山の音

「山の音」は、保守的で穏やかそうな家庭に潜む、密かな影を描いた物語です。

この映画は、川端康成の原作がまだ未完だったため同時制作されており、半分は脚本家によって書かれたオリジナルなのだそうです。

夫との仲が冷え切っている菊子と、その義父が心を通わせる様子が美しく、それでいて何か釈然としない、最後まで割り切れないものが残る物語でした。

それでも義父の菊子への理解と親しみは、胸を打つものがありました。
「二千年前の蓮が花を咲かせたよ」と言っただけで、何の話か通じてしまったり、
菊子は具合が悪くなると、額の淡い古傷が浮かび上がるという小さな特徴への気付き、
「あれが菊子の本当の声なんだね」という素の菊子を知ったときの喜びなど、
細部に宿る何気ない愛情には、深くて純粋なものを感じます。

菊子が置かれたような、あまりにも心もとない環境では、たとえ儚くても美しい拠り所が必要なのかもしれないと思いました。

優しいお義父さん、尾形(山村聡)


初老の会社重役・尾形信吾は、同居している息子の嫁・菊子ととても仲が良い様子です。
それは時に、姑と嫁という関係を超えた親しさを感じさせます。

尾形には昔憧れの女性がいたのですが、その女性が亡くなった為、その人の妹と結婚したといういきさつがあります。
物語の中では“美人”という表現をしていますが、その憧れの女性と菊子には、どこか共通する点があるようです。

じつは菊子と息子・修一(上原謙)の仲は、冷え切っています。
そして修一は浮気をしていて、どうやら菊子もそれに気付いている様子です。

尾形はそれを知りつつも、修一を責めたり叱ったりする事はありません。
そこは「親がいつまでも子供の夫婦間の問題まで口を出すものではない」という風に、突き放して考えているようです。
ただ尾形には菊子が気の毒でならない気持ちがあり、まるで修一の至らない部分を埋めるかのように彼女を労り、気遣うのでした。

暴君的な夫のもとで耐え忍ぶ嫁、菊子(原節子)

ユリイカ 2016年2月号 特集=原節子と〈昭和〉の風景

菊子は何故か、修一にどんな仕打ちを受けても黙って耐えています。

そして不思議な事に、菊子の日常生活は義父・尾形との繋がりの方が生活の軸になっているように見えます。
尾形とは感性が近いようで、何気ない会話の中にも温かくて通じ合うものがあり、姑もついていけない楽しさがあるくらいです。

だから菊子は修一の裏切りにも、何かにつけ繰り出される彼の「嫌味」にも耐え、本当の孤独を感じずに済んでいるのでした。
菊子がこの家にいられるのは、いつも彼女の気持ちを理解し、助けてくれる義父の存在があるからのようです。

別れの時

尾形は、子供たちの夫婦間の問題に介入すべきではないと言いつつも、いよいよ修一に見切りをつけたのか、自ら愛人へと働きかけます。

ところが、相談を持ちかけた愛人の友人から
「いちど息子さん達と別居なさってはどうですか?
そうすれば(愛人とは)自然と別れていくような気がしますが・・・」
と指摘されてしまいます。

この女性の言葉に説得力を感じた尾形は、菊子に別居を勧めます。
ところが菊子は別居を嫌がり、あくまでも修一と向き合おうとする姿勢を見せません。

そしてある時、菊子が子供を堕ろした事が発覚します。
菊子は、以前は「子供があれば何もいらない」と言っていたのに、その心境に変化が起こったようです。
修一の子供を生みたくないという思いが芽生え、その本当の理由は修一にも分かっていないように見えます。

この事があって、菊子はとうとう離婚を決意します。
尾形は最後まで自分の気持ちをごまかし続けましたが、若い菊子にはそれが出来なかったのだと思います。

1954年公開

尾形家は、表面的には日本の古き良き家庭のように見えます。
ところが蓋を開けてみると、その中身はまったくの別物でした。

修一という冷淡でモラルに欠けた無気力な夫をはじめ、
そんな修一に思いを寄せ、彼らの退廃的な世界に引きずり込まれる秘書の女性や
愛情のない修一と虚しい肉体関係に陥ってしまう愛人、
家庭崩壊寸前の義姉など、殺伐としたキャラクターばかりが目立ちました。

そして尾形は子供に対して冷淡な感じがするし、姑もちょっと鈍いというか、妙に淡々としています。
家族という形態は取っているものの、だんだんその中身は希薄なものとなり、人間が「個」の単位に向かっている感じがしました。

尾形は「私にしてあげられるのは、菊子を自由にしてあげる事だけだ」と言います。
自由といえば聞こえは良いですが、逆に言えば拠り所もない状態だと思います。
ラストのセリフに出てくる「見通し線」という言葉には、前途多難な女性の時代の到来が暗示されているようでした。

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