「有りがたうさん」は、同じバスに乗り合わせた乗客たちが、道中で織り成す人間模様を描いたロードムービーです。

バスに乗り込んで来た人たちの ちょっとした会話の中には、それぞれ人生の哀愁がにじみ出ていました。
それでも皆とても朗らかで、慈しみ合い、ほっこりした雰囲気で同じ空間を共有する様子に、日本人の持つ美徳を感じます。

軽快な音楽が自動車のスピード感を、流れ行く車窓が臨場感を醸していて、ドライブ気分が味わえる演出も斬新でした。
戦前の舗装されていない道路や木造の家屋、海岸線や山道の美しい景色は、白黒なのに光や色までが伝わって来るようです。

旅芸人や農民、失業者の家族連れに道路坑夫、そしてゴールドラッシュで身を持ち崩した男など、乗客やすれ違う人々の多様性が当時の世相や暮らしを表していて、ロードムービーとは思えない深みがありました。

街道一のアイドル運転手「有りがとうさん」(上原謙)

この映画の主人公は、なんとバスの運転手さんです。
彼はいつも、道行く人に「(道を譲ってくれて)ありがとう~」と声を掛けるので、通称「有りがとうさん」なのでした。

停車場でもない場所で止まって伝言やお土産を頼まれたり、街道を行く人々と一言二言、言葉を交わして行く様子が牧歌的で、時代を感じさせます。

乗客は穏やかな人揃いで、有りがとうさんがよそ見をしていて、危うく谷底に落ちそうになっても
「いやぁ、ちょっと軽業をやってしまいました」
で済んでしまいますww

有りがとうさんは親切で礼儀正しく、イケメンと来たから、特に女の子たちの人気者です。
おまけに近々「シボレーのセコハン」を購入して、独立するつもりなのでした。

上原謙さんの出演している映画


観察眼がするどい、渡り鳥の姐さん(桑野通子)

有りがとうさんのバスに、水商売風の流れ者の女が乗り込んできます。
この姐さんも有りがとうさんのファンらしく、1本やり過ごしてまで このバスに乗り、運転席の真後ろの座席を陣取ります。
そして彼にタバコを1本せがんだりして、いかにも堅気ではない雰囲気を醸しています。

バスには東京へ行こうとしている母娘が乗っていますが、どうやら娘の身売りらしい事が分かってきます。
事情が分かると、姐さんは何かとこの娘を気遣い、近寄るエロオヤジから救ってあげたりします。

バスでの長い道中、乗客はこの姐さんと関わりを持たないように振る舞う空気が、何となく見え隠れします。
悲しい境遇の母親も、お菓子を配って歩く時には、姐さんだけ避けて回ったりします。

ところがこの姐さん、イジケる事なく「ひがませるもんじゃないわヨ」とツッコミを入れたりして、あくまでも堂々としている所が良いです。
さらに姐さんが、男たちにウィスキーをおすそ分けしようとしても
「わたしゃ、甘党なんで・・・」と、誰も受けてくれません。
表立っては現さないものの、住む世界の違う者には近づかない所が日本人らしく、リアルだと思いました。

とはいえ、お酒を持って席を立ったのが、一人も受けてくれないという収まりの悪さに、この小さなバス内の空気が凍りついてしまいそうです。
と、そこはさすがの姐さんで
「みんな甘党とか言いながら、もらった羊羹のやり場に困ってるじゃないのさ」
と図星を突いて男たちの緊張をほぐしてやるという、コミュニケーションの達人なのでした。

人にとても興味があるらしく、乗客ひとりひとりの様子を洞察し、それがいちいち的を得ていて感心してしまいます。

桑野通子さんの出演している映画


姐さん、核心を突く

バスが終点に近づくにつれて、有りがとうさんは娘の事が気がかりになってきます。
彼はこの道中の最初から、娘の事が気になって浮かない表情をしていたのです。

バスが谷底に落ちそうになったのも、思わず泣き出した娘に気を取られた結果でした。
彼が娘に語るセリフにも、彼女の行く末を案じる気持ちが現れています。

「この秋になって、もう8人の娘がこの峠を越えたんだよ。
製紙工場へ、紡績工場へ、それから方々へ・・・
おれは葬儀自動車の運転手になった方が、よっぽど良いと思うときがあるよ。」

娘の方でも、どうやら彼に淡い恋心のようなものを抱いているらしく、彼女の「ありがとうさん、助けて!」という心の叫びが聞こえてきそうです。

そして、有りがとうさんの視線をバックミラーごしに観察していた姐さんは、すべてを理解したようです。
有りがとうさんに
「シボレーのセコハン諦めたら、娘さんは一山いくらの女にならずに済むんだよ」
と耳打ちし、彼の背中を押してやるのでした。

清水宏さんの監督映画


1936年公開

結局、娘はもと来た道をそのまま帰る事になるという、ラストの展開にはかなり驚きました。
戦前の日本人には、何かエゴを超越したものがあったのかもしれない、などと勝手な想像をしてしまいました。

街道には、バスに乗れず歩いて峠を越える徒歩の人々も結構いました。
そして時制は、子供が生まれても女の子は出稼ぎや身売りの憂き目に、男の子は仕事に就けないという、とんでもない不況です。
朝鮮の坑夫らは道を造るだけで歩く事は無く、おまけに けっこうな割合で女性も混じっています。

渡り鳥で帰る場所もない姐さんの暮らしも侘しいし、有りがとうさんの独立の夢も潰えてしまいました。

それでも人々は、それぞれ悲しい想いは胸の内に秘めて、穏やかに笑っているという強さが、何とも言えず心に残ります。

【ちょっと余談】伊豆の情緒を求めて・・・

流れ行く車窓を見ていたら、伊豆の緑を見に行きたくなりました。
もう、この頃の風情は望めない事は分かっているものの
往時を彷彿とさせてくれるようなスポットは無いものか、と探してみました。

今回は映画のロケ地などにはこだわらず、映画の雰囲気が感じられるような
レトロで静かで、自然が豊かなイメージを求めての画像調査ですww

そして、ピンと来たのは「古奈別荘」という所でした。
昭和初期の別荘建築を利用した旅館で、立地、建物ともに味わいのある空間です。
立派だけど華美すぎない所が良く、伊豆の自然が堪能できそうです。


そして今回に限っては、やはり電車ではなく「東海バス全線ふりーきっぷ」というのを使って、ロケ地の下田や天城峠などをあちこち巡ってみたいものです。

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