「あした来る人」は、夢を追うのと家庭生活を両立させる事の難しさを描いた物語です。

けっきょく夢と愛情の両方を手に入れる事は出来ず、人生は「本当にやりたい事」を取るか「家庭」を取るかの二択しかないような閉塞感を感じました。

夢や希望に向かって夢中になっている男たちの生き生きとして楽しげな様子と、生き甲斐を見いだせない空虚な女たちが対照的に描かれていて、女たちが可愛そうになります。

人間の幸せとは、生活の安定よりも人に与える事だったり、そういう目的に向かって努力する事なのだということを改めて気付かされました。

孤独な生活に危機感を抱いている妻、八千代(月丘夢路)

八千代は、結婚6年目の奥さんです。
彼女は安サラリーマンの妻ながら、優雅なお手伝いさん付きの専業主婦生活をしています。

というのも家が大実業家だったために生活レベルを落とすことが難しく、ほとんど父親からの援助で賄っているというのが実情です。
おまけに この夫婦の仲は既に冷え切っていて、八千代は夫の愛情が感じられずに孤独な毎日を送っているのでした。

夫の克平(三橋達也)は安サラリーマンでありながら、いつも登山に夢中で家庭を顧みません。
八千代は、あまりの寂しさに つい「山と私と、どっちが大切なの?」という、男性が最も嫌がるようなセリフを吐いてしまいます。
それに対し、克平も「俺は山登りが生き甲斐だ」と にべもなく言い放つという有様です。

ただ八千代の言葉にも、矛盾を感じてしまう所があります。
「妻というのは、夫の夢を共有しながら寄り添いたいものなの」
と言いながら、一方では
「月に7千円の収入では生きていけない」
と責め、これでは克平もどうして良いかわからないのではないでしょうか。

そして克平の方も、山登りでは生活できないからサラリーマンをしている訳で、これでは面白くないはずです。
結局は仕事も登山も中途半端になり、その不満が妻に愛情を持てない理由のように見えます。

月丘夢路さんの出演している映画


失った「何か」を取り戻そうとする仕事人間、梶(山村聰)

八千代の父・梶(山村聰)は、実業で大成功を収めたバリバリの仕事人間です。

仕事はデキますが、ちょっと人の感情という面にはウトく、八千代が悩みを相談しても真剣に取り合ってはくれません。
というのも彼自身が仮面夫婦のような状態になっていて、夫婦生活について良いアドバイスなど出来る筈がないのです。

彼には、ちょっと奇妙な関係を結んでいる女性がいます。
その女性・杏子(新珠三千代)とは親子ほど年が離れているのですが、彼女は養女でも愛人でもありません。

それなのに彼女に洋裁の店を持たせ、仕送りをしたりフランス語を学ばせたりして面倒を見ています。
梶は杏子に
「娘のような愛情を持っているから経済的に支えている」とか
「恋愛しようが、結婚しようが君の自由だ」
と言いますが、見ていて何だか違和感を感じてしまいます。

梶が仕事に夢中で家庭を疎かにしたという事は、彼の奥さんの「空っぽな様子」から伺えます。
そして梶は、その満たされなかった空白を杏子との関係で埋めようとしているように見えます。

そして この奇妙な関係に、杏子はだんだん自分の立場がよくわからなくなり、苦しくなって来るのでした。
杏子が男性としての愛情を求めても、梶はあくまで逃げ腰です。

山村聰さんの出演している映画


本当の幸せを追求する人たち

杏子は結局 若い男性に恋をしますが、その男性には妻がいました。
それでも杏子は思い切って梶との関係を断ち切り、男性の元へと走ります。

ところがその矢先、運命のいたずらとしか言えないような事実が判明するのです。
杏子の相手の男性とは、梶の婿である克平だったのでした。
杏子は悩み苦しみますが、結局は彼の事を諦めるしかありませんでした。

八千代は八千代で、他の男性に惹かれた事が彼女の背中を押して、二人の離婚は簡単に成立してしまいます。

梶は この事態をどうする事も出来ず、杏子に対しても八千代に対しても、彼女ら自身の意思を尊重するしかありませんでした。
子供というのは、親と同じ轍を踏む事だけは避けたいものなのかもしれません。

川島雄三さんの監督映画


1955年公開

克平をはじめ登山のメンバーは皆、医者や翻訳家など他の職業を持っているようです。
詳しい事はわかりませんが、登山を生業として生きていくのは難しい事なのでしょう。

おまけに海外まで遠征して初登頂を目指すとなると大金が必要なので、大概は断念せざるを得ないという現実があるようです。

そしてこの問題は「一部の人の贅沢な夢」ではなく、本当は多くの人が抱えている悩みかもしれないと思いました。

昔の日本には「書生」という習わしがあったそうです。
お金持ちが、将来有望な(そうでない事もある)若者を「小間使い」という名目で家に置いて、生活の面倒を見てやるのです。

若者は日々の生活の心配に煩わされる事なく、将来について模索する余裕ができ、本当に成功する人も出て来ます。
欧米流の「パトロン」だと出資という形になるので、それとは違うもっとマイルドな援助という感じです。
人間一財を築いたら、次の段階として「社会貢献」をするという考え方から来た風習だと思いますが、もう過去の遺物になってしまいました。

その代わり、今は「クラウドファンディング」というシステムに期待できるかもしれません。
映画に出てくる藤川さんのような投資家に群がるのでなく、本当にそのプロジェクトに価値を認めた人が参加するという所が良いと思います。
そして、お金持ちに限らず自分の懐具合によって出資できるという利点はやっぱり技術革新の為せる技で、未来に期待が持てる気がします。

このようなシステムは、目的がある人だけでなく「夢を持てずにいる人」にも希望を与えたり、小さな夢から大きな夢まで大小を問わないという事もあり、なかなか面白い事になってきたのではないかと思います。

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