸どんに負けじと突っ張っているため、彼が好きだと白状するのは「負け」を認める事のように感じるようです。
こんな風にしか感情を表現できないお絹を、店の従業員たち皆がいじらしく思い、拙くも奔走する様子には、何とも言えず温かいものがあります。

そして店の者たちからお絹の気持ちを聞かされた父親は「しょうがない奴だ」と呆れながらも、彼女の幸せを最優先に考えてあげるのでした。
ボート屋に頭を下げて降参し、地代の件は全面的に譲るのを条件に、地主に縁談の断りの仲介をお願いします。
こうして本心は両思いだった二人は、めでたく夫婦になる事ができました。

1940年公開

モダンな銀座の街の中に純日本風の足袋屋があり、お店全体が家族のように寄り添って暮らす風景が新鮮で、今となってはほとんどファンタジーの世界に見えました。

いちばん印象的だったのは、従業員が全員揃っての朝食の様子です。
当主が「さあ、今日も仲良く、笑って仕事に励みましょう」と挨拶し、みんなで朝ごはんを頂くのです。
それも、いかにも取ってつけたような感じでなく、ごく自然に出てきた言葉という雰囲気です。
住み込みで大変そうではありますが、従業員みんなが兄弟のように親しく、番頭である幸どんが当主やその娘にお説教をする様子からは、実力と責任感を持つ者が身分の別け隔てなく存分に力を発揮できる風通しの良さを感じました。

日本の社会というのは、身分の違いや格差はあっても、魂レベルではあくまでも平等だという認識が根付いている気がします。
昔の映画を数多く見ていると、どんなに身分の低い人も貧しい人も、「誇り」というものを とても大切にしている様子が必ずと言って良いぐらい出てきます。
これは戦後に欧米からもたらされた「民主主義」とは異質なもので、古代から培われてきた国民気質のような気がします。

いまブラック企業とか社畜とかいう言葉が流行っているのも、そういう感覚と現代の雇用のあり方との「ズレ」感なのかもしれないと思いました。

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