「生きている画像」は、芸術をこよなく愛する人たちの人生を描いた物語です。

二人の門下生を通して、洋画の大家である「瓢人先生」の人となりが描かれていて、その温かさや物事を見る確かな目、凛とした気迫が魅力的でした。

この作品に出てくる登場人物たちは、合理的に考えると無駄な事ばかりしています。

40を過ぎても見込みが無く、師匠のもとで画家を目指している弟子や、
寿司職人として良い腕を持ちながら、絵画に夢中になり「50の色狂い」と揶揄される男、
そして極めつけは、好きで中年の画家「志望」の男と一緒になり、子を成す女など・・・

ところが彼らも「心の目」で見たら、実は最高の人生を謳歌しているのではないかという気がして来るから不思議です。
世俗的な価値観にとらわれず、心の底から湧き上がる思いを貫いている彼らには「迷い」がありません。
その精一杯あそび、生きる真摯な姿に目が覚める思いがして、ちょっと良いものを発掘したような楽しさのある作品でした。

万年落選組の画家、田西(笠智衆)


田西(笠智衆)は、洋画家の大家・瓢人先生(大河内傳次郎)の門下生です。

門下生といえば聞こえは良いですが、彼は既に40代になっていて、いわば師匠に寄生する中年ニートといった存在です。
「帝展」(戦前の日展)に出展しては落選を繰り返し、いまだ入選できないので、あだ名も「落選」です。

ところが そんな田西が、うら若いお嬢さんと結婚したいと言い出したから大変です。
もちろん田西も非常識な事は分かっているのですが、どうやらこの話は相手の美砂子(花井蘭子)の強い意志から来ているのでした。

美砂子の父親は彫刻家を目指し、道半ばで亡くなってしまいました。
だから彼女の夢は「芸術家を誕生させる手助けをする事」で、この結婚は単なる恋愛感情だけでなく、人生の目的に繋がっているようです。

瓢人先生は、大抵の事には理解のある懐の深い人ですが、この無謀な結婚には絶対反対でした。
「結婚するなら破門にする」と言い、田西を思いとどまらせようとします。

ところが美砂子の意志は固く、誰にも覆す事は出来ません。
そんな二人の決意が並大抵の事ではない事が分かると、瓢人先生は打って変わって、今度はとことん彼らの味方になってやるのでした。
人生で最初で最後の仲人を務め、大嫌いなスピーチもするし、しまいには「ひょっとこ踊り」を披露して婚礼の余興まで買って出てやる様子には、熱いものが込み上げて来ます。

才能を持て余し放蕩三昧する、南原(藤田進)


瓢人先生には、出来の悪い門下生がもう一人います。

田西とはまた違ったタイプの南原は、才能はあるのですが、その私生活はメチャクチャです。
いつも酔っ払っていて、帝展の審査会場に乱入し、自分の作品を切り裂いたりする非常識な男なのです。

おまけに彼は女癖も悪く、いつもお金に困っているのでした。
田西が地味な貧乏なら、南原は借金王といった感じで、酷い時などは師匠の作品を盗んでお金に替えたりする有様です。

それでも先生は彼を許し、自分が一番美味しいと思う料理屋で酒を振る舞ってやる様子は、実の親以上に寛大です。
瓢人先生には女房も子供も居ないので、彼ら門下生が先生にとっての子供なのかもしれません。

南原は、特選に選ばれるほど才能に長けているのに、なぜか田西には一目置いている様子です。
確かに田西はいつも穏やかで楽しそうなのに比べ、南原は何かに怯えているような所があるのでした。

田西の試練

田西は貧しいながらも幸せな時を過ごし、赤ん坊にも恵まれました。

ところが美砂子は妊娠中毒症になり、体力が弱っていた上に酷い難産で、出産のときに亡くなってしまうのでした。
田西は、その美しい死に顔を心に焼き付けます。
そして美砂子の面影を作品へ投じ、帝展で見事「特選」を獲得するのです。

絵画というのは写実の技術を争うものではなく、作者の心に映ったものが描かれているのが優れた芸術作品だという話を聞いた事がありますが、田西は妻との別れがキッカケとなり、その極意を獲得したのかもしれません。

南原は田西に「お前には完敗した。俺は筆を折る」と言いますが、瓢人先生に「弱音を吐くな」とアッサリ退けられてしまいますww
絵画の世界はかなり才能がものを言うようですが、それでもやっぱり修行やスキルの習得は欠かせないものです。
南原が田西に感じていたコンプレックスは、彼の絵画への飽くなき情熱だったのかもしれません。

1948年公開

映画には「帝展」にの入選に、生涯を捧げた夫婦が登場します。

今となっては大げさに思えますが、舞台設定の昭和初期頃では、画家が活躍できる場はまだまだ少なかったようです。
唯一の官設の公募展覧会であった「帝展」は、画家の登竜門的な役割も果たしていたというニュアンスが、物語からは伝わってきました。

一方で寿司職人のオヤジも出展していたりと、趣味人の遊び場的な面もあったようです。
亭主が絵画に夢中になるのを苦にした女房が、瓢人先生に
「一銭にもならない絵に血道をあげて、何の得になるんですかね」
とボヤくのに対して
「あれだけ愉しめば、充分モトが取れてるよ」
と返すセリフには、人生の醍醐味が込められているようでした。

「本当に楽しむ」のは結構たいへんで、真剣勝負なのだと気付かされます。

【ちょっと余談】時代劇のスターが残してくれた、日本の美

時代劇のスターであった「大河内傳次郎」さんの貫禄たっぷりな存在感は、日本映画の戦前黄金期を思わせるものがありました。

もし京都に行く機会があったら、彼が30年つくり続けたという「大河内山荘庭園」に行ってみたいと思っています。

庭園の美しさも さる事ながら、嵐山や保津川、比叡山や京の町並みが眺められるという、絶景の立地にも心惹かれるものがあります。
このすぐ近くに、レトロな佇まいで眺めも良い渡月亭という旅館もあったので、ゆっくりお庭と景色を堪能できそうです。

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