「妻」は、愛情が冷え切った夫婦の、配慮も消え失せた日常を描いた物語です。

当人にとっては相当にシビアな状況が、あくまでもユーモラスに描かれていて
「端から見たら、案外自分の人生もこんなものかもしれない」
という気がしてくるような”突き放し感”に、何だか肩の力が抜けるようでした。

そして この映画で一番印象的だったのは、たびたび登場する「名曲喫茶」の存在です。

そこは今のカフェとは違い、クラシカルなヨーロッパ調の非日常的な空間で、それがまるで生活に疲れた中年男性の秘めた恋を象徴しているようでした。

こんな風に、手軽に優雅な気分に浸れるステキな場所があった頃が、なんだか羨ましくなってしまいます。

そして普通の一軒家での間借人を置いた3世帯の同居が、ゴタゴタしながらも結構ストレス無くやれている様子には驚きました。

美術学校の学生とは ほとんど居間を共有している状態だし、奥さん同士は友達のような親しさです。
貸主の奥さんは文句を言いながらも、かえって冷え切った家庭の孤独が紛れているように見えました。

油断してオヤジ化した妻、みね子(高峰三枝子)


みね子は結婚10年目の、だらしない専業主婦です。

食後にシーハーしたり(それも爪楊枝ではなく、お箸で)、お茶でうがいはするわ、おせんべいをバリバリほうばりながら喋るなど、いまでは本物のオヤジですら やらないような仕草が満載ですww

台所は学生の下宿のように汚く、お弁当には髪の毛が入っていたりと、30代にして完全にくたびれたオバサン化しています。

ところが みね子は、自分はむしろ つまらない男と結婚してしまったと不満を募らせています。
というのは夫の給料では生活が成り立たず、みね子は家に下宿人を入れたり内職をして暮らしているからです。
おまけに みね子は単純明快で実利的な性格なので、自分の世界を内に秘めたような夫とは話が合わず、毎日がつまりません。

ただ彼女は、悪く言えばズボラですが、良く言えばおおらかでオープンマインドな所があります。
みね子の家庭は何かと人の出入りが多く、それぞれ近況や噂話などの話題を持ち込んできますが、そんな時の彼女は良き聞き手という感じです。
みね子は裏表のない正直な人なので、そういう所が何となく信頼されているのかもしれません。

間借人は家賃を滞納したり、騒動を起こしたり何かと厄介な存在ですが、神経が太かったり煙への嗅覚があるのを見ていると 案外みね子は管理人業に向いていそうですww
「愛人」稼業の女性にに部屋を貸して、パトロンの妻が訪ねて来たときなどは、彼女の愚痴や泣き言に付き合ってあげるという優しいところもあります。

夢見がちで物静かな夫、中川(上原謙)


中川は安サラリーマンですが、芸術や精神的な豊かさへの興味が勝り、金銭や出世への欲はありません。

その点、下宿人の美術学生・谷村(三國連太郎)とはウマが合うようです。
二人で人生の味気無さや、恋や夢への憧れを語り合い、逃避モードを醸しています。
そんな中川の生活は「オヤジ化」した女房との殺伐とした家庭と、無味乾燥な仕事という毎日の繰り返しで、夢も希望もありません。

そんな中川の日常に、素敵な女性が現れます。
職場のタイピスト相良(丹阿弥谷津子)は、慎ましくも生活に楽しみを見出す才能を持っています。

彼女は未亡人で小さな子どもを育てながらのお勤めですが、生活の苦労は微塵も感じさせません。
手の込んだお弁当を持ってきてランチタイムを楽しく過ごし、音楽や絵画などの芸術を愛するだけでなく、自分でも創作活動に乗り出そうとしています。

中川は相良に誘われるまま、お茶を飲んだり展覧会に出かけたりと親しくなって行き、いつしか彼女を愛するようになります。
そして相良が家庭の事情で引っ越しをしたのがキッカケとなり、二人は不倫の関係へと進展して行くのでした。

妻のパワー勝ち

些細なことで、相良の存在は みね子の知るところとなります。

ところが みね子の問い詰めに、中川はアッサリと白状してしまいます。
そのまったく取り繕うことをしない様子からは、みね子を失う事への不安は感じられません。

みね子が家出をしても
「彼女は当分、里へ行って気晴らしさ」
というセリフからは、彼女が戻ってくるのを確信している事がわかります。

ふだんは大人しい中川の態度が、今度ばかりは頑ななのを見て、みね子は周りを味方につけようとします。
共通の友達に運動して説得させたり、実家へ泣きついて叔父に談判に行かせたり、しまいには会社へ行って事務の女性に言いふらしたりします。

それでも中川が微動だにしないのを見て追い詰められた みね子は、最後の手段に出ます。
それは、相良との対決です。

みね子の相良への攻撃は相当ドロドロしたものがあり、それまでのユーモラスな演出がここで急展開してしまいます。
オヤジ化したオバさんであれ、けっこう良い人だと思っていた みね子が
「死んで二人を恨みます」
などというセリフを吐くのを見ると、経済的に夫に依存するしかない妻が、いかに弱い存在かという事を物語っているようでした。

結局は魂の抜け殻のような中川を取り戻した みね子ですが、それは同時に自立の機会を失ってしまったように見えます。

みね子の妹は
「妻が知らないフリさえしていれば、夫はがんじがらめなのよ」
と言いましたが、この場合 本当にがんじがらめなのは妻の方ではないかと思いました。

1953年公開

映画には、自立を迫られて自営業に乗り出そうとしている女性が複数登場します。

父を亡くした妹はお勤めの薄給さに嫌気がさして、みね子に自営業をやろうと誘いかけます。
そして夫を亡くした義理の姉は、婚家先と分かれて洋裁店か古本屋をやろうとしています。
相良も勤めを辞めたあと、友達と洋裁店の開業に踏み切っていました。

この頃は、女性が単純作業ていどの給料で暮らしていくのは非現実的で、特別なスキルのない女性が自立するにはホステスでもするしかなく、あとは自営業に乗り出すしか道はなかったのかもしれません。

一方で自営業に対する難易度は、今より敷居が低かったのでは?という風に見えました。
逆に今は、今ならではの方法が色々とあるのでしょうが、サラリーマン頭にどっぷり浸かった環境にいると、心理的なハードルが高いという事なのかもしれません。

結婚が破綻している みね子や中川が、自営業に踏み出そうとしている未亡人に
「再婚すれば良いのに」
とそれぞれ提言しているのを見ると、そういう発想こそが夫婦の関係をおかしなものにしているような気がしてしまいました。

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