「煙突の見える場所」は、戦災で理不尽な目に会いながらも、ギリギリの所で踏みとどまろうとする日本人の良心のようなものが描かれています。
この映画は、どこか刹那的で拠り所のない「弱った」大人ばかりの中で、猛烈に鳴き続ける赤ん坊の鳴き声だけが「確かな現実」と言わんばかりに、彼らに揺さぶりをかけてきます。
赤ん坊の生きようとするパワーは、生きていくだけで精一杯の母親をも突き上げる凄まじさを持っています。
大人たちの原動力というのは、本来「泣いている子がいたら、何とかしてやらなきゃ」という所から来ているのかもしれないと思いました。
映画はあくまでもコミカルなタッチで描かれていますが、そこからは辛い事も笑いに変えてしまう当時の人たちの逞しさを感じます。
正義に燃える青年、健三(芥川比呂志)
健三は、貧乏長屋の二階に間借りしている青年です。
正義感が強く、曲がった事を見ると何とかしたくなる性分がありますが、残念ながら問題解決する能力や忍耐力には欠けています。
健三は税務署に務めていて税金を取り立てるのが任務ですが、ほどんど収穫はありません。
庶民たちの日常は生きるための戦いであり、滞納の言い逃れも堂に入ったものです。
「税金の未納よりも旦那の浮気を取り締まってよ」とか
「何なら、この赤ん坊を持って行きなよ」
などと、いちいち面白い返答をしてきます。
健三も彼らの苦しい生活を充分理解しているので、彼はこの仕事が嫌でたまりません。
いっそ仕事を辞めてしまおうかと迷っています。
そんな折、彼は家主の弘子(田中絹代)が近所の川へ入って自殺しようとしているのを発見します。
こういう時の彼は、すごく行動力があります。
奥さんを助け、夫からこうなったいきさつを聞き出したりします。
聞けば弘子の別れた前夫・塚原が、留守に侵入して自分の赤ん坊を置き去りにして行ったと言うのです。
これが元で家主たちは夫婦喧嘩になり、弘子が追い出されたようです。
健三は塚原の行動に憤りを感じ「これはもはや個人の問題ではない、正義の問題なのだ!」と何だか大げさな事を言いながら、いつのまにか夫婦の問題に巻き込まれて行きます。
家主夫婦は二人とも頼りない人で、この問題に対して全く無力でした。
そして健三は行きがかり上、赤ん坊の親を探す羽目になってしまうのでした。
芯のある頼もしい娘、仙子(高峰秀子)
仙子は、健三と同じ長屋の二階に間借りしている年頃の娘です。
青年と娘が「ふすま一枚」で仕切られた隣どうしに暮らしているという ちょっと刺激的な状況なのですが、この頃の住宅事情ではなりふり構ってはいられなかったのでしょう。
彼女はとても芯がしっかりしていて、周囲の優柔不断な人たちをバンバン叱ったり元気づけたりする、どこか頼りになる女性です。
ちょっと潔癖症な所があって、家主夫婦が宵の口からイチャついている場面に出くわすと、黙って睨みつけたりします。
仙子は隣人の健三に対しても結構 厳しくて、彼に役所を辞めたい事を相談されると「辞めて何の解決になるの?私なら問題に立ち向かうわ」とあっさり否定します。
健三が赤ん坊の親を探すために、仕事を休んだりお金を使ったりして奔走しているのに、当事者が遊んでいるのを見て「もうやだ」となっているのを見ても、いっさい容赦しません。
「だって、正義の問題なんでしょう?家主らの感謝の有る無しは関係ないじゃない」と言って、同情すらしてくれません。
でも仙子は、ただただ厳しくて非情なのかと思いきや、それは違うようです。
彼女は、斜めになっている机の上に鉛筆を立てようと、何度も鉛筆を立て始めます。
机が傾いているのだから鉛筆が立つはずは無く、イライラしてきた健三は「無駄な事やめなよ」と言います。
ところが何度もやっているうちに、なんと鉛筆が立つのです・・・。
それを見て、健三は感動します。
そして仙子は、そっと「私、健三さんを愛してるわ」と呟きました。
健三は俄然やる気が湧いてきて、本当に赤ん坊の親を探し当ててしまうのでした。
極限状態の男女の姿
とうとう赤ん坊の父親である塚原を見つけ出した健三ですが、それで問題が解決した訳ではありません。
赤ん坊の父親は、全く責任感も罪の意識もなく「オレは知らん。母親に言ってくれ」と、取り付く島もありません。
健三は呆れ返りますが、仕方なく母親の元を訪れます。
すると母親は母親で「子供は堕ろそうと思っていたのに その費用を塚原に使い込まれ、仕方なく生まれちゃった」のだと言います。
「子供を押し付けてやれば、あの男の性根も治ると思ったのに無駄だった」と怒りを露わにするばかりです。
正義感が強いだけの健三は、ここでもまた降参です。
結局は手ブラで帰るしかなく、もう自分の役目は終わったとばかりに、この問題から手を引こうとします。
ところが今度は赤ん坊が病気になり、生死の境を彷徨うまでになってしまいます。
長屋は騒然となりますが、仙子は夫婦に諦める事を許さず、そのお蔭で弘子は何とか看病を続ける事が出来ました。
赤ん坊は無事助かり、母親が赤ん坊を引き取りに来ます。
聞けば「不本意に授かった子でも、やっぱり可愛いのに変わりはない」と言います。
「でも本当に育てられる?」という仙子の心配にも「育てられるから育てるんじゃない、育てるんだ!」と、母親の決意は固いのが分かります。
1953年公開
この映画では、戦争が終わった後の日本人の破壊された生活や精神が描かれていました。
最後、塚原は自殺してしまいます。
彼は子供への責任を放棄した事で、自分の存在価値まで一緒に失ってしまったのかもしれません。
「何もかも分からなくなってしまった」と話す様子は、生きる意味を失った絶望感が漂っていました。
塚原夫妻は、空襲に遭うまでは ごく平凡に暮らしていたのだと思います。
ところが一瞬にして、家族やそれまでの生活、親しい人たちを全て失ってしまったのでした。
ただその後の二人の運命が分かれたのは、物事をありのままに直視する事への「覚悟」の違いだったような気がします。
弘子の方はこんな世界に「怒り」を感じ、それが彼女を生き延びさせる原動力になったような気がします。
そして極限状態のときは、自分が人間以下の存在に落ちたのだと認めています。
そうして最後まで正気を保った事で、新しい家庭を築くまでに立ち直る事が出来たのだと思います。
一方で塚原の方は、最後まで現実を受け入れる事が出来なかったのではないでしょうか。
どんなに それまでの生活をリセットされても、日本にはまだ、新たな生活を築く事ができる土台が残っていたようです。
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