「女の歴史」は、ヒロインとその姑、嫁にわたる3世代の、昭和を生きた女の歴史の物語です。
この映画でいちばん印象的だったのは、戦況が深刻になっていた折に夫の浮気が疑わしくなり、夫婦喧嘩になる場面でした。
夫が「国の一大事のときにくだらん事で騒ぐな」と言うのに対し、妻は「女にとっては、戦争なんかより大事な事よ」と返します。
確かに女とはそういうものかもなぁという気がするし、このヒロインは正直だと思いました。
そして親になると自分の果たせなかった夢を子供の人生に投影し、考え方が凝り固まっていく様子は、いつの時代も変わらない気がしました。
それでもヒロインが自分の過ちを認めて次の世代らと和解していく展開を見ていると、人間は世代交代を繰り返す事で柔軟性が保たれているような気がしました。
波乱の時代を生き抜いた主婦、信子(高峰秀子)
信子は容姿に恵まれた娘で、裕福な材木問屋である清水家の長男・幸一(宝田明)に望まれて幸せな結婚をしました。
ところが姑である清水の主人が投機で失敗した事から、信子が嫁に来て早々に材木問屋は潰れてしまいます。
それでも幸一は家業を継がずにサラリーマンをしていたし、優しい夫でした。
生活は慎ましくなったものの、信子は男の子・功平を生んで母になり、幸せになったかのように見えました。
でも そんな生活も長くは続かず、太平洋戦争も佳境に入る頃には暮らしは相当に苦しいものになっていきます。
お屋敷のような家で暮らしていた頃は、姑とも仲良くやっていましたが、苦しい生活の下では口喧嘩や対立する事が多くなっていきます。
幸一はあくまでも妻の味方なので、姑はそれが面白くありません。
夫婦対姑という対立になって喧嘩が始まり、疎外感を覚えた姑は「お手伝いさん」の口を見つけて家を出て行ってしまいます。
どうやらこのお姑さん、一見ご大家の奥さんかと思いきや、なかなか生きる力を持っているようです。
どちらかというと信子の方がお嬢さん的で、戦争に駆り出されて行く夫に対して「家の事は任せて!」と腰を据える事が出来ません。
そして終戦の間際に、幸一は戦死してしまうのでした。
信子は戦後の混乱の中、独りで小さな子供と姑を守るという切羽詰まった状況で強く鍛えられて行きます。
ヤミ屋になって一家を支え、戦後の復興とともに美容師の技術を身に付け、美容院を経営するまでになります。
ひとりの男性と恋に落ちながらすれ違い、一方で夫には愛人がいたという事実を知らされ、孤独信子の生き甲斐は息子の功平(山崎努)に集中していくのでした。
高峰秀子さんの出演している映画
小粋で楽天的な姑(賀原夏子)
女優・賀原夏子が病に倒れてなお舞台に立ち、最期に遺した「初めて死ぬのに、この経験が役者として役に立たないのが口惜しい」という言葉が何十年経ても忘れられない pic.twitter.com/yke5RJSKaO
— かときち?️?Kuninori Chida (@katokich) November 19, 2019
信子の姑は、おそらく明治生まれの女です。
考え方が柔軟で楽天的な所もあり、どこか「人生は楽しまなければ」というポリシーを感じさせます。
夫が芸者と心中した時はさすがにショックを受けて嘆き悲しみますが、その恨みを抱き続ける事はしません。
戦時中ももんぺを履かずに着物で通し、息子の出征前夜には集まった人たちのために粋な唄を披露します。
夫婦との同居で行き詰まった時などは、裕福な家の奥様だったにもかかわらず「お手伝いさん」の仕事に就いて立派に自活してしまいます。
いつでも「なるようになるさ」というような楽天思考で、辛い事があっても引きずらず、いちいち疑問を抱かずに運命を受け入れて生きています。
賀原夏子さんの出演している映画
因果で結ばれたような、二人の不思議な関係
信子と姑は考え方が全く違うので、信子は結構イライラしてしまいますが、実は姑に助けられているように見えます。
姑は功平が年頃だと思い、適当にお見合いの話を持って来たりします。
ても信子は「まだ早い」と突っぱね、結婚相手には理想を抱いている様子です。
功平が夜遊び興じている事についても、姑は「遊びも知らなきゃ良い仕事も出来ない」というのに対して、信子は身体に悪いとか不良になると言って文句を言います。
そんな二人の思惑を他所に、功平がいきなり結婚したい人がいると告げてきます。
ところが相手はバーのホステスだという事で、信子は猛反対します。
姑は「好きならしょうがないし、下手に反対して心中でもされたらどうする?」という意見ですが、信子は聞く耳を持ちません。
信子が絶対に許さない事がわかると、功平はさっさと家出して勝手に結婚をしてしまいます。
ところが間もなく功平は交通事故で亡くなり、とうとう信子は拠り所を失ってしまうのでした。
こうして残された二人の前に、功平にお参りさせて欲しいという若い女性が現れます。
それは功平の結婚相手でした。
「帰ってくれ!」と怒り心頭になる信子に、女性はお腹に功平の子供がいる事を告げます。
信子は断固として孫とは認めず、傷ついたみどりは「そっちがその気なら子供を堕ろすわ」と言い返します。
みどりが帰ったあと、姑は「あんたも変わったね、私ならとても言えない・・・」としみじみ言います。
そして姑の「でも、考えてみると惜しい気もするね」という言葉が信子の心に刺さり、凝り固まった意地を溶かしたように見えました。
成瀬巳喜男さんの監督映画
1963年公開
今では、姑というのは古臭い考えを持ち、嫁の生活をコントロールしようとする相容れない存在という、暗黙の認識があるように思えます。
でも映画に描かれている姑は押し付けがましくなく、依存心も薄い人でした。
それどころか、むしろヒステリックになりがちな現役世代の緊張をほぐしてくれる鷹揚さもあり、それが新鮮でした。
彼女は自分の役割を理解していて、お嫁さんを迎えた時点で主婦の座を譲り、自分はただちに「ご隠居」となった雰囲気も伝わってきます。
そして孫が成人すれば孫の人生を尊重し、本人の思うようにさせてあげる態度も立派に見えました。
人は年を取れば「年寄り」になれるのではなく、年齢や立場にふさわしい「振る舞い」というのがあって、自らその道へ「入る」というのが正しい人の道なのではないかという気がしてきます。
そんな思いを抱くような「姑像」でした。
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