「生きものの記録」は、原水爆の実験が相次ぎ、放射性物質が日本の上空に降り注ぐという恐怖の時代を描いた物語です。

この映画で胸を突かれたのは「やるべき対策を打ってさえいれば、どんな困難も避けられる」という主人公のセリフでした。
普段わたしたちは、いち庶民の力では何も出来ない、大きな権力やパワーには叶わないと言って、諦めている事がたくさんあると思います。

ところが主人公の社長は、人の反対も、新しい事を始める怖さも、立ちはだかる障害も、どんどん乗り越えて行ってしまいます。
ただ そんな彼も、結束した臆病者の集団の力で、とうとうねじ伏せられてしまいます。
それも一番の味方である筈の家族の反対が、彼にとっては一番手強くて叶わないのです。

物語は、ブラジルへ集団移住してゼロから農業を始めようという極端な話なので、家族の方に共感してしまいそうですが、案外何かを成し遂げたい時に家族の反対が一番の障害になるというのはリアルな話だと思いました。

愛すべきゴッドファーザー、中島喜一(三船敏郎)

中島喜一は、鋳物工場の経営者です。
喜一は叩き上げのワンマン社長という感じで面倒見が良く、大勢の子供だけでなく妾やその子供が何人も居るという、色々な意味でやり手の男です。

「みんな引っくるめて面倒見てやる!」といった男気の強い人で、彼には不可能という文字はないくらいに行動力があり、大ケンカの真っ只中であってもみんなにジュースを買ってきてやる仕草などは、何か温かいものを感じてしまう愛すべきキャラです。

ところが、この既に老年期に入ったモーレツ社長には、今とても気掛かりな事があります。
それは、原水爆の実験です。
時代は冷戦真っ只中、南太平洋方面からはアメリカの、北方からはロシアの実験で放射能が発生し、気流の関係で日本に流れて来るという大変な事になっています。

最初喜一は南方からの放射能を避けるために東北に核シェルターを建設しましたが、今度はロシアからの被害があった事で計画を断念し、とうとうブラジルへの移住を決意します。
苦労して築いた鋳物工場をたたみ、お妾やその子供まで連れて大家族全員でブラジルへ移住して、一から農業を始めようと言うのです。

世話好きのインテリ調停人、原田(志村喬)

この喜一の突飛でワンマンな行動に、工場で働く子供たちが困り果て、家庭裁判所に相談を持ち込む所から物語は始まります。

普段は歯医者を営んでいる原田は、調停役として中島家の子どもたちから「準禁治産」の申立を受ける事になりました。
「準禁治産」とは今でいう「成年後見制度」の事で、財産の管理能力を失ったり浪費癖のひどい資産の持ち主に変わって、後見人を選ぶ制度です。

原田は、喜一の極端な行動に最初こそ驚きますが、話を聞けば聞くほどその内容は最もな事で、逆に放射能の被害をそれ程問題にしていない自分たちの呑気さに疑問を抱くようになります。

それに「準禁治産」とは管理能力の欠如や浪費という理由がなければ適用できる制度ではなく、喜一のケースの場合は精神鑑定の結果は正常であり、ブラジルへの移住は浪費とは言えません。
論理的には喜一が正しいし、原田は喜一の言動は決して間違ってはいないという気がしています。
ところが一般的な常識の観点で、複数の調停役のうち原田以外は申立を成立させるという意見で一致するのです。

申立は原田の反対票で成立しませんでしたが、ここで喜一は失敗を犯してしまいます。
ブラジルの土地の購入するにあたり、頭金が必要になった喜一は取引先などからお金を徴収し、資金を持ち出してしまいます。
裁判中の財産は凍結された状態であり、勝手に持ち出す事は違法行為です。
これが原因となり、とうとう準禁治産は成立してしまうのでした。

本当の恐怖とは・・・?

原田はその後しばらくして、偶然電車の中で喜一を見かけました。
エネルギーの漲っていた彼は変わり果てて病気のようになり、別人のように弱々しくなっていました。
彼の事がずっと気になっていた原田は、喜一に声をかけます。

すると喜一は恨みに満ちた様子で、原田を責め始めます。
喜一は、放射能の事が気にはなっていても心配はしていなかったと言います。
それは、やるべき対策を打ってさえいれば、どんな困難でも避けられるという自信があったからでした。
ところが裁判で負けた後は、手も足も出ない、何も出来ない状態になってしまった。
だから今は不安でしょうがない、と言うのです。

原田は、また何か考えさせられてしまいました。
そして喜一は、この後どうしようもない狂気へと突き進んで行ってしまうのです。

1955年公開

この頃は、第5福竜丸事件など漁船の被爆が相次いで乗組員が死亡したり、水揚げされた「原爆マグロ」と呼ばれる汚染された魚が大量廃棄されるなど、原水爆による放射性物質の恐ろしい被害が問題になっていた時代です。

ところが東西の冷戦構造という当時の国際情勢は、お互いに核保有量や核実験を争うような状況で、7年後の1962年の「キューバ危機」には その恐怖が最高潮に達します。
今もその恐怖が無くなったわけではなく、放射性物質については原発事故の被害という別の恐怖も存在しています。

原子力発電の起源をたどると、1955年に原子力基本法が成立し、最初の原子力発電が行われたのは1963年だそうです。
法律が成立したのが、ちょうどこの映画が公開された年と一致しており、黒澤監督の原発への危惧のようなものを感じます。
原発の安全神話が崩れた今、”何も出来ないのだから諦める”という思考停止状態に陥ってはならないと考えさせられる作品でした。

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