警察日記

「警察日記」は、お金に縛られて警察の門をくぐらざるを得なくなった、ギリギリの人たちを描いた群像劇です。

お互いに助けたり助けられたりしながら、必死で何とか生きているギリギリの人生模様が、
しみじみと温かい気持ちにさせてくれます。

中でも一番印象に残ったのは、子どもたちの表情でした。

彼らは、どん底のような状況にあっても、常に豊かな心や愛情を持っています。
その素のままの喜怒哀楽には、単なる可愛いさを通り越して、何だか神々しいものすら感じてしまいました。

この輝きは、人間が本来持って生まれ、大人になるうちにだんだん失われてしまうものなのでしょう。

おっとりして責任感の強い、吉井巡査(森繁久彌)

 

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吉井巡査は、町の住人の信頼も厚い中堅の巡査です。
彼は捨て子の姉弟の世話をする事になりますが、なぜかなかなか子供たちを預かってくれる先が見つかりません。
役場や孤児院、保健所でも「管轄ではない」と断られ、たらい回しにされてしまいます。

お姉ちゃんのユキコは、まだ言葉もよく話せないくらいの小さな女の子なのに、何だか既に姉としての自覚が芽生えているみたいです。
いつも赤ん坊のシゲルの事を気遣い、自分の不満はグッと堪えている感じです。

町中を彷徨い歩いてクタクタになった吉井は、顔なじみの料亭の女将のところで、ようやく一息つかせてもらいます。
この女将は、母親と二人で料亭を営む独り身の中年女性ですが、困り果てた吉井の様子を見かねて「一晩だけなら」という条件で、赤ん坊の方だけ預かっても良いと承諾してくれました。
多少はホッとした吉井ですが、姉のユキコの方は自分の家で預かる他ありません。

彼は自分の妻がお産の日だった事も忘れていて、帰宅すると赤ん坊はほとんど生まれたばかりの所でした。
ユキコはしばらく、吉井の家で彼の子供たちと暮らすことになります。

森繁久彌さんの出演している映画


小さくてもお姉ちゃんの、ユキコ(二木てるみ)


ユキコは、吉井家の子供たちと一緒にいても、やっぱり母親が恋しいと見えて、どこか元気がなく沈んだ様子です。

そんなある晩、町では些細な事故で停電が起こり、ちょっとした災害モードになります。
ところが この騒ぎに乗じて、ユキコが居なくなってしまいます。
こんな真っ暗な夜に姿を消してしまったユキコが心配で、吉井は町中を探し回ります。

一方 女将の家では、弟のシゲルがあのまま預けさせられていました。
そうするうち、女将たちは赤ん坊に情が移ってしまい、手放せない心境になっていたのです。

そこへユキコが、たった独りで訪ねてきます。
ユキコはずっとシゲルに会いたくて、その事ばかり考えていたのでした。

そして、シゲルを見つけると堰を切ったように泣きじゃくり、女将は引き離されて辛い思いをしていた姉弟の情の深さを思い知らされます。

じつは彼女は、シゲルだけは引き取ってあげようと思っていたのですが、この際二人まとめて面倒を見る決心をするのでした。

最後は、こころで判断する

こうしてユキコとシゲルは、この町一番の裕福な家庭に引き取られ、幸せな日々を送っていました。
ところが警察署に、二人の母親を名乗る女性が現れます。

彼女は、いったんは子供を手放したものの、どうしても諦める事が出来ずに再び舞い戻ってきたのでした。
吉井たちは母親を叱る一方で、やっぱり内心ではホッと胸を撫で下ろします。
そして母親に、子どもたちは親切な家に引き取られて、幸せに暮らしている事を伝えます。

シゲルは母親の方に懐いて「お婆ちゃんっ子」になり、女将はユキコがお気に入りで、二人で競争で可愛がっているらしく、沈みがちだったユキコの表情も明るくなっていました。

ところが母親は、そんな子供たちの様子を聞いて、名乗りを上げる事を躊躇します。
じつは、彼女は今までさんざん職を探して歩いたのですが、とても子供を養っていく事などできないのが分かり、3人で心中するために二人を連れに来たのだと告白します。

こう言われては、吉井は子供たちと母親を会わせる訳には いかなくなってしまいます。
彼女を警察のジープに乗せ、遠くから二人の姿が見られるようにして、親子の対面をせずに別れさせる事にします。

ふたたび子供たちとの別れに苦しむ母親を見て、その心境を察する巡査たちも胸を痛めずにいられませんでした。

久松静児さんの監督映画


1955年公開

物語は悲惨なエピソードばかりなのに、それぞれの置かれた辛い状況に寄り添う巡査たちの温厚さと、風光明媚な磐梯山の麓というロケーションが、しんみりと優しい気持ちにさせてくれる作品でした。

そして人情ドラマの中にも、しっかり戦後の社会問題が織り込まれ、ユーモラスに皮肉を込めて描かれています。

中でも、息子をすべて亡くして気が狂ってしまった親父さんが、未だに軍国主義の頃のまま時が止まっているという姿がとてもブラックでした。

他にも地方行政が、中央から予算を取る事ばかりに躍起になって、肝心の農民たちが置き去りにされていたり、省庁間で手柄の取り合いに血眼になっている様子は、形は違えど今と同じような流れです。

「神社荒し」の存在などは、神仏の怒りやタタリよりも、生きた人間の方がよっぽど怖いという社会を表しているようでした。

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