あに・いもうと

「あにいもうと」は、かなり絶望的な空気の漂う、どうすることも出来ない歯がゆさが描かれている物語でした。

どうせ どうにもならないなら、と感情の赴くまま、本能のままに生きているようなキャラたちの弱さがシビアに描かれていて、見ていて痛いものがあります。

時代に取り残されてしまった父親、家族にお店の売上金や品物を持っていかれても黙認する母、妊娠を機に捨てられた男を吹っ切れない長女や、仕事に打ち込めずにパチンコや女遊びで憂さを晴らす長男・・・。

みんな人柄は悪くはないのですが、どうにもだらしがなく“なるようになるさと”言わんばかりにジタバタしようともしません。
ただそういうナァナァな空気の中で、兄の激しい怒りと末娘の冷静な決断だけが、この物語のエッセンスになっていると思いました。

修羅場をくぐり抜けて変わる姉、もん(京マチ子)


ヒロインのもんは、情が厚いところが災いして、損ばかりしている可愛そうな女です。
川で土木工事をしている親方一家の長女なのですが、妹を看護婦の勉強をさせるために奉公へ出ていました。

ところが奉公先で知り合った学生と恋に落ち、妊娠してしまいます。
相手の家族の猛反対で別れさせられ、もんは身重の体で実家へ帰るしかありませんでした。
この家族が住んでいる場所は狭い村のような所で、あっという間に噂は広がり、一家全員が肩身の狭い思いをさせられてしまいます。
もんは父に突き放され、兄からは激しく罵られて、実家に落ち着く事も出来ずに出て行かなければなりませんでした。
そして一人で子供を育てようとしましたが、子供は死産だったのです。

真面目でおぼこい妹、さん(久我美子)


二女のさんは、この一家に見合わないような硬派な性格です。
真面目に看護婦の学校に通い、恋愛はしても溺れる事はありません。
もんとは姉妹ながら年が離れているように見え、もんが女として出来上がっているのに対して、さんはまだ娘々しています。

実は近所のうどん屋の養子・鯛一(堀雄二)と恋仲なのですが、この鯛一も養父母の反対でさんとの結婚話を切り出せずにいます。
鯛一の養父母は、さんの姉の事でいっそう警戒を強め、鯛一の縁談話を急いで進めようとします。
鯛一には養父母や実家への遠慮があり、面と向かって説得する勇気がありません。
追い詰められた鯛一は、さんに駆け落ちしようと迫ります。

兄妹たちは、みんな違う道を行く

さんが駆け落ちなどしてしまったら、この一家はおしまいのような気がしますが、やはり末っ子というのは家族の失敗をよく観察しているようです。

もんは、子供を亡くしてから自暴自棄のようになり、すっかり変わってしまいました。
以前は兄・伊之吉(森雅之)に罵られても泣いて引き下がるようなしおらしい女でしたが、今は違います。

もんは、自分が不在の時に相手の学生が実家に訪れて、謝って行った事を知らされました。
ところが伊之吉が学生の後をつけて行き、殴ってやったのだと言います。
伊之吉は父親以上にもんを可愛がっていたため、じつは身を切られるような辛い思いをしていたのです。

ところが、これを聞いたもんは激しく怒り、伊之吉に食って掛かります。
伊之吉も堪りかねていた感情が爆発し、二人は殴り合い罵り合いの壮絶なバトルを繰り広げます。
あまりの激しさに、母親もさんも恐れおののいて泣くばかりです。
というか、二人の絆の深さには誰も分け入る事が出来ないのかもしれません。

さんには、姉がいまだに相手の学生を慕っている気持ちを理解する事が出来ませんでした。
一家の転落に歯止めをかけなければ、という意識も働いたのかもしれませんが、結局さんが鯛一と駆け落ちする事はありませんでした。

1953年公開

映画「あにいもうと」の原作は室生犀星の短編小説で、1934年(昭和9年)に発表された作品です。
映画は1953年公開で20年前くらい前の話なので、特に古典として描いていた訳ではないと思います。

舞台が東京近郊の話なので時代背景は少し分かりにくいですが、郊外は今ほど首都圏として発展していない時代であり、住人の意識はまだ閉塞感があったようです。
そのせいで、東京へ出て行った姉妹と実家のコミュニティとは時代感覚のズレが生じています。

1953年頃は、都心部は特に旧時代の秩序の崩壊や新しい文化の流入が激しかった時代だと思います。
この頃は、時代に乗れる者と置いていかれる者とが、かなりはっきり分かれてしまう世の中だったのではないでしょうか。

それからもう一つ、1953年といえばテレビジョン放送が開始した年です。
テレビが映画にとって脅威の存在になるのはもっと後の話で、むしろこの頃は日本映画が最高だった時代だと思います。

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