妻よ薔薇のやうに<東宝DVD名作セレクション> [DVD]

「妻よ薔薇のやうに」は、愛人をこしらえて家を出てしまった父親を取り戻そうと奮闘する娘の物語です。

「ように」ではなく「やうに」という所が時代を感じますが、ストーリーの出来は今見ても新鮮なものがあります。

グレてもおかしくないような境遇に育ちながら、しっかり者の君子が朗らかさを失う事なく、かなり冷静で適切な対処をする様子は、なんと逞しい事かと感心させられます。
それに比べると母親の精神年齢の幼さが際立っていて、この母子の対比が面白さの一つになっています。

逆に芸者だったお雪が、実子を優先させたり家計を担ったりして仁義を尽くす様子は“職業に貴賎なし”という価値観が含まれていると感じました。

今どきの ちゃっかり娘、君子(千葉早智子)


君子は、OLをして母子の生活を支えている しっかり者の娘です。
小さい頃に、父親がお妾を作って家出してしまったという悲しい境遇の持ち主ですが、朗らかで真っ直ぐに生きています。
この頃での”今どきの娘”という感じで、言いたい事はズバズバ言うし、ちゃっかりしていて抜け目のない娘です。

一方 母親は子供のまま大人になったようなお嬢さん育ちの女性で、家計の事など一切気にかけずに好きな詩を書いて暮らしています。
詩のお弟子はいるけど むしろ持ち出しの方が多いくらいで、君子ばかりがお勤めや家事で忙しくしています。

ある日 街で父親を見かけた君子は、ご馳走を作って父の訪問を待ちますが、父は帰って来ませんでした。
東京に来ていながら家に寄る事もしない父親に、君子は憤りを覚えます。
とうとうお妾のお雪と直談判する覚悟を決め、父親の暮らす信州へ行く事にしました。
ました。

父親は金鉱を当てようと山を歩き回る、いわゆる山師でした。
そしてお雪は、今は“髪結い”という今で言う美容師の仕事をしているようです。
家には中学生くらいの男の子と、君子と同じくらいの年頃の娘がいました。

お雪と対面した君子は、かなり冷静な態度で抗議します。
そして父親には、叔父も援助すると言っているから家へ帰って欲しいとお願いするのでした。

千葉早智子さんの出演している映画


真心のある女、お雪(英百合子)


君子が実際に会ってみると、お雪は“したたか”だとか“性悪だ”という予想を覆す、真心のある女でした。

母娘には悪い悪いと思いながら、親子4人のつつましくも幸せな生活を失うことが怖くて、つい今まで来てしまったと言います。
聞けば父親の事業は早々に失敗しており、それからの一家はお雪の収入で暮らしているのでした。
おまけに父親からだと思いこんでいた仕送りは、お雪の収入から出ていました。
この仕送りをする為、娘を女学校に行かせるのを諦め、仕立物の仕事をさせて君子の学費に当てていたという事が分かって来ます。

君子は、自分が描いていたシナリオと現実のあまりの違いに愕然とします。
父を取り戻そうとするのを諦め「母が引き受けてしまった仲人を、形式上 夫婦としてやってらいたい」という事だけお願いする事にしました。
ただ そうは言っていても、父親と過ごすうちにやっぱり戻って欲しいという願いも湧いてくるのですが・・・。

英百合子さんの出演している映画


君子の密かな願い

母がつい引き受けてしまった仲人の役を務めるという理由で、父親は本当に久しぶりで家に帰ってきました。

ところが二人の溝は長い年月を経て更に深くなっており、二人が接する様子はまるで“ご近所さん”か何かのようです。
それでも元の鞘に収まって欲しい君子は、二人のご機嫌を取ったり場を盛り上げようとしたりと必死です。

それなのに、当の本人である母親は全く歩み寄る様子がありません。
いつものように自分の思うままに振る舞い、夫の言動に共感を持てずにいちいち批判がましい事を言います。
父親は、母親が何かにつけて押し付けてくる理屈っぽい物言いが苦手で、自分の主張を示す事が出来ません。
自分の役割が終わるやいなや、逃げるように信州へ帰ろうとします。
君子はそれを必死で止めようとしますが、母親はいじけて泣くばかりで何ひとつ行動しようとはしません。
君子はそんな母親を見て、完全にお雪に完敗した事を悟るのでした。

1935年公開

映画の中に、お雪の息子が吉田松陰の物語を音読する場面がありました。
今の学校教育と戦前とでは、何が一番違っていたのか興味があったので、この”松蔭”の話について調べてみました。

第二次世界大戦前の小学校には「修身」という科目があり、この修身教育は明治・大正・昭和と3つの時代を通して日本人の精神に大きく影響を与えてきたそうです。
そして修身の教科書には、吉田松陰や勝海舟、加藤清正からジョージ・ワシントンまで、偉人と言われる人物のエピソードが紹介されていたようです。
これが無くなったのは占領軍の指令によるもので、その後日本の道徳教育はまるで刺し身のツマ以下の有名無実化な存在になってしまったように思います。

この物語からは、人の夫を奪ってしまった女が贖罪の念から実子を気遣う様子や、父親を心から大切に思ってくれる女に譲るという娘など、意識の高い庶民の姿が描かれています。
日本人は「修身」という教育科目を失ってしまいましたが、その精神は今も“庶民の感覚”として受け継がれているような気がします。

成瀬巳喜男さんの監督映画


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