高度経済成長いらい日本はすっかり資本主義の国になり、今ではほとんどの人がサラリーマンをしている世の中です。
ところが昭和初期の映画を見ていると、以前は個人経営も特別なものでは無かった様子が描かれています。
それが大資本が台頭するにつれ、小さな商いがバタバタと潰れていった時代がありました。
個人商店の時代を描いた映画を見ていると、それは人々の生き方そのものを変えてしまったようです。
【この広い空のどこかに】家族5人のくらしを支える店
「この広い空のどこかに」には、酒屋を営む夫婦の奮闘が描かれています。
この酒屋の主人はまだ若いのですが、相当のしっかり者です。
それというのも彼の家庭環境は複雑な上に、自営業という立場もあって、責任は自分ひとりにかかってきます。
まま母と腹違いの兄弟と、まだ初々しくて未熟な妻という難しい同居生活で、おまけに住まいは店とつながっています。
それでも戦後9年後の荒れた社会では、親から受け継いだ店がある彼らは、まだ恵まれている方です。
彼らの周りは、生きているのがやっとという人が色々と登場してきます。
こんな時代に自宅兼酒屋の個人経営で、5人の家族が食べて行けるのだから立派なものです。
奥さんが店を手伝うくらいで、母親と長女と次男が勤めに出なくても、家計は成り立っています。
贅沢は出来ませんが、ちょっとした貯金が出来ている様子も描かれていました。
こうして酒屋の一家は、多少のいざこざは起こしつつも理解を深め合い、最後はまとまって行きます。
そしてラストシーンで夫が妻に言うセリフは、なかなか衝撃的でした。
「はじめてだな、この家に二人きりだなんて。
一生のうち、こんな事はもう無いかもしれない」
この現代とのあまりの違いに、ほんの数十年前まで こんな家庭がザラに存在していた事に、改めて社会の変化を感じます。
【妻の心】別の業種に「生き残り」の道を見出す
「妻の心」は、本業が廃れていく中で、サイドビジネスに乗り出す夫婦の物語です。
主人公の夫婦が営む薬屋は、かつては立派なお店だったようです。
ところが最近では同業者が増えて競争が激しくなるにつれ、売上は先細ってきています。
そこで将来への危機を感じた夫婦は、店の敷地にある空き地を利用して「喫茶店」を始めようとします。
まったくの別業種ではありますが、奥さんには行動力と意欲が満ちています。
知り合いのツテを利用してお金を借りたり、近所の洋食屋に出向いて料理修行に励む姿には、挑戦する事への喜びを感じました。
そんな二人にも、足を引っ張る存在が無い訳ではありません。
長男が、勤め先の倒産を機に転がり込んできて、開業資金を持ち去ってしまいます。
そして母親も、景気の良かった頃の意識が抜けず、副業への取り組みに難色を示すのでした。
それでも二代目の夫婦が家業の存続をはかって、何とか独立を保とうとする姿は、とても頼もしく見えました。
【乱れる】量販店に食われる、零細小売店たち
「乱れる」は、スーパーマーケットの台頭が、個人商店を消滅させていく様子が描かれています。
主人公の家は、お酒や食料品を扱っている家族経営の小さなお店です。
ところが近所にスーパーマーケットが出来た事で、商店街は脅威を与えられてしまいます。
彼らは最初からこの界隈の一人勝ちを狙っていて、原価割れのような価格破壊の攻撃を仕掛けてきます。
個人では太刀打ちできない大資本でもって、赤字覚悟で次々と目玉商品を繰り出すのでした。
これでは小さな利益で細々と生きている個人商店は、ひとたまりもありません。
主人公の仲間の一人は、とうとう将来を悲観して自殺してしまいます。
この状況に危機感を持った主人公は、自分の店の立地の良さを利用しようと考えます。
酒屋をたたみ、自らの店もスーパーマーケットにして対抗しようとするのでした。
ただ この計画は、敗戦の混乱のなか一人で店を再建した奥さんの存在を、経営から除外するものでした。
量販店では「叩き上げの経験」など関係が無く、あくまでも大規模経営システムや「投資」の世界です。
個人は、そこで雇われるだけの存在に堕ちて行ったという歴史が、映画には描かれていました。
時系列にすると見えてくる「流れ」
映画で個人商店の歴史を時系列に見ていると、日本に上陸した大資本の台頭は、まるで商店街に落とされた大量破壊兵器のように映りました。
そして各地に残るシャッター通りの遺構は、自営業の墓場のようです。
夜逃げや一家心中という悲惨な結末を迎えた人々の話は、大資本の息のかかったマスコミの報道に上る事は無かったでしょう。
小売店にはネット販売という道も残されましたが、今また更に新たな「個人潰し」が、巷を襲いはじめました。
非常事態という名のもとに、個人商店の最後の砦だった飲食店は、ほとんど殴り込みをかけられている状況だと思います。
SNSでは「あの店が潰れた」「この店が潰れた」という つぶやきが多数見られ、悲しい限りです。
「いつか、老舗やレトロなお店巡りをしてみたい」という筆者の夢も、叶わないかもしれません。
飲食店に集って愉快に過ごしたり、気に食わない薬物を拒絶する権利は、人間らしく生きたかったら最後まで手放してはならないものだと思います。
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