いまは恋愛結婚が主流で、お見合いなどは古臭くてカッコ悪いものだという風潮になって久しいと思います。

ところが昔の映画を見ていると、お見合いは案外優れたシステムだったのではないか?と思うフシがあります。

昨今の離婚率や未婚率が増え続ける傾向は、恋愛の持続性への懐疑や困難さを物語っているのかもしれません。

今回は、意外と素敵なお見合いカップルが登場する映画をまとめました。

【細雪】最後に、大きく明暗を分ける姉妹

「細雪」は、没落しつつある旧家の娘が、お見合いを断ってばかりいて、なかなかお嫁に行けない様子が描かれています。

この娘は、そうこうするうちに適齢期を逃してしまい「相手に断られている」と見られるのを恐れたり、だんだん容姿の衰えが気になるようになってきます。

おまけに性格がひどく内向的なので、相手の事が気に入っても、こんどは相手とどう付き合って良いかわからなかったりします。

ところが彼女は焦る気持ちとは裏腹に、決して安易に結婚を決めたりはしません。

一方で「お見合いなんて、今どきカビが生えてるわい」
と言わんばかりに自由恋愛を謳歌する彼女の妹は、一見モテているようでも「ハズレ」みたいな男ばかり引いています。

そして結果的には、粘りに粘って信念を貫き通した姉の方が、ついに自分にピッタリの相手に出会うのです。

内心では焦りを抱えて元気の無かった姉も、いったん理想の相手が見つかると、急に自信がついたように見えるから不思議です。

そして彼女と明暗を分けたような妹は、あくまでも自立や恋愛にこだわりながら、一歩づつ道を踏み外して行き、女としての幸せを逃してしまうのでした。

今の感覚からすると、意外な結末に驚く物語でした。

【禍福】恋愛を超える出会いもある

「禍福」は、お見合いが大恋愛をも凌駕して、結婚を成功させる様子が描かれています。

ヒロインは家柄の違う男性と熱烈な恋に落ち、その恋人は親を説得するために郷里へと向かいます。
それが あべこべに親のエネルギーに負け、形だけの見合いをするつもりが、不覚にも相手の女性が好きになってしまいます。

随分ひどい話ですが、ストーリーが進行するにつれ、彼がどうしてお見合いの相手を好きになったのか?という事が、何となく伝わって来ました。

彼にとって恋人の方はちょっと依存体質で、すべてを男に委ねるだけの「受け身的」な性格です。

一方でお見合い相手は、彼と対等の知性を持っています。
そして彼女にとって悲しい局面にあっても前向きに取り組み、明るさを失わない強さがありました。
とても頼もしく、こういう人と家庭を築きたくなる気持ちが分かるようでした。

二人が最終的には「親の見立ても侮れなかった?」
としか言いようがないくらい良い夫婦になって行く様子を見ていると、恋愛の情熱の脆さを感じぜざるを得ないものがありました。

【お茶漬の味】結婚してから生まれる愛情

「お茶漬の味」には、たとえ親が決めたに過ぎない結婚でも、あとから「気持ち」が着いていく様子が描かれています。

この夫婦の奥さんは上流階級の人ですが、夫の方はどちらかというと貧しい庶民出身のようです。
そのせいか奥さんは、夫との「習慣の違い」がカンに障ってしょうがありません。

ところが奥さんのストレスの原因はそこでは無く、彼女が一番気に食わないのは、どうやら旦那さんの「無関心」のようです。

奥さんが嘘の口実を作って旅行に行ったり、友達や姪と遊び呆ける様子を見ていると、そこには何か満たされないものを紛らわす「憂さ晴らし」のような虚しさを感じます。
そして、自分の下手な嘘も見抜けない旦那さんを馬鹿にする姿には、心配すらされない寂しさへの苛立ちが見て取れました。

それでも二人は、やっと喧嘩ができるまでになり、あるときは危機を乗り越え、しだいに理解を深めて行きます。

彼らは結婚してから何年も経った後で初めて、お互いの間に恋でも芽生えたような新鮮さを見出すのでした。

【鰯雲】理想的なお見合いのカタチ

「鰯雲」には、お見合い結婚カップルの仲睦まじい様子が描かれています。

ここに出てくるお見合いは、紆余曲折を経た困難なものでした。
農家に嫁の来手がないという時代にあって、不利な甥っ子のために奮闘する叔母の真心が、難しい縁談を成功へと導いて行きます。

この叔母は、当時の農家の嫁としては珍しい女学校出のインテリで、甥たちにも理解がある頼もしい人です。
人脈をフルに活用して候補を見つけ、相手の家庭の調査から交渉まで、驚きの行動力を発揮します。
そして最後は「直感」で、この縁談の成功を予見するのでした。

この叔母が難しい縁談をまとめていく過程を見ていると、お見合いも一種の事業のような側面があるように思いました。
二つの家庭が建設的な目的のために利害をすり合わせ、力を合わせて発展を目指す機会であり「気に入った」「気に入らない」という感情的なものに留まらない事がよくわかります。

そしてお見合いの仲介は、お互いの家庭の事情を良く分かっていて、なおかつ客観的な視点を持てる人が適任なのだろうと思いました。
親では感情移入が強すぎるかもしれないので・・・。

今では叔父叔母と甥姪のつながりは希薄になり、広い人脈を持つ人も少なくなってしまいました。
いわゆる「世話好き」と呼ばれるような人たちも、とうとう消滅したのではないでしょうか。
でもお見合いというのは、そういう信頼できる人が仲介する事に意味があるのだと思います。
昨今の「お見合いパーティー」や「婚活アプリ」などと混同すると、大変な事になりそうです。

ところが若い人が自分でピッタリの相手を見つけて恋愛を成就させ、結婚まで漕ぎ着けて、なおかつ一生添い遂げるというのは、じつは至難の業なのかもしれません。

確かに恋愛にはドラッグのような強い作用がありますが、その賞味期限は3年ぐらいらしいです。
その間に信頼関係を固めておかなければ、夢から覚めたときの失望に負けてしまうのでしょう。

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