「浪華悲歌」は、父親が横領をしたために、堅気の娘が身を持ち崩して行くというダークな物語です。

男の黒い部分がクッキリと描かれた けっこう気分の悪いストーリーなのですが、映像が美しいのが印象的で、オシャレなファッションや戦前の大阪のレトロモダンな様子の場面一つ一つが、絵のようにキマっています。

かなりヘビーな内容なのに、大げさな表現は一切無く、どう見ても犠牲者である娘はあっけらかんとしています。
そんな無邪気な娘が、善悪の区別を無くしてパワーアップして行く様は怖いものがあります。

普通のドラマなのに どこかホラー的な撮り方がされていて、何が起こるかハラハラしてしまうという独特の映画でした。

どんどん堕ちていく娘、アヤ子(山田五十鈴)


電話交換手をしているアヤ子は、父親が会社のお金を横領してしまった事で頭を抱えています。

会社側は即訴える事なく、お金を返せば許すと言って猶予を与えてくれている為、何とか金策がつかないか悩んでいるのです。
そもそも娘が解決すべき筋のものでもないような気がしますが、アヤ子はやはり父を前科者にはしたくありません。

アヤ子ははじめ職場で一緒のボーイフレンドに相談を持ちかけますが、彼はあまり親身になって聞いてはくれませんでした。
それどころか、上司にセクハラを受けている事についても真剣に心配してくれません。

アヤ子は思った事をズバズバ言ったり、すぐ頭に来る質のようで、会社の取り立てから逃げ回っている父親とはいちいち衝突してしまいます。

ある日、父親に「出て行け」と言われた言葉を真に受けて、家を飛び出します。
そして どこへ行ったのかと思ったら、とうとう上司の愛人になってしまったのでした。
それは父を前科者にしたくないというよりは、家出して行く場所がないから そうなってしまったような、ちょっと違和感のある展開でした。

アヤ子は父親に憎まれ口をズバズバ言うし、父親も親らしい愛情を注いでくれる様子は全く無く、親子関係は冷え切っているのです。
どうしてアヤ子がここまでして犠牲になろうと思ったのか、その辺の心理は一切描かれていません。

どこまでも黒い父親

アヤ子の父親はとんでもない人物で、横領をしていながら反省の色が全くありません。
「わしのお影で会社が発展したのに生意気な!」みたいな意識しか無いのです。

それでいて会社の人がお金を取り戻しに来ると、逃亡がてら釣りに出かけてしまいます。
結局、残ったアヤ子が会社の人に責められて、平謝りするしかないような立場に追い込まれるのでした。

父親が娘に一切愛情を注いでいないのは、二人のやり取りだけでなく行動にも現れています。
家出したアヤ子を心配するどころか、ちゃっかりアヤ子からお金を受け取って、おまけにコネで就職の口まで貰ってしまいます。

この家庭には母親がおらず、父親一人でアヤ子やその兄と妹3人の子供を育てて来たようです。
とても愛情を注ぐ余裕など無かったのかもしれませんが、それにしてもアヤ子への仕打ちは冷酷な感じがします。

父親は兄妹には事の次第を一切告げず、アヤ子が我儘で家出した事にしてしまうのでした。

だんだんドスが効いてくるアヤ子

父親のために とんでもない犠牲を払ったアヤ子ですが、彼女はその上 兄が就職資金が無くて仕事に就けずにいるという話を聞かされます。
就職するのに資金が要るというのはよく分からない話ですが、その辺はあまり詳しく描かれていません。

ところが、なぜかアヤ子は今度も妙な義侠心を発揮するのです。
上司とつながりのある男を誘い、今度は色仕掛けで金をだまし取ります。
その男が警察へ訴え出たので、アヤ子は警察に連れて行かれて取り調べを受ける事になってしまいました。

今回だけは情状酌量で帰してもらえたのですが、引き受けに来た父親はアヤ子を「不良め!」と叱るだけです。
何も知らない兄妹たちも「家の面汚しだ」と冷たく、気分を害したアヤ子はまたアテもなく家出してしまいます。

アヤ子は、どうして自分がこうも堕ちて行くのか、その原因を深く考えようともしません。
相変わらずあっけらかんとしており、何とかなるだろうという妙な自信のようなものを持っているのです。

それは、やっぱり若くて美しいアヤ子のような娘を蝕む金持ちオヤジ達の存在が後を絶たないからなのでしょう。

1936年公開

1936年といえば、けっこう日本も近代化してモダンだった頃だと思います。

ところが、この映画には相変わらず儒教的な倫理観がクッキリと描かれています。
同時代の映画には、色々と解放された女性像が描かれていますが、結局それは”恵まれた境遇”の場合だけのようです。
むしろそっちの方が理想像的な少数派で、じつは大半はこういう女性にとって生きづらい社会だったのかもしれません。

こういう現実を容赦なく描く映画というのは聴衆には受けないので、あまり描かれなかっただけと考える事も出来ます。
ただこの映画は、こんな醜い話をゾッとするような美しさに変換している所が、どこか芸術的な香りのする作品でした。

コメント

    • bakeneko
    • 2019年 4月 20日

    『宗方姉妹』では、姉の節子と妹の満里子が、正反対の人間に描かれているので、妹の満里子を理解すれば姉の節子が分ると書きました.

    同様に、この後撮られた『愛怨峡』は、『浪華悲歌』とは正反対の映画なので、両方を比べて考えれば、どちらの映画もよりよく理解されると思います.

    それはさておき、主演の山田五十鈴は、役のアヤ子と同じように実家が借金を抱えていました.(溝口健二は知っていて抜擢した)
    山田五十鈴は、既に結婚していて子供がいたので、この映画を最後に引退するつもりでいましたが、自分の映画を観て引退を思い止まったそうです.
    その後、彼女は家族と一緒に借金を返しただけでなく、離婚、結婚を繰り返し、売れない映画監督と一緒になると自分のお金で家を建てて、別れるとき家は相手にあげて自分が家を出る、あるいは、売れない俳優と一緒になれば自動車を買って上げたりと、映画とは反対の、女が男に貢ぐ生活をしたらしいです.

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