椿三十郎

「椿三十郎」は、江戸時代の政治アクション・ドラマです。

正義感に燃える若き藩士たちの迷走ぶりは人ごととは思えず、真実を追求する事の難しさが身に染みるような物語でした。
一方で三十郎の強さとトンチの鮮やかさは痛快で、とにかくカッコ良いのにシビレます。

奥方の浮世離れした穏やかさや、すんでの所で命を助けられた敵方の藩士がだんだん歩み寄ってくる様子も可愛くて、何とも心が洗われてしまいます。
あらためて日本人の善良な体質を感じるような、清々しい映画でした。

正義感あふれるエリート藩士、井坂伊織(加山雄三)


井坂伊織は、正義感あふれる若き藩士です。

彼は、大名の留守を預かる役職「城代家老」を叔父に持つ身で、家柄の良いボンボンという感じです。
ところがそんな井坂は、次席家老の黒藤(志村喬)が汚職をしている事に憤りを覚え、8人の仲間たちと共に立ち上がろうとしています。

最初 井坂は城代家老の叔父・睦田に直談判をしますが、睦田は真面目に取り合ってはくれませんでした。
9人の血判のついた意見書をその場で破いてしまい、井坂を失望させます。

それでも何とかしたい彼は、次に大目付の菊井(清水将夫)にこの話を持ち込みます。


菊井は切れ者という感じの男ですが、彼は藩士たちの力になる事を約束してくれました。

夜更けにお寺に集まって密会をしていた9人は、この報告を聞いて大喜びします。

ところが彼らの密談は、奥で眠っていた見すぼらしい浪人に、すべて聞かれていたのです。
うろたえた藩士たちは浪人に襲いかかろうとしますが、どうやら この浪人は只者では無さそうです。

浪人は、若者たちの単純さを見透かしたように、持論を展開し始めます。
彼は、睦田のような人物こそ本物で、菊井は味方どころか、黒藤の黒幕ではないかと推察します。

そしてその裏付けとして、寺は菊井の手勢に包囲されているという事に気が付くのでした。

頼りになる謎の浪人、椿三十郎(三船敏郎)


寺で若き藩士たちの企てを聞いてしまった浪人は、名前を椿三十郎と名乗ります。
ところが それも明らかに偽名で、彼の素性はまったく分かりません。
それが、藩士たちの疑惑を最後まで拭わせない結果となります。

とはいえ三十郎の剣術や機知、勇気は一級だという事が分かってきます。
三十郎のとっさの機転とたった一人の応戦で、9人の藩士は命を助けられる事になります。
そして彼らの命を助けた事で、三十郎も仲間に加わって、この謀略を暴いて行く事になるのでした。

やれやれと安堵したのも束の間、三十郎は睦田に危機が迫っている事を予測します。
三十郎も加えた十人は睦田の救助に向かいますが、すでに家は敵の手に落ちていました。

ただ9人の藩士は、経験も浅く家柄の良い坊っちゃん揃いです。
「生きるも死ぬも9人一緒だ!」
と勇ましい事を言っていながら、実際に修羅場に出くわすと縮こまってしまいます。

「臆病な味方の剣ほど危ねぇモンは無え。
尻切られちゃかなわネェからな!」

とか、勇ましい女中さんを讃えて
「立派な侍だ。オメェ達より頼りになるぜ」

などという三十郎の明け透けな言葉が、若い藩士たちのプライドを形無しにしてしまう様は、どこか微笑ましくもあります。

とはいえ三十郎の活躍で、睦田の奥方を救出する事には成功した十人でした。
でも肝心の睦田はどこかへ連れ去られた後で、まずは居場所を突き止める事から始めなければなりませんでした。

足並みが揃わず、苦戦する三十郎

菊井は睦田に謀反の容疑をかけ、公式に捕えたという御触れを出します。
罪を睦田になすりつけ、ニセの供述書を書かせて詰腹(切腹の強制)をさせようという企みです。

三十郎は睦田の救出に向けて、何度となく危ない橋を渡ります。
自分が浪人の身である事を利用して、敵側に雇われるフリをして陣中深く潜り込んだりします。

ところが菊井の腹心には室戸半兵衛(仲代達矢)という強者がいて、油断がなりません。

そこへ持って、井坂らの足並みが揃わない事が災いしてしまいます。
仲間らは三十郎の事を信じられないために、敵の罠にかかりそうになったり捕えられたりしてしまいます。

若侍たちが失敗するたび度に、三十郎は殺戮を繰り返さなければなりません。
一方で奥方は荒っぽい手法を好まず、三十郎はさらに苦戦を強いられ、絶体絶命のピンチに追い込まれて行くのです。

1962年公開

この映画で心に引っ掛かったのは、最後の睦田の三十郎への扱いです。
その態度は、藩を救ってくれた英雄として歓迎するどころか、どこか疎ましい存在に思っている感じすらします。
そして三十郎の方でもそれが分かっているかの如く、何の見返りも求めず自ら立ち去って行くという不思議さです。

室戸との決闘にしても、勝っても虚しいような勝負で、結局は孤独な三十郎がなんだか可愛そうになります。
それまでの痛快な展開とは打って変わり、ラストは何とも後味の悪いものが残りました。

ただ睦田の人徳からして、あれは悪意のようなものではない気もします。
社会の安定を守るには、三十郎のような突出した人物は危険な存在なのかも知れません。
そして三十郎くらいの人になると、それが分かっているのでしょう。

徳川時代というのは、終始「下剋上の世の中になる事を避ける」というテーマとの格闘ではなかったかと思います。

明治維新後は「勝てば官軍」という諺にもある通り、今となっては「江戸時代は住みにくい世の中だった」という説が主流になっています。
でも260年ものあいだ戦乱の無い社会を実現できたのは、当時の社会システムが機能していたという事を物語っているのではないでしょうか。

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