「簪(かんざし)」は、山の温泉旅館を舞台に、逗留客たちの何気ない日常を描いた物語です。
偶然巡り合わせた人々が、自然と触れ合って緩やかに仲良くなっていく様子に心が温まります。
それぞれの部屋は障子一つで隔てられただけで、相互の都合で勝手に配置替えをしてしまう所など、今では考えられないような柔軟性があります。
何か日本人というだけで既に“同胞意識”があり、お互いに信頼し合う事ができて、波風を立てないで上手く共存している様子は、現代の都会では死滅しているものがあると思いました。
確かに人間関係というのは煩わしい面もありますが、何か最後まで捨ててはいけない領域がある事を気付かせてくれる映画でした。
仕切り屋の学者先生、片田江(斎藤達雄)
この映画はある温泉旅館に偶然居合わせた逗留客どうしの触れ合いを描いた群像劇で、それぞれのキャラの設定は曖昧にしか描かれていません。
キャラクターの個性や立場は、それぞれの人間同士の接し方を見て判断するしか無いし、それが逆にこの映画の面白さでもあります。
勉強のために長逗留している片田江は、みんなから先生と呼ばれている所から、どうやら学者である事がわかります。
何事も理屈で解釈しようとする合理主義的な性格で、他の逗留客にいちいち議論をふっかけたり旅館にクレームを言ったりと、何かと騒がしい男です。
理屈では人一倍強く、誰にも負けないくらい饒舌になる一方で、どうやら“人間の機微”というデリケートな部分にはからっきし弱く、お隣の部屋の老人がしきりに碁の相手に誘ってくるのを断る事が出来ません。
誰に対しても上から目線で偉そうに振る舞う学者先生にも、やはり“天敵”はいるようです。
困り果てて部屋を替えてもらおうと帳場に掛け合う様子は、逆に人間らしくて笑ってしまいます。
けっこうサービス精神が旺盛な所もあって、いつの間にかこの旅館の2階の客たちを仕切ってリーダーのような存在に収まっています。
学者先生よりも賢そうな青年、納村(笠智衆)
納村はごく一般的な青年のようですが、どこか知性の高さを感じるところがあります。
一人客で、公定価格より安く連泊させてもらっている所を見ると、静養中なのかもしれません。
温和な性格で、細かい事をいちいち問題にしない男らしい大らかさがありますが、自分の意見はしっかり持っているようです。
他の人のように片田江の意見に引っ張られたり、理屈で煙に巻かれたりする事なく、常識や自分の感性を大切にしています。
言葉には出来ない「何か」がある
片田江はいつも理屈で相手をねじ伏せてしまいますが、どうやら理屈では割り切れない事もあるようです。
ある日お風呂に入っていた納村は、何か異物を踏んでしまいます。
それは簪でした。
納村は簪を踏んで怪我をしてしまったので、旅館の主人が謝罪に訪れます。
納村自身は気にしなくて良いと言いますが、横から例の学者先生・片田江が口を出し、旅館を攻撃し始めます。
ところが納村は、この事件に対して嫌な感情を抱いていないと言います。
むしろ風呂で簪を踏んだ事について“情緒”すら感じていると言うのです。
この“情緒”という感覚が、それぞれのキャラクターによって色々と解釈されていく様がちょっとシュールで、何か考えさせられてしまいました。
それは当時の一般的な日本人が抱いていた価値観と、片田江の持つ西洋的合理性とのギャップを表わしているように見えます。
片田江は即座に「情緒=女性への欲望」と解釈したようですが、どうも納村の言動を見ていると、それとは違うように思えます。
そして片田江以外の逗留客たちも、納村の言っている“情緒”を感覚的に理解したように見えます。
ただそれを言語化する事は出来ず「学者さんの言う事の方が正しいだろう」という権威主義的なものに引っ張られて、わけが分からなくなっている様子が描かれているのだと思います。
1941年公開
この映画で時代背景がわかる描写は、旅館で仲良しになったこのグループを「隣組の常会みたいだね」と言っている所や、旅館の料理についての不満に「物資不足の折だから仕方ないが」という所ぐらいです。
表面的にはそれだけなのですが、私が気になったのは、リハビリを続ける納村への子どもたちの「頑張れ!」というエールです。
これが、少々うるさすぎるのです。
不自然に大げさで、ウザい程繰り返されています。
これは、1939年に制定された「映画法」の影響ではないかと考えられます。
この法律は、映画の娯楽色を排除して国策や軍国主義の推進を織り込むという趣旨のもので、当時は映画の公開を成功させるにはその辺の配慮が不可欠だったのでしょう。
こういう情緒豊かな映画をお蔵にしない為には「国策っぽい」ニュアンスを含む必要があったのではないでしょうか。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
清水ワールド全開の「マヂック」に感動しました‼️
将に「情緒的イルージヨン」に乾杯🍺🎶🍺🎶🍺しました‼️
「川崎弘子さんが」「情緒的イルージヨン」だったら、「展開」が「変わっていたでしようか」「学者先生の「斎藤達夫先生」」が「快演」に「拍手喝采」ですねぇ✨
素晴らしい作品に「乾杯🍺🎶🍺🎶🍺しました
」