秋刀魚の味 ニューデジタルリマスター版

「秋刀魚の味」は、娘をお嫁にやる父親の寂しさを描いた物語です。

この物語は、一見ほっこりしたホームドラマながら、じつは厳しい「人の道」が再認識されていると思いました。

それは、結婚は本来 子供を生み育てるための結びつきだという事や
子供は授かりものであって、成長したら社会へ還元すべき存在だという思想です。

お父さんが「ひょうたん」の不幸に当てられたり、子供と同年代の妻を得た友人に「いびつ」さを感じてしまうのは、人間がエゴに走る事への拒絶感を表しているような気がします。

とはいえ それを貫くのは難しく、耐え難いような寂しさと戦うお父さんの姿には、心を打たれずにいられませんでした。

家族をまとめるお母さんのような娘、路子(岩下志麻)

路子は、亡くなった母親の役割を果たしつつお勤めにも出て、一家を支えています。

彼女は可憐でおしとやかな「年頃の娘」ですが、精神的に成熟している感じです。
父親や弟の身の回りの世話を焼くだけでなく、彼らの生活態度を注意する「しつけ」役までこなす姿には、すでに母親の貫禄が漂います。

一方で彼女の兄夫婦は、子供を生み育てる事よりもレジャーや買い物に夢中で、いつもお金に汲々としています。
そして弟は ぶっきら棒で態度だけは大きいのですが、内面はまるで子供のように幼い感じです。

路子はお兄さん(佐田啓二)の家庭を通じて、彼の同僚である三浦(吉田輝雄)という男性と、家族ぐるみのお付き合いをしています。
二人は何となくお互いに好意を持っているようには見えますが、あくまでもアッサリとした友達同士でしかありません。

そんな路子に、あるとき縁談が持ち上がります。
父親の友人が、路子ちゃんにちょうど良い相手がいるという話を持ってきたのです。
その世話好きの友人は、父親が娘を手放すのを惜しむあまり、路子が婚期を逃すのを心配している様子です。
そして彼女に「もう行かなくちゃいけないよ」と諭しますが、路子は「私が行くと家が困りますから」と言って、その縁談を断るのでした。

娘がいつまでも子供だと思いたい、お父さん(笠智衆)

路子の父親は若くして奥さんを亡くしてしまったせいで、今ではすっかり彼女を頼りにするようになっています。
娘が適齢期を迎えている事にも気付かず、友達にせっつかれてやっと重い腰を上げる始末です。

それでも このお父さんがやっと「その気」になったのは、同窓会での出来事がキッカケでした。
同窓会の場には「ひょうたん」というアダ名の先生が登場します。
彼は今では没落し、それぞれ立派に成長した壮年期の生徒たちとは対照的に、弱く卑屈な感じの老人といった痛々しい存在です。

先生は寂しくてしょうがない様子で、しきりに「私は失敗した」というセリフを繰り返します。
聞けば ひょうたんは、奥さんを亡くして娘を頼ったあまり、婚期を逸してしまったというのです。

この話は、お父さんにとっては身につまされるものがありました。
彼らは泥酔したひょうたんを自宅まで送り届けますが、そこで話題に出てきた娘に迎えられます。
この娘がまた年老いて荒んだ感じなのが、ひょうたん一家の哀れさを一層強調しています。

この様子を見て さすがのお父さんも にわかに焦りはじめ、路子の結婚を意識し始めるのでした。

男たちの「しくじり」

お父さんが弟に話を聞いてみると、どうやら路子は兄の友人の三浦君が好きらしい、という事が分かってきます。
お父さんはお兄さんに、三浦君の気持ちを聞いてくれるよう頼みます。

そしてお兄さんが三浦君に路子の話をしてみると、彼はすでに相手が決まってしまった後でした。
ところがよくよく聞いてみると、以前三浦君はお兄さんに「路子さんを貰いたい」という話をしたのだと言います。
でも そのときお兄さんは、自分が「あいつはまだ当分結婚しないよ」と言ったという事を、すっかり忘れてしまっているのでした。

お父さんとお兄さんは、自分たちがお互いに「迂闊だった」事を知り、路子が可愛そうでオロオロしてしまいます。
それでも意を決して、路子に三浦の結婚が決まっている事を打ち明けますが、彼女は微動だにしませんでした。
「いいの。私、あとで後悔したくなかっただけなの」
と気丈に振る舞い、あっさりとお見合いの話を承諾します。

彼女が落ち着いているのを見てホッとする二人でしたが、弟が現れて
「どうしたんだ?姉ちゃん泣いてるぞ」
と言いに来ると、お父さんは再び大慌てですww
ところがお父さんが心配して見に行くと、どんなに泣き崩れているかと想いきや、意外にも路子はしっかりしていました。

年頃のお嬢さんが、失恋をして平気な訳がありません。
それでも彼女の威厳すら感じる後ろ姿からは、失恋の痛手よりも、信念を貫き通した「自信」のようなものが勝っているように感じます。

その凛とした美しいうなじを見ていると、彼女ならお見合いの相手とでも、立派な家庭を築いて幸せになれるような気がしました。

1962年公開

「軍艦マーチ」の流れるバーの場面で、お父さんと艦長時代の部下がマダムと3人で
行進のマネをしてはしゃぐシーンは、今から見るとシュールでちょっと怖いものがありますw
ここで、部下とのやりとりに笑える話が出てきました。

「でも艦長さん、これでもし日本が勝ってたら、どうなってたですかね。
あなたも私も今頃ニューヨークですよ、ニューヨーク!

目玉の青いやつが、丸髷かなんか結っちゃって、
チューインガム噛み噛み、三味線弾いてますよ。
ざまあみろってんだ・・・」

これは、たとえ日本が勝っていたとしても
そういう風にはならなかっただろうという前提があって、初めて成り立つ「笑い」ではないかと思います。

想像するに、日露戦争のときのように
防衛に必要最低限な条件を残して、講和に持ち込むのが関の山だったのではないでしょうか。
この部下の抱くイメージへの違和感は、日本とアメリカとでは、そもそも開戦へ至った動機が違っていたことを物語っているような気がします。

そして同じバーの終盤の場面では、マダムが気を利かせてかけてくれた「軍艦マーチ」が鳴り響くと、居合わせたお客の中から自然に
「大本営発表、帝国海軍は今暁5時30分、南鳥島東方海上において・・・」
「負けました!」
というセリフが飛び出し、彼らはお互いにシニカルな笑い方をします。
その様子を見たお父さんは、しだいに表情を曇らせて行くのでした。

戦後の占領政策が見事に功を奏し、この後も日本はますます
「日本は植民地支配を目指して侵略を行った」
という見方に、社会全体が覆われて行きました。

それでも多くの日本人は、内心では薄々そうでは無かったような気がしているのではないでしょうか。
それは教科書やマスコミの情報、書物やエンタメといった「フィルター」を通してではなく、自分を取り巻く「リアル日本人」を見れば分かる直感なのだと思います。

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