昭和初期の日本映画には、貧困と病気が重なり、悲惨な状況に追い込まれる家族の姿がよく出てきます。

そして その深刻さはいつも、病人そのものよりも、むしろ その家族へと悲劇が及んでいく事で描かれるのが特徴です。
それは、そんな事態こそが「地上の地獄」だという事を物語っているのかもしれません。

国民年金や国民皆保険の体制が整えられるには、1961年(昭和36年)を待たなければなりませんが、こういう制度を持つ日本はやっぱり特別な国であるという事を、改めて実感させられます。

今回は、社会保険のなかった時代を描いた、出口の見えない家族の悲劇を描いた映画をまとめました。

【雁】家族の生活のために、売られる娘

「雁」には、家族のためにジワジワと縛られていく娘の姿が描かれています。

時代は一気に明治へと遡りますが、ヒロインは下町の長屋に父親と二人で暮らす、貧しい飴細工売りの娘です。
父親はひどく年老いていて、子供を養うどころか娘の縁談を利用して、老後の生活を保障してもらおうとしています。

娘は知人の紹介で呉服商の後妻となりますが、この縁談は詐欺でした。
相手の職業は呉服商ではなく高利貸しであり、亡くなったと聞かされていた妻は健在で、娘は妾にされてしまったのでした。

おまけに相手は父親ほども年の離れた粘着質でいやらしい男だし、「高利貸しの妾」という事で近所からは迫害され、正妻からは怨念を向けられるという惨憺たる有様です。

ところが娘が父親に助けを求めに行くと、父親は与えられた住居と生活費を手放す事が出来ず、娘に「辛抱してくれ」と突き放します。

そして、こんな真っ暗な生活の中でひとつだけ咲いた、学生さんとの淡い初恋も、結局は虚しく消えていくのでした。

【泉へのみち】現在だけでなく、未来をも売る子供

「泉へのみち」には、小さな町工場で働く、貧しい娘が出てきます。

娘の父親は肺結核にかかっており、兄弟たちはまだ小さいため、一家の働き手はこの娘ひとりきりです。

ところが娘の給料だけでは、父親の医療費までは賄えません。
娘には恋人がいましたが、彼女は工場長に身を許し、お金を「借り」ます。

それも更に、その借金にサラ金並みの「利子」まで付けられてしまうのだから、ここまで来るともはや意味がわかりません・・・。

人間、弱味があると、どこまでも付け込まれるのだという恐ろしさを物語っていました。

【赤線地帯】死なせてもらえない、生き地獄

「赤線地帯」には、病気の夫と乳飲み子を抱えて、身を売るしか無くなった妻の姿が描かれています。

この女性は、もとは普通の主婦だったような人です。
それが戦後の大不況のさ中に夫が病気となり、一度は一家心中をしかけもしました。

それでも何とか思い直し、乳飲み子を育てるために赤線(売春が公認された地域)の娼婦となったのでした。

この夫婦が何とも言えず悲惨なのは、夫の結核には薬への耐性が出来てしまっているのに「気休め」のように薬を飲み続けている所でした。

どんなに妻が頑張ったところで、夫を入院や療養のために転地させる事はままなりません。

おまけに夫は売春を心底軽蔑していて、妻への罪の意識から自殺をはかるものの、やっぱり彼女に止められてしまいます。

「私たちは泥棒した事もないわ。世間に対して、何ひとつ悪い事した覚えもない。
それなのに、身体を売らなきゃ生きて行かれなかったじゃないの。
淫売に落ちてもやってけない女がこの次に何になるか、はっきり見極めてやるわ」

と怒りに震える妻の様子は、生き地獄に堕とされて鬼と化したような、恐ろしい気迫を放つのでした。

この時代へと逆行しないために・・・

今回は、あまり集めたくないようなテーマであり、なかなか辛いチョイスになりました・・・。

それだけ社会保障制度のなかった時代というのは、様々な悲劇が繰り広げられてきたのでしょう。
ただ、この事実に目を背けるわけには行かないくらい、いま日本にとって危険な流れが起こっています。

それは「ベーシックインカム」制度の推進です。
ざっくり言うと、国民一人あたりに対して、例えば月々7万円とかの現金が支給される代わりに、社会保険を一切なくしてしまうという制度です。

確かに「働かなくてもお金が支給される」というのは、働けない人にとってはメリットのように思えます。
ただ こういう考えは、病気になった時の事を想定しているんだろうか?という素朴な疑問が拭えません。

国民健康保険は、所得が低い人の保険料は安く、高い人の保険料は高額でありながら
すべての人が同等の保障を享受できるという、日本ならではの医療保険制度です。

逆に言えば日本以外の国では、映画のような地獄が今もなお続いているわけです。
日本人はなぜ、こんな世界に先んじて整えられた優れた制度を、わざわざ手放さなくてはならないのでしょうか?

いくら現金が支給されても、それはせいぜい生活費を賄えるかどうか?というレベルが関の山でしょう。

一方で健康保険が無くなれば、民間の保険会社の高額な保険料を収めなければなりません。
そんなものを購入できない人は保障を受けられなくなり、病気になっても医療費が支払えなくなります。

そして医療費じたいも、国が手を引く事で爆上げする事が予想されます。
このへんの事は、アメリカの庶民の実情で立証済みだと思います。

一方で「年金」は、ある意味ベーシックインカムを既に実現しているのではないかと思います。

保険料を収められなかったり、定年後も収入があると金額の増減は起こりますが、それでも手続きさえすればゼロになる事はありません。
現状の制度を下手にイジるのは「改悪」を来すような事ばかり なのではないでしょうか。

結局ベーシックインカムというのは、国民の為のものではなく、公的な社会保障制度に阻まれている、民間の保険会社の利益の為に提案されたもののようです。

「フィンランドで成功した」とか何とか言っていますが、最近のメディアの情報はあまりアテにはなりません。
それよりも、かつての日本の惨状や、現在進行形のアメリカの実情を見れば、結果は歴然としているのではないでしょうか。

いつの間にか「自己責任」という言葉が市民権を得ていまいましたが、かつての日本はそういう国柄ではなかったように思います。

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。