幕末太陽傳 デジタル修復版

「幕末太陽傳」は、幕末の品川遊郭を舞台に、町民や遊女たちの日常がユーモラスに描かれた物語です。

映画ではまず、当時流行の最先端であった「太陽族」系統の若手俳優たちが、よりによって時代劇を演じ、それが意外にも良い感じにハマっているのに驚きます。

このミスマッチなはずの試みの大成功が、世代間ギャップの違和感などを遥かに越えた、日本の長い歴史の「連続性」を感じさせます。

そして物々しい幕末の時勢ですら、遊郭は大変な賑わいを見せ、町人たちは相変わらず陽気にしたたかで、ふてぶてしく、抜け目なく生きる姿は最高です。

歴史学者が見たら「こんなではなかった」と言うかもしれませんが、感覚としては案外、実際はこんな風だったのではないか?という気がします。

歴史はほんの一部の支配層が動かしているかもしれませんが、一人ひとりの人生は自分だけのものだという事を、改めて認識させてくれる物語でした。

只者ではないスーパー町人、佐平次(フランキー堺)

佐平次は、器用で要領が良く、それでいて働き者の、なかなか「デキる」男です。

東海道品川宿の遊郭に現れた佐平次は、ハデに豪遊する太っ腹な富裕町人といった風情です。

ところが夜が明けて手代が支払いを要求すると、彼はなんと一文無し。

じつは、彼の目的は「居残り」でした。
佐平次は肺結核を患っていて、なんと環境や食事の良い遊郭へ「療治」に来たのです。

彼の素性らしき描写は、最後まで一切出てきません。
でも その働きぶりには目覚ましいものがあり、彼は遊郭で引っ張りだこの存在になって行きます。

当時の遊郭では「起請文(きしょうもん)」と呼ばれる、年季が明けたら結婚するという誓約書のようなものが流行していました。

これを小春という遊女が利用して、遊郭でナンバーワンの地位を獲得しています。

ところが、ある客同士が親子だった事が発覚し、小春は危機一髪の事態に陥りますが、それも佐平次が一芝居打つ事で事なきを得てしまいました。

ところが この佐平次には、決してタダでは動かないというポリシーがあります。
この時も「起請文」を小春に高額で買い取らせ、それ相応の対価を得るのでした。

さらに借金に追い詰められた遊女・お染めは、遊郭を訪れる罪のない貸本屋を道連れに「心中」を企てしたりします。

ところが臨時収入のアテが舞い込んだ瞬間、お染めは心変わりしてしまいますw
結果として貸本屋は一人で死にかけ、そして密かに生還します。

そして今度も佐平次が、貸本屋に幽霊のマネをさせて、何とも罪のない「復讐」を遂げさせてやります。
その「上がり」として彼は、店に対しては厄介払いした「手柄」を得、貸本屋からは店からせしめた慰謝料の分前をちゃっかり頂くのでした。

町人顔負けの粋なお侍、高杉晋作(石原裕次郎)

この遊郭には、佐平次の他にも「居残り」組が逗留していました。
なんと、尊皇攘夷を掲げる長州藩士、高杉晋作たちです。

高杉は、三味線を奏でながら都々逸(どどいつ)をたしなむ、粋なお侍です。
彼の作った歌が、なにげに遊郭の中でも流行しています。

「三千世界の鴉(カラス)を殺し、主と朝寝がしてみたい」
みんなが鼻唄をうたうので、この歌詞がやけに耳に残ります。

気になったので調べてみると、この歌は「起請文」と関係がありました。

起請文の誓いを破ると、神の使いであるカラスが三匹死ぬ(起請文は三枚一組のものらしい)という言い伝えから『起請文をすべて反故にして本命と結ばれたい』という遊女の想いを表現しているようです。

こんな歌が残っている事を思うと、今こういうお役人っているだろうか?と考えてしまいます。

現代は職業選択の自由があるというのは幻想で、じつは士農工商という身分制度に縛られていた説の江戸時代より、今の方がよっぽど世襲制度が強く、分業割りも進んでいるのではないかという気がします。

高杉たちが無くした西洋の懐中時計を、佐平次が拾った縁で、二人は出会う事になります。
佐平次は故障した時計を器用に修理した事をキッカケに、彼らの部屋に雑用係としてチョクチョク出入りするようになります。

長州藩士らは、幕府とイギリスとの外交交渉に不満を抱き、現状を打破しようと企んでいます。
その足がかりとして、まずは御殿山にある異人館の焼き討ちを計画しているのでした。

武士と町人のガチンコ

異人館の焼き討ちの決行が明日にせまり、いよいよ秒読みの段階に入った頃の事です。

藩士らは、炭団(たどん)に見せかけて隠し持っている火薬の存在に、佐平次がこだわる様子を見て懸念を抱きます。

もしや幕府の隠密ではないか?という疑いが浮上したため、高杉が佐平次を切る役目を買って出ます。

高杉は佐平次に小舟を用意させ、沖へ出たところで自分たちの計画を打ち明け、おもむろに彼に切りつけます。

それを見た佐平次は
「へえ、それが二本差しの理屈でござんすかい」

「ちょいと都合が悪けりゃ、こりゃ町人、命は貰った、と来やがら。
どうせ旦那方は、百姓町人から絞り上げたお上の金で、やれ攘夷の勤皇のと騒ぎ廻ってりゃそれで済むだろうが、こちとら町人はそうはいかねぇんだィ」

「手前一人の才覚で世渡りするからにゃア、首が飛んでも動いてみせまさア!」

と凄み、小舟の穴を塞いでいる栓を抜いて、さるかに合戦の泥舟よろしく沈没させようとします。

高杉はこの佐平次の剣幕を見て、潔く負けを認めるのでした。
実は、これもハッタリだったんですがw

川島雄三さんの監督映画


1957年公開

江戸時代の粋文化には
「宵越しの銭は持たない」
なんてのがありますが、これはどちらかと言えば否定的に捉えられていたと思います。

でも佐平次のようなキャラを見ていると、これは刹那的でいい加減な気分を表しているのではない事が伺えます。

江戸時代には、今では考えられないような不思議な仕事が色々ありました。
銭湯で入浴者の背中を流す「三助」や、酒席での客の機嫌とりや芸の披露をして場を盛り上げる「幇間(ほうかん)」などが代表的ですが、どうやら他にも様々なものがあったようです。

そして、こういった仕事の特徴は「専業」では無いという事です。
江戸の町人は、佐平次ほどでは無いにしても、多かれ少なかれ多様な仕事を「ほどほどに」こなし、その日暮らしをしていた部分があるようです。

だから宵越しの銭を持たなくても生きていけた、という事ではないでしょうか。

もちろん、それでは現代のような生活水準は望めなかったでしょう。
でもその代わりに、仕事で拘束される時間も少なくて済みました。

佐平次は、空き時間に「新薬の調合実験」という高度な趣味に、時間を割いていました。
江戸時代には、優れた芸術や発明が生まれましたが、これは町人たちの「余暇」が生んだ賜物ではないかと思います。

現代では「オタク」による文化創出が目覚ましい時期がありましたが、もしかするとこれからは「ニート」層が新しいカルチャーを産む現象が始まるかもしれないし、既にもう始まっているのかもしれません。

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