「木石」は、伝染病の研究所を舞台に、一人のベテラン看護婦の愛と苦悩を描いた人間ドラマです。

何かと謎の多い40代のオールドミスの言動が、周囲の人たちの憶測に反してちょっと不可解な所があり、ちょっとミステリアスな物語でした。

この映画に登場する看護婦の母とその娘はタイプが対照的で、それぞれに違う魅力を発揮しています。
娘の襟子は華やかで奔放な人で、若さの輝きを放っています。
いっぽう母親は知的で荘厳な感じですが、どこか不幸なオーラを漂わせています。

「どうするべきか」とか「どうあるべきか」という事が先に立って、うっかり「どうしたいのか」をないがしろにすると、けっきょく人は不幸になったり後悔する羽目になるのかもしれないと思いました。

情熱を封印して頑なに生きる女、及川初(赤木蘭子)

伝染病の研究所に25年間勤めているベテランの及川初は、ちょっと特別な存在感のある女性です。
何か役職のようなものがある訳ではなさそうですが、若い看護婦達から恐れられている様子です。
といっても「畏怖の念」というよりは、融通の効かない厳格さと、40才で独身を保っているという事への敬遠といった感じです。

陰口をたたいたりと彼女を良く思わない人たちもいますが、初は研究所での仕事に情熱を持っています。
今は引退している研究所の創設者・有馬博士からは、厚い信頼を得ていたようです。

ところがある日、彼女は自分の娘・襟子を研究所の助手見習いとして入所させ、周囲を驚かせます。
娘は20代くらいの年頃で、独身の初に娘がいたという事実だけでもセンセーショナルなのに、初は娘の事を「父無し子」とわざわざ吹聴するという不可解な行動を取ります。
この娘の登場は、噂好きの看護婦たちはもちろん、普段から初の事を良く思っていない医師にとっては格好の標的でした。

どうやらこの医師は、初と有馬博士との関係を疑っていて「襟子は有馬博士の子ではないか」という憶測を口にします。

ところがこの中傷が初自身の耳に入り、初は看護師たちの居並ぶ前で、医師に猛烈な勢いで食ってかかります。
「独身で父無し子を生んだ哀れな自分を、これ以上貶めて何が面白いのか」
とか
「有馬博士の研究所に務めていながら、創設者を侮辱するという行為を恥しいと思わないのか」
と、なりふり構わぬ様子で挑み、その場の空気は凍りついてしまいます。

この時の初の様子は尋常でなく、いつもの冷静な初とは何かギャップを感じてしまいます。
そして医師の方は、初の弱みを裏から暴くつもりが、あまりにも正々堂々と否定された事できまりが悪くなりますが、どこか当てが外れたような怪訝そうな顔です。

甘くて華やかで解放された娘、襟子(木暮実千代)


初の娘・襟子(えりこ)は、母とは正反対の甘い感じの素直で華やかな美女で、看護婦たちの反応も「似てないわね・・・」という感じです。

彼女は、いつまでも母を一人で働かせるのは申し訳ないと思い、最近仕事を探し始めていました。

ところが初は、襟子に自分の助手をさせるつもりだったらしく、さっそく研究所へ勤めさせる事にします。

お嬢さんタイプの襟子が、モルモットの飼育などという地味な仕事に向くだろうか?という周りの懸念をよそに、襟子はマジメに仕事に取り組みます。

ところが初が助手を務めている医師・二桐(夏川大二郎)は、どうやら襟子に一目惚れした様子です。
そして襟子の方でも二桐が気に入ってしまい、二人は急激に親しくなりますが、その様子に感づいた初は不安を募らせます。

初は執拗に二人の仲を裂こうとし、襟子がちょっと反抗すると、こんどは研究所へ来る事すら禁止してしまいます。
そして暫く経ったある日、初は二桐のデスクに襟子からの手紙が来ているのを発見してしまうのでした。

予想を裏切る事実

初は、襟子に対してヒステリックな怒りをぶつけ、二桐に近づく事を固く禁じます。

この理不尽とも言える束縛に、襟子は恐怖と怒りを感じます。
襟子は普段は従順で大人しい娘ですが、恋愛に対しては かなり積極的でした。

家出して二桐の家に転がり込み、たちまち自分との結婚を決意させてしまいます。

二桐はこのまま襟子を連れ去る訳にも行かず、初に談判しに出かけます。
ところが、そこで二桐が初から聞かされた打ち明け話は、耳を疑うような驚くべき事実でした。

襟子は、かつて有馬博士と某令嬢との不倫の関係によって生まれた「秘密の子」だったのです。

有馬博士は誰にも相談する事が出来ず、忠実な助手であった初にだけ、事の次第を打ち明けました。
博士を密かに慕っていた初は、博士の告白にショックを受けます。

ところが それだけでなく、彼女は研究所の名誉を守るため、子供の養育を引き受ける羽目になってしまったのです。
そして博士は亡くなり、この真実を知る者はもはや初しかおらず、襟子も自分の父親が誰なのかを知らされていないのでした。

随分むごい話ですが、初が襟子と二桐の仲を裂こうとしたのは、初の男性への不信から来ていたようです。
二桐が誠心誠意、襟子をお嫁にもらいたいというなら話は別で、和解が成立する展開からは、初の襟子への愛情が伝わってきます。

ところが晴れて許された二人が喜んだのも束の間、初は伝染病に感染して亡くなってしまうのです。

初が息を引き取る間際に言う
「及川初は処女でございます」
という言葉は、何だか奇妙な響きを持っていて、彼女の無念さを表しているようでした。

1940年公開

映画では、まだ伝染病の原因には未知の事が多い様子が描かれています。
医師も不足していたらしく、二桐は休暇で山登りに来た出先にまで、病院からの呼び出しに追われたりします。

そして この頃は診断ミスをチェックするしくみも無かったようで、患者が亡くなっても死因に対して曖昧な様子には違和感を覚えます。

他にも伝染病の研究所なのに素手でマウスを扱っていたり、噛まれても消毒して済ませてしまうというワイルドさも衝撃でした。

現在では、伝染病の病原菌は全て解明されたという話を聞いた事がありますが、研究者たちの仕事は命がけだったという事が分かります。

他にも登山の様子や、8ミリフィルムの映写などの、ちょっと印象的なシーンもありました。

この頃の映像機器は、裕福な人しか手に入らない高級品といった雰囲気です。
二桐の友人の邸宅で8ミリの上映会をしている風景は、ちょっとブルジョア的な感じです。

延々と山で撮った風景が映し出され、現代の感覚からするとマッタリとして眠くなってしまうような場面ですが、当時はワクワクするような珍しい光景だったのでしょう。

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