「白痴」は、精神分裂症になったのがキッカケで、自分と他人の境界がつかなくなった男と、それを巡る人々との物語です。

悟りの境地のような「無償の愛」と「男女の情愛」というのは異質なもので、主人公・亀田のような「博愛」を持った人は、結婚という制度には向かないのかもしれないと思いました。

亀田の「綾子への愛と、妙子への愛は違う」というようなニュアンスのセリフがありますが、そのフィアンセである綾子はそれを受け入れる事が出来ません。
いっぽう妙子の方では違いは無く、亀田が妙子に示す愛情は男女の愛でもあると捉えます。

結果として、女たちは亀田を独占しようと争う事になりますが、これはやはり女性の生物的な性としての限界なのかもしれません。
結局は白痴とバカにされている亀田が一番幸せに一番近かったのに、苦しみに耐えかねた人たちが、彼を道連れにして破滅していったように見えました。

「この世のすべて」を愛する男、亀田(森雅之)

亀田は、第二次大戦のとき戦犯として死刑の宣告をされ、銃殺刑となる寸前に助けられたという経緯のある男です。
その時のショックが原因で「てんかん性痴呆」という、今でいう精神分裂症になってしまいました。

ところが亀田の場合は、それが病気と割り切る事の出来ない“純粋”さとなって彼の性格に変化を与えたようです。
彼は人の気持ちが自分の事のように理解できるし、嘘やごまかしも彼には一切通用しません。
ところが彼の純粋さは、社会では人に笑われたり煙たがられるばかりです。

亀田は故郷に帰った後、亡くなった父の牧場を相続しました。
そして裕福な家庭のお嬢さんである綾子(久我美子)に惹かれ、彼女と結婚の約束をします。

森雅之さんの出演している映画


絶望の果てに一筋の光を見た女、那須妙子(原節子)


那須妙子は少女の頃に家族を失い、生きる為に政治家・東畑の愛人にされてしまったという、いわくつきの女です。
長いあいだ辛く不本意な人生を送り、人々に後ろ指を刺され、すっかり自信も希望も失っています。

そんな妙子の前に、何の偏見も持たず、この苦しみを自分の事のように理解してくれる亀田が現れます。
その頃 妙子は、悪評を恐れた東畑によって秘書と結婚させられそうになっていました。

ところが妙子は会ったばかりの亀田に、この結婚を承諾すべきかどうかの判断を仰ぎます。
それほど彼女は、亀田の事を全面的に信頼したのでした。
亀田はそれを否定し、妙子に自分を大切にするように諭します。
そして、そのために生活に困窮する事があれば、自分が助けると申し出ます。

ところが妙子は、彼の申し出を断ります。
そして自分の過去が亀田の将来を暗くするという配慮から、彼を遠ざける為に別の男性・赤間(三船敏郎)と一緒になろうとするのでした。

原節子さんの出演している映画


嫉妬の炎が、狂気を呼ぶ

亀田は綾子と婚約をしたものの、赤間と無理な結婚をしようとしている妙子の事が気になって仕方がありません。
足繁く妙子の元を訪ねる亀田に、綾子は不審な感情を抱くようになります。

おまけに綾子のところへは「亀田さんと幸せになってください」というような手紙が、妙子から送られてくるようになります。
二人の仲に水を指された気分になった綾子は、自分のモヤモヤした不安を払拭する為、妙子と対面する事を決意します。

一方で妙子は、綾子に過大な期待を寄せていました。
彼女にとって綾子は、自分が失ってしまったものを全て持っていて、自分の果たせなかった夢を実現させてくれる存在として、崇めるようになっていたのです。

ところが実際に会ってみると、綾子は妙子の想像していたような娘ではありませんでした。
綾子は「亀田が自分よりも妙子を愛しているのではないか?」という疑念を払拭するためにここへ来たのです。

妙子は綾子に幻滅を覚え、亀田を綾子に譲った事を後悔し始めます。
彼女は亀田が自分を見捨てる事が出来ないのを知りながら、彼に「どっちを選ぶの!?」と選択を迫るのでした。

黒澤明さんの監督映画

1951年公開

原作の舞台はロシアで、日本で言えば明治元年くらいの頃の小説が元になっていますが、映画の設定は公開当時の北海道に置き換えられていました。
この頃の北海道は異国情緒を醸していて、ヨーロッパ的な雰囲気が広がっていたようです。

外国の物語を原作にすると、どこかチグハグな感じになったり、逆に原作の風味が損なわれてしまったりするものです。
ところがこの作品では設定を大胆に変更しつつも、趣のある情緒的な世界が繰り広げられています。

クラシックと仏壇の「おりん」の音色が交錯する独特の雰囲気は、日本ともロシアともいえない不思議な郷愁がありました。

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