「吹けよ春風」は、タクシーの運転手に従事する男が、その仕事を通して垣間見る人間模様に魅せられていく様を描いた物語です。
都会というのは、どうしても人間関係が薄くなってしまう傾向があると思いますが、そんな環境の中でも“他人への関心”や“共感する感性”があれば、もっと豊かな人生が送れるのかもしれないという気がしてくる作品でした。
タクシーの運転手という“フィルター”を通して見える人々の様子は、それぞれドラマチックに描かれ過ぎている気もしましたが、運転手さんの中には相当 観察眼が鋭い人もいて、人間ウォッチを楽しんでいるのかもしれません。
家出娘を何とかして保護しようとする主人公の行動からは、一人ひとりの職業人の社会への責任のようなものを感じました。
危なっかしい家出娘
タクシーの運転手をして大勢の人を見ていると観察眼が鋭くなってくるのか、松村(三船敏郎)は雨の夜に乗せた娘が家出娘なのだと、ピーンと来ます。
何の準備もなく、勢いで飛び出してきたような雰囲気を漂わせているからかもしれません。
彼は最初は厄介だなと思いつつも、降ろした駅でさっそく怪しい男に連れて行かれそうになる娘を見て、放っておけなくなってしまいます。
ところが親切心を発揮したまでは良かったものの、この娘は思った以上に強情で、その日はほとんど仕事にならないくらいに手を焼かされるのですが、それでも娘は家に帰ろうとしません。
こっちは業務を中断してまで他人の心配をしてやっているにも関わらず、娘は全く聞く耳を持たないのでした。
いくら親切とはいえ、タクシーの運転手である彼が人生相談まで上手な筈もありません。
松村はさんざん振り回された挙げ句の果に最後は言い合いになって、娘を人気の無い寂しい場所へ降ろしてしまう結果に終わります。
ところが その後も松村は後味が悪く、やっぱり娘を降ろした場所へ引き返しますが、娘はどこかへ去った後でした。
どこか興味をそそる、寂しげな老夫婦
ある昼下がり、松村は裕福そうな老夫婦を乗せました。
二人は何だかひどく寂しそうです。
しばらく話を聞いていると、どうやら今日は銀婚式のお祝いにと出かけてきたのですが、あまり面白くない状況になっているようです。
心優しい松村はこの老夫婦が不憫になり、ガソリンスタンドに立ち寄ったついでに、生けてあった花を分けてもらって小さな花束を作ります。
そして、この二人に「銀婚式おめでとうございます」と渡してあげるのでした。
この見ず知らずの若者からの温かい心遣いに、老夫婦は感激してしまいます。
奥さんの方は常識はずれだとは思いつつも、是非この運転手さんへのお礼として夕ご飯をご馳走したいからと、家へ招待します。
元々人好きの松村はこの申し出を断りにくく、お宅へ呼ばれる事にしました。
この老夫婦には松村と同じくらいの息子がいたのですが、彼は亡くなってしまったのでした。
どうやら、それからというもの二人は無気力になり、それまで住んでいた大阪の家を引き払って、わざわざ息子の住んでいた東京へ移り住んだのだと言います。
ところが この思いつきは失敗だったようで、知らない人ばかりの土地へ来て毎日ブラブラしていても、結局はただ寂しいばかりなのでした。
こうして夫人と松村が話をしている間、ご主人が料理を作っていました。
どうやらご主人は料理に造形が深い人で、珍しい料理を振る舞いながらその調理法などのウンチクを語る姿は何とも楽しそうです。
そして、うっかり“秘伝の味”の事まで喋りそうになり「いや、これは人には言えないな」と口をつぐみます。
この夫婦は、かつては料理屋を営んでいたようです。
人生を能動的に生きるということ
松村は、ただこの老夫婦のお宅に呼ばれて夕食をご馳走になりながら、身の上話を聞いているだけでした。
ところが二人は松村と話をしているうち、だんだん昔の生活を思い出し始めたようです。
夫人は「お父さん、今料理の話をしている時すごく楽しそうだった」「息子が亡くなったからといって、遊んでいたバチが当たったんだよ、帰ってまた商売を始めよう」と前向きな気持ちになって行きます。
そしてご主人も同じ気持ちになったらしく、二人は最初見た時とはまるで別人のように活き活きとしてきました。
松村は、こんな他人の感動的な場面に偶然出くわした事に、何とも言えない喜びを覚えました。
売上は減ってしまいましたが、それ以上に豊かな報酬を得た気分になったのです。
こういう喜びが、彼を接客業に従事させている“ゆえん”なのでした。
そして有る日松村は、かつての家出娘と偶然町で出くわしました。
彼女は母親と一緒で、とても幸せそうにしていました。
松村があの時、義俠心を発揮して骨折りをしなければ、彼女の人生は違うものになっていたかもしれません。
こうして松村は、毎日与えたり与えられたりしながら、すれ違い様の人たちとの関わりに面白さを見出す事で、幸せに過ごしていくのでしょう。
谷口千吉さんの監督映画
1953年公開
映画では、昭和28年時点の東京の様子が映し出されています。
中でも一番印象的な映像は、木造の渡し船が出る船着き場の風景です。
これは、中央区の明石町(築地の聖路加国際病院あたり)と佃島を結ぶ「佃の渡し」という都営最後の渡し船です。
かつては銀座のすぐ近くにあんな船が出ていたのだなあ、と驚くような何とも趣のある情景です。
そして物語には、車に乗った事のない子どもたち10人がタクシーにすし詰め状態になって銀座を走る様子や、酔っぱらいがハメを外して車の天井に登ったりするという、今では考えられないようなファンキーな場面が登場します。
松村の「大概のパンパンは家出娘だよ」というセリフからは当時の治安の悪さが伺えるし、戦争で海外に取り残された人々の引揚船の話題も出てきて、戦後の傷跡もまだ残っている時代だったようです。
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