「たそがれ酒場」は、ライブ・ハウスのような大衆酒場の一日を描いた群像劇です。

ここに集った様々な人々が、同じ時と空間を共有し、やがて それぞれの道へと別れて行くという、人生の縮図のような物語でした。

酒場の中は、懐メロや民謡、クラシックに、のど自慢や合唱などの「飛び入り」からストリップまでアリという、オールジャンルの「ごった煮」状態です。
趣味や趣向の細分化した現在からは考えられないようなカオス感や、お客たちの一体感がエキサイティングで楽しそうです。
開放的な吹き抜けのようなオープンな空間と、ロフトのような舞台も、不思議な赴きがあって良い感じでした。

物語に登場する若者たちは、つらい挫折に見舞われながらも、投げやりにならず純粋な輝きを放っていて素敵です。

一方で、パチンコの景品であるタバコを売って暮らす人や、座を盛り上げたり団体客に紛れ込んだりしながら「おこぼれ」に預かる不思議な人物など、細々とでも生きる術を見出し、不本意な生き方を避ける人たちにも興味深いものがありました。

人生の喜怒哀楽を見てきた老人、梅田(小杉勇)


庶民の憩いの場である「たそがれ酒場」で、給仕の女の子たちに先生と呼ばれて慕われている梅田は、ここの常連客です。

彼はかつては著名な画家でしたが、今はパチプロとして ひっそりと暮らしています。
梅田が筆を折ったのには、深い理由があります。

彼は戦争中、戦争画で活躍した経歴があります。
梅田自身はその信義から、情熱を持って戦意を奮い起こさせるような絵を書いていました。
ところがいざ戦争が終わってみると、彼は若者たちを戦地へ送り出す事に加担したという、贖罪の念に苛まれ始めます。
その結果、彼の絵画への意欲は失われてしまったのでした。

今では酒場に出入りする不遇な若者たちの味方になり、何となく「先生」と呼ばれる心優しいオジさんといった存在になっています。

人の痛みがわかる心優しい青年、健一(宮原卓也)

健一は、子供の頃に両親を亡くした身寄りのない青年ですが、才能と良き師匠に恵まれ、酒場の歌い手ながら本格的なオペラ歌手になる事ができました。

彼の師匠である「たそがれ酒場」の専属ピアニスト江藤(小野比呂志)は、かつては歌劇界の花形でした。
ところが彼は昔、弟子と妻の両方に背かれ、衝動的に妻を切りつけて死なせてしまったのです。
それまでの華やかな人生は一転し、今ではいつもワンちゃんを抱いた、ちょっと引きこもり感のある存在感の薄いお爺さんとなっています。
そんな江藤の唯一の希望は健一の存在で、彼だけが生き甲斐という感じです。

健一はまだ若く実力もあるようですが、酒場の歌い手をしていたところで明るい未来は望めそうもありません。
そころが彼の歌っている所へ、なんと新日本歌劇団の中小路竜介という、歌劇界の大物が訪れます。

そして中小路は、健一の才能をひと目で見出し、彼を自分の歌劇団に迎えたいと申し出るのでした。
この またとない幸運に健一は大喜びで、さっそく江藤に許しを請います。
ところが意外にも、江藤の返事は「No」だったのでした。

悔いのない人生へ

江藤は、健一にとって師匠以上の存在で、いわば親のような恩人です。
健一は、どうして江藤がこの幸運を喜んでくれないのか、入団を許してくれないのか、納得できません。

「理由を言ってくれなければ、諦めきれません!」
という健一の抗議に、江藤は
「中小路の所だけは、行ってくれるな」
と言うばかりです。

そんな江藤の姿を見て、梅田は放っておけなくなります。
そして彼は、客のなかに中小路の姿を見つけた上で「カルメン」をリクエストし、
こういう結果を生むよう仕向けたのは、自分だと打ち明けます。

ところが中小路は、江藤の人生を狂わせた例の弟子だったのです。
そしてその男が、今また彼の大切な健一を、自分の手元から連れ去ろうとしているのでした。

梅田はすべてを承知の上で、あえて江藤に諭します。
「私は、君の長年の苦しみや孤独を知っているし、辛い気持ちも痛いほど分かる。
だけど将来有望な健一を、一生酒場の歌うたいで終わらせるのは残酷すぎる。

我々年寄りは、若い者のためには捨て石になる事も、肥やしになる事も必要だ。
そして中小路を通して、健ちゃんの上に大きな花が咲く・・・」
そう言う梅田の言葉は、自らの人生への後悔が重なっているように聞こえます。

そして、この話を聞いてしまった健一は
「僕、もう何処へも行きません」
と言います。
ところが このとき江藤も、健一を快く送り出してあげる決心がついていたのでした。

1955年公開

音楽のある大衆酒場にさまざまな種類の人々が集い、和やかに過ごしたり時には反目し合うという雑多な雰囲気が、この映画の醍醐味だと思います。

そして、それぞれの曲目へのお客の反応を見ていると、音楽というのは人々の属するコミュニティが映し出されている事が分かります。

伝統的な歌、貴族の歌、庶民の歌、故郷の歌、学生の歌、朝鮮の歌、兵隊の歌・・・などナド。
それぞれのキャラによって、反応する歌が違うのが面白いところです。

だから対立するコミュニティが同居すれば、その歌が敵対する相手にとっては不快なものになったりもします。

特に気になったのは、元軍人の二人組が学生の合唱に過剰反応する場面です。
ちょっと調べてみると
この「若者よ」という歌は、共産党員だった人が作詞をしている事が分かりました。
映像の雰囲気的にも、共産主義者に親しまれていた歌ではないかと思います。

あのときの日本が、結局 何と戦っていたのかを物語るような ひとコマです。
そして敗戦後の社会では、労働運動や学生運動が大流行しているという、当時の様子が描かれていました。

そして この映画の見どころは、何と言っても「ストリップ」の場面だと思います。
それが単なる露出による挑発でなく、なにか想像力を掻き立てられるような魅惑的なエロスの世界が広がっていました♪

現実は違っていたとは思いますが、少なくとも映画においては
ストリップという原始的な娯楽も、日本人の手にかかると こうも美しいダンスになるものか!?と衝撃を受けるクオリティの高さでした。

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