「めし」は、庶民の夫婦の理想と現実を否応なく描き出した、大人のビターな物語です。

長屋住まいの貧乏夫婦という地味なテーマを、原節子と上原謙という「大スター」が演じる事で、よけいに夢と現実とのギャップが強調されているように見えました。

結婚への失望というのは、誰でも多かれ少なかれ感じている事だと思います。
そして、ときどき苦労して連れ添う意味が見いだせなくなる気持ちも分かる気がします。

そういう中でヒロインが、共に助け合いながら這い上がって行こうとする「過程」に面白さがある事に気付いていく姿には、共感するものがありました。

生活に疲れた主婦、三千代(原節子)


三千代は、大恋愛の末に結ばれた夫・初之輔(上原謙)との結婚生活に失望感を抱きはじめています。
あの頃の情熱は失せ、夫は食事中も新聞を読み、ほとんど会話らしい会話はありません。
三千代は、夫よりもみすぼらしい子猫の方が気になるといった風で、いかにも倦怠期の夫婦の図という感じです。

三千代は元は良家の令嬢らしく、昔は琴を弾いていたとか、憧れの的だったという話が会話の端々に出てきます。
同窓会に行けば優雅な連中が集まり、とても今の生活について語る気にはなれません。
仕方なく親戚の家へお金を借りに行ったりしますが、ここもいかにも山の手という感じです。
かつての恋の情熱、娘時代の裕福さが、今の苦しい単調な暮らしとのギャップとなって、三千代を苦しめるのでした。

原節子さんの出演している映画


やりたい放題が許されてしまう姪、里子(島崎雪子)

そんな二人のささやかな生活に、波紋を起こす存在が現れます。
初之輔の姪・里子(島崎雪子)が、家出して来て居座ってしまったのです。

里子は奔放でわがままな性格で、おまけに初之輔に気があるようです。
それでいて近所のフリーター男と遊び歩いたり、お隣の二号さんと近づきになって夜遊びしたりして、三千代たちの生活を騒がせるウザい存在です。

ただウザいだけならそれ程問題は無いのですが、里子は三千代が失ってしまった「未来と自由を持っている」という所が、どこか癪に障るのかもしれません。

さんの出演している映画


帰る場所は無かった・・・

三千代にとって何よりも腹立たしいのは、初之輔の里子にチヤホヤする態度でした。
三千代はとうとう意を決して、家を出て東京で働く決心をします。
里子を家へ送り届けるという口実で、とりあえず実家へ帰る事にしました。

実家は妹の婿・信三(小林桂樹)の代になっており、一家は個人商店を営んでいます。
三千代はようやく一息つけたとばかりに、実家で伸び伸びと休暇を満喫するのでした。
ところが、そこへまた里子が乱入してきたから たまったものではありません。
夜遅くいきなり転がり込んできて、一晩泊めて欲しいなどと言い出します。

ところが信三は初之輔と違い、ハッキリとものを言う性格でした。
里子の高飛車な態度に、真正面から対抗していきます。
ところがその流れで、里子とは違うと思っていた三千代まで同列に叱られてしまい、実は三千代もけっこう迷惑な存在だという事に気付かされてしまうのです。

三千代は、こうして迷惑な居候にビシっと一発食らわせる信三や、夫を助けて頑張る妹の姿を見て、何か感じ入るものがあったようです。

成瀬巳喜男さんの監督映画


1951年公開

1951年という時代は、超インフレでまだ物資が手に入りにくい時代だったようで、庶民のお米も満足に買えない様子が描かれています。
昔の映画を見ていると、一般的な家庭でも女中さんが居たりするのは珍しい事では無かったようですが、それは家電もサービスも無かった頃は家事労働も大変だったという事を表わしていると思います。
三千代の家庭も「一日中ご飯ごしらえと市場通いばかり」というセリフから、毎日働き詰めである事がわかります。
初之輔は証券会社に勤めていますが、職場では新品の靴を履いていただけで「豪勢だんナ~」と突っ込まれるほどギリギリな感じの暮らしぶりです。

こんな庶民の暮らしとは裏腹に、バブル的で面白かったのが当時の「キャバレー」の描写です。
1,000人のホステスと1,000人のダンサーがいるという「メガ・キャバレー」といった風で、会場はコンサート・ホールのように巨大です。
そこではレビューのようなショーを見物したり、なぜか着物を着た女性とダンスを踊ったりして楽しみます。
今から見てもかなり豪華な感じで、国全体が貧窮している訳ではない事を示しています。

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