美わしき歳月

「美わしき歳月」は、悩み多き青年たちの、人生と恋のゆくえを描いた群像劇です。

かつて希望に燃えていた青年たちが、就職難と生活難の吹きすさぶ社会で、理想と現実のギャップに悩み苦しむ様子が描かれていました。
中学時代の親友同士が社会人になり、だんだん話や考え方が合わなくなってきても、誰かがピンチに陥るや、とたんにピタッとまとまる様子が素敵です。

それぞれのキャラが別々の世界で生きているようでいて、じつはお互いに影響を与え合い、明るい未来へと導いているような、確かなネットワークを感じました。

お婆ちゃんと二人っきりの娘、桜子(久我美子)

 

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桜子は、戦災で親と兄を亡くしてしまいましたが、頼もしい祖母のおかげで、すくすくと影のない快活な娘に成長する事ができました。
お婆ちゃんと二人で都心に花屋を営み、細々ながら堅実に暮らしています。

桜子の兄には中学時代の仲良し3人組がいて、彼らとは今も昔ながらのお付き合いが続いています。
そして彼女は、この3人組のひとりである今西(木村功)と恋人同士で、結婚の約束もしている仲です。

ところが今西は医者でありながら、同じ職場に長続きした試しがありません。
正義感の強い彼は、病院の金儲け主義に馴染む事ができず、勤務先を転々としているのでした。
そんな状況で、二人はなかなかお婆ちゃんに切り出す事ができずにいます。

ところが桜子は、突然 今西に
「僕はしばらく君の事を忘れて、ひとりでものを考えてみたいと思うんだ」
と言われてしまいます。
話し合おうにも質問にすら答えてくれず、ひとりで悩んでいるのでした。

心の灯火のような、肝っ玉お婆ちゃん(田村秋子)

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産業経済新聞社(Sankei Shinbun Co., Ltd.) – 『サンケイグラフ』1955年5月1日号、産業経済新聞社
”The Sankei Graphic”, Sankei Shinbun Co., Ltd. 1955., パブリック・ドメイン, リンクによる

お婆ちゃんと桜子の営むお花屋さんは、青年たちがそれぞれ訊ねて来る「ハブ」のようなスポットになっています。
このお婆ちゃんの面倒見の良い温かな人柄は、せち辛い社会で落ち込みがちな青年たちの、心の拠り所のような存在です。

彼女は最近、ふとした事であるお金持ちの老紳士と知り合いになりました。
彼はお店を訪れるうちに、桜子を大変気に入ってしまいます。
というのは、この老紳士にも桜子と同年代の息子がいて、ぜひその嫁にと大乗り気なのです。

これは桜子の将来が心配なお婆ちゃんにとって、願ってもない幸運でした。
それとなく二人を引き合わせ、その感触を質問する姿は何ともいえず楽しそうです。

老紳士の息子もとても感じの良い人で、結婚相手としては理想的なタイプと言えそうです。
桜子も満更でも無さそうだし、お婆ちゃんは
「あの人から縁談を申し込まれているんだよ」
と、そっと孫に打ち明けるのでした。

巣立ちのとき

桜子はここのところ、様子がおかしい今西とギクシャクしていました。
一方で老紳士の息子とデートしたりして、彼女は宙ぶらりんな状態になってしまいます。

そこへ突然3人組のひとりから、今西が黙ってひとりで秋田へ行ってしまうつもりだという事を聞かされます。
桜子が今西を問い詰めると、彼はお婆ちゃんへの配慮から、彼女を連れて行く事は出来ない気持ちだったのです。

桜子は、彼が東京へ戻るのを待ちたいと伝えますが、今西は聞き入れません。
秋田の行く先は伝染病研究所で、社会貢献としての意味合いが強い仕事です。
心境的には「背水の陣」であり、ほとんど再び戻って来るという気分ではないのです。

桜子は、もう諦める他ないと悟ります。
家に帰ると、お婆ちゃんは何かを察知しているように見えました。
桜子が何か悩んでいる事に気づき、彼女の日記を見たのでした。
お婆ちゃんは桜子の気持ちを確かめると、迷う事なく言います。

「私はお爺さんが亡くなったとき、一緒に死のうと思ったよ。
だけど、お前のお父さんがいた。
お前のお父さんや、お前のお母さんが死んだときにゃ、本当にもうだめだと思った。
そしたら、こんどはお前がいた。
今はもう、いつ死んでもいいはずなのに、今度はお前の赤ちゃんがみたい。
赤ちゃんが出来たら真っ先に知らせておくれ、飛んでいくからね」

と、ひとりで店をやっていく決心をして、桜子を秋田へ送り出してあげるのでした。

1955年公開

この映画に出てくるキャラたちは「戦中派」と言われる世代にあたると思います。
戦中派というのは、戦前派と戦後派という区分が出来るくらい人心が変化した頃の、ちょうど過渡期に青春時代を送った人たちです。
イメージ的には、戦前派が激烈な理想主義ならば、戦後派は冷めた功利主義といった感じでしょうか。

確かに価値観がこうも激変すると、両方の時代を経験した人は、何が本当で、何が虚構なのか、分からなくなってしまうような気もします。
彼らが事あるごとに意気消沈し、迷ってばかりいるのは、そういう時代背景も影響していると思いました。

一方で、おばあちゃんは年代的に明治生まれだと思いますが、そのガッチリと地に根を張ったような安定感と頼もしさ、そして何よりもその明るさには心惹かれるものがありました。
彼女のエゴを超越した懐の深さや、現実を見据えて自分の足で立つたくましさと、自らを「つくしんぼ」と呼ぶ弱々しい若者たちとでは、何か決定的な違いを感じてしまいます。

「年の功」だけでは説明が付きそうもない明治生まれのメンタルの強さには、何か現代人の知らない秘密要素でもあるのではないか?という気がしました。

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