「この広い空のどこかに」は、昨日まで他人だった者同士が、ひとつの家族にまとまる難しさを描いた映画です。
この映画の見どころは、よく気が付くコミュニケーションの達人的な兄弟二人の活躍ぶりです。
こんな頼もしいフォローが得られる女たちが、羨ましくなる程です。
イントロでは相当ギクシャクしている女3人も、叱られたり、慰められたり、励まされたりしながら、だんだんまとまって行きます。
やっぱり女同士が上手く行くためには、男衆のフォローも重要だなァ、と実感するような映画でした。
一家の大黒柱として奮闘する気配り名人、良一(佐田啓二)
良一は、酒屋を営む若い主人ですが、親の代から続くお店を立派に切り盛りしています。
妻のひろ子(久我美子)とは結婚したばかりで、まだ初々しい感じの若夫婦です。
ところが良一の家は親がまま母で、父親はすでに亡くなっています。
長女の泰子と次男の登(石浜朗)とは腹違いの兄妹で、どこか遠慮がちな印象があります。
ひろ子は素直で優しい人ですが、まだまだお嬢さんっぽい新妻です。
母親や泰子から見ると、家事やお店の仕事で至らず、印象が良くありません。
そんな ひろ子に注意したり、時には母親や泰子から守ってやる良一の態度は、毅然としていて頼もしいものがあります。
とはいえ、彼から見たら呑気な家族たちの中で「自分がシッカリしなければ」と気を張る良一は、けっこう大変そうです。
ひろ子が立派な主婦に育つまで、彼は家族みんなのご機嫌を損ねずに、一家をまとめて行かなければなりません。
佐田啓二さんの出演している映画
いたたまれない立場の長女、泰子(高峰秀子)
長女の泰子は、戦災で足が不自由になった事で、すっかり自信を失くしています。
その事で婚約者との縁談も破棄され、人目を気にするあまり家に引きこもりがちです。
お勤めをするでもなく、好きだった琴を奏でるのも止めてしまい、空虚な毎日を送っています。
婚期を逃した上に、腹違いの兄の代となっては、実家とはいえ居づらい思いをしています。
たまに縁談が持ち上がったと思ったら、相手も身体が不自由な人だったりして、あらためて自分のコンプレックスを再認識されられてしまうのでした。
そんな泰子は、優しい良一に守られて幸せを謳歌する ひろ子が恨めしくなり、つい彼女に当たってしまいます。
家族みんなが泰子を不憫に思い、彼女に対して強い事を言えない中、登だけは姉に厳しい事を言ったりします。
でも その反面、彼女を励ますときの温かさも本物で、いちばん親密な感じがするのは、やっぱりこの二人なのでした。
高峰秀子さんの出演している映画
泰子が求めていたものとは・・・
そんな泰子のもとに、以前 店で使用人として働いていた俊どん(大木実)が訪ねてきます。
かつて俊どんにとって、泰子は憧れの女性でした。
そんな泰子に会いたくて、久しぶりでこの家を訪れた俊どんに、泰子は会おうとしません。
自分に思いを寄せていた人に、失望されたくなかったのです。
ところが俊どんは、身体が不自由になったからと言って、泰子を思う気持ちに変わりはありませんでした。
ケロッとして
「何があろうと、泰子さんは泰子さんだ」
と言ったという彼の言葉を聞いて、泰子の中に勇気が湧いてきます。
何も出来ないと思っていた自分を、必要としてくれる人がいる・・・
その事が、彼女に自信を与えたのではないでしょうか。
そこからの泰子の変化は、大変なものでした。
琴を奏でてみたり、困っている友人がいたら、自分の着物を売ってでもお金を作ろうとします。
そして遂には、一人で俊どんに会いに行ってしまいます。
俊どんの家は大変な田舎で、その貧しさは都会の人間には想像もつかないもののようです。
それでも泰子は迷わず、俊どんの妻になる選択をするのでした。
1954年公開
この物語の登場人物は、一家の主の良一に限らず、みんなやけにシッカリしていました。
登はまだ学生で一見のんきに見えますが、良一や泰子に対してハッキリ物を言うので、ときどき言い合いになったりします。
それどころか兄嫁のひろ子にまで、年老いた母親を労って欲しいという、ちょっと言いにくいような事をズバッと言ってのけます。
そして彼がそこまで物が言えるのも、誰とも愛情を持って接し、家庭内がうまく行く事を願っているからに見えます。
田舎から出て来て一家に物議を醸した ひろ子のボーイフレンドも、なかなか大人です。
彼が挫けそうな ひろ子を励ます様子が、心に残りました。
「土の中に、水が染み込んで行くだろ?
あんな風に、少しずつ必要な人間になっていくんだよ。
もう10年も経ってごらん。
キミがいなけりゃ新しいタオル1本も、どこにあるか分からなくなってしまうんだから。
小さな色んなことが、今にみんなキミの手の中に収まってしまうんだよ。」
う~ん・・・
結婚前の青年のセリフとは思えないような、含蓄のあるセリフです。
この頃の男性は、農業にせよ商売にせよ
家族単位で稼業を切り盛りしていた家庭が多かったわけです。
どんな小さな城にせよ、一家の主として仕事も家庭も切り盛りしていた頃の男性は、成熟度が高かったのかもしれないと思うような物語でした。
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