「お早よう」は、当時の庶民の日常を、面白おかしく描いたホームドラマです。

この作品で一番印象に残ったのは「ご近所付き合い」の煩わしさです。
そして、そうした中で ちょっとした「挨拶」が、
けっこう大事だという様子が描かれていました。

その一方で想いを寄せ合っている若い男女が、
なかなか挨拶から先へと踏み込めない様子も出てきます。

いっけん濃厚に見える「ご近所付き合い」もどこか薄っぺらな感じがして、
この先いろいろな場面で、人間関係が希薄になって行くという
日本の社会の「予感」のようなものを感じました。

ごく平均的な主婦という感じの、民子(三宅邦子)


東京の郊外あたりの、長屋のような平屋住宅がひしめくエリアに、
林家という平凡な一家が暮らしています。
夫は定年もそう遠くない中年男性で、妻の民子は専業主婦です。

林家では最近、中学生の実(みのる)や小学生の弟が、
テレビに夢中で困っています。

この界隈で、テレビを持っている世帯は1軒しかない
という時代です。
実は英語を習いに行くと嘘をついて、
テレビのある家に遊びに行ってしまいます。

民子が注意すると、実は
「じゃあ家もテレビを買ってくれよ」
の繰り返しで、埒が明きません。

そんな民子には、もうひとつ心配事があります。

この近所の主婦たちには「婦人会」という寄り合いがあって
民子は会員から会費を集めて、組長に収める事になっていました。

ところがご近所さんから「会費が収められていない」と聞かされ、
その奥さんの話ぶりだと、まるで民子が疑われてでもいる様子です。

居ても立っても居られなくなった民子が組長に確かめてみると、
組長は「受け取っていない」と言います。

「収めたはず」「受取っていない」の応酬になり、
二人は何だか気まずくなってしまいます・・・。

大人の矛盾に反抗する中学生、実(設楽幸嗣)

実は最近、テレビも買ってもらえない上に、
近所の家へテレビを見に行のを禁止されて、ご機嫌斜めです。

ある日実は、父親と喧嘩になります。

実が真剣にテレビを買ってくれない理由を訪ねているのに、
父親は「うるさい」とか「子供は大人しくしていろ」などと言うだけで
真面目に取り合ってくれません。

実は、父親の理不尽な態度に納得がいきません。
大人には分からない事ですが
テレビの有る無しは、子供にとっては「死活問題」なのです。

実は、なおも食い下がります。
「大人だって、お早うだの、いいお天気ですね だのと
意味の無いお喋りをするじゃないか」という反論です。

そして、だんだん面倒くさくなってきた父親に
「いいから黙っていろ!」と言われてしまいます。

実は意地になって「じゃあ、もう何も言うもんか」となり、
抗議行動として「だんまり作戦」に出たのでした。

やっぱり挨拶は大事だった・・・

実は弟とともに、徹底的な「だんまり作戦」を敢行します。

家だけでなく、外へ出ても、学校でも
徹底して一言も口を利かない、という強硬手段に出ました。
もちろん近所の奥さんが「おはよう」と声をかけても、だんまりです。

ところが この様子を見た婦人会の組長は
民子が組合費の事を根に持って
子供に口を利かないように仕向けたのだと勘違いしてしまいます。

そして この噂は一気に近所中に広まり
「民子は表面は上品に振る舞っているけど、性格に問題がある」
という事になってしまいます。

何も知らない民子は、何故か最近 近所の奥さん連中が
やたらと貸していた物を返しにくるのを、不思議に思うのでした。

1959年公開

この頃の庶民の暮らしを見ていると、
まるで仮設住宅のような質素な家に住んでいたり
家電も充分に買えないのが一般的だったようです。

ただ この頃と比べて今は、生活が豊かになった反面
労働条件は過酷になっていると思いました。

働き盛りの父親が、わざわざ一杯飲んで帰ったり
ウイークーデーから子供たちと晩ごはんが食べられるなんて
随分と余裕のあるリーマン生活です。

そして飲み屋で会ったお隣さんが、定年退職を嘆く場面で
「30年間辛抱したのに」と愚痴るのを見ると
「30年なら良いじゃないか」と思ってしまいます。

ただ、このお隣さんが「定年退職した後の収入が無い」というのは
今とはだいぶ事情が違っています。

彼は退職金も少ないようだし、早々に再就職しなければ
たちまち生活に困るといった様子です。

年金の歴史をざっと調べてみると
日本で初めて老齢給付が開始したのは昭和29(1954年)で、
それも厚生年金保険の場合のみだったようです。

そして「国民皆年金」体制のスタートと支給は、
更にその後の昭和36(1961)年まで待つ必要があったのですね。

そして もう一つ気になったのが、テレビの話題の時に出てきた
「一億総白痴化計画」という言葉です。

これは社会評論家の大宅壮一さんが作った流行語で、
テレビというメディアの低俗さや、子供の想像力や思考力を低下させるという
当時の危惧を表したものだったようです。

何だか余りにも的中しているようで、恐ろしい気分になりました。

そして映画では単なるユーモアとして出てくるエピソードにも、
ちょっと引っ掛かりがありました。

子供たちの間で「オデコを押したら、オナラを出す」
という遊びが流行っていますが、これは一体どうした事でしょう!?

自由自在にオナラが出せるなんて、
腸が悪いんじゃないかと思ってしまいます。
現に一人の子などは、オナラだけでなく「身」が出てしまったりします。

他にも、常にオナラをしている中年男性が出てきます。

今から思うと、これは急激な食の欧米化について行けず
日本人の腸が悲鳴を上げている状況への「問題提起」と思ってしまうのは
私だけでしょうか?

色々な意味で、けっこう考えさせられる
エピソードの詰まった映画でした。

小津安二郎さんの監督映画


【ちょっと脱線】幸せそうな牛のミルクが飲みたい

「なかほら牧場」という乳製品のオンラインストアのトップページを見たとき、昔NHKの某番組で見た『幸せそうな牛』の光景を思い出しました。

『幸せそうな牛』って、イメージできますか?

あくまでも私の印象ですが「笑っている」んです。

環境の良い牧草地で、伸び伸びと自由に駆け回る子牛たちには、表情があったんです。

いままで自分が見ていた牛は、寂しくてウツ的な眼をしていたんだと、衝撃を受けた事を思い出しました。

出来れば その番組の映像も紹介したいと思って探してみましたが、見つけ出すことが出来ませんでした。

その代わりにはなりませんが、ここは昭和初期の映画を紹介するサイトなので、
お嬢様として何不自由なく育ちながら、
使命感にかられて茨の道を選ぶ「わが青春に悔なし」のヒロインが、
野生の力をみなぎらせて、活き活きと輝く姿のイメージをリンクさせてみました。

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