「乙女ごころ三人姉妹」は、浅草で流しをしながら生活と戦う、姉妹たちを描いた物語です。
門付(かどづけ)という「流し」文化や、子供が夜の町で働いていたという事実、家庭での姉妹たちの不平等な扱われ方など、今から見るとまるで外国のように新鮮な驚きに満ちていました。
そして、描かれているのは下町の虐げられた境遇の女の子たちなのに、彼女たちが皆おっとりしていて言葉遣いが丁寧なのも、ちょっと不思議な感じがします。
これは、この頃の日本の特徴なのかもしれません。
ファッションは、日本髪に着物の子もいれば洋服にハイヒールのモダンガールがいたり、男性は和洋折衷なレトロモダンという感じで、和と洋の混在した様子が面白い雰囲気を醸しています。
この頃の「レビュー」はアメリカンなラインダンスではなく、演歌に合わせてロリータっぽいダンサーが踊るという ちょっと怪しげで独特な雰囲気で、今となってはほとんど異次元ワールドでした。
真面目に頑張っているのに浮かばれない娘、お染(堤真佐子)
お染は、不遇の身の上ながら朗らかで優しく、まだ若いのに人格的にずいぶんと出来た娘です。
門付(かどづけ)という「流し」をしていた母親に育てられ、彼女も子供の頃からずっと流しをして働いています。
母親は「お師匠」として既に引退していて、いまは娘と雇いの女の子3人が労働力となっています。
居酒屋やカフェーに出向いて、三味線を弾いたり歌を歌ってチップを得るのが彼女らの仕事です。
ところが、どうやら彼女らは蔑まれたり疎まれたりと、あまり望まれない存在という感じです。
お店の人が嫌がらせにレコードを掛けたりするのを見ると、「流し」の存在はオーディオ機器に押され気味になっているようです。
貧乏な上に人々に疎んじられるのはまだしも、彼女らが一番悲しいのは母親の仕打ちです。
「稼ぎが無い奴は出ていけ」と言わんばかりにキツくあたる母親の態度は、実の娘としては寂しい限りです。
堤真佐子さんの出演している映画
一人だけ浮いている末娘、千枝子(梅園竜子)
三人姉妹の中で、末っ子の千枝子だけは何故か呑気で気楽なお嬢さんという感じです。
千枝子はお染と同じ家庭に生まれながら、随分と扱いが違います。
一応レビューの踊り子として働いてはいますが、この子だけは「労働力」としてではなく、娘として育ててもらっている感じです。
上の二人には鬼のように接する母親も、千枝子にだけは不思議な愛情表現をします。
母親の
「いい人が出来たら、親子姉妹の縁を切ってやる」
というセリフには、千枝子には堅気の家に嫁いで欲しいという願望が現れているようです。
この時代の兄弟というのは、必ずしも平等に扱われる訳ではなかったのかな?と驚きました。
そしてもっと不思議なのは、これほどのエコひいきに、誰も異を唱えないという所です。
お染は
「せめて千枝ちゃん一人くらい素直に育ってくれなきゃ、姉さん寂しいわ」
と言って、親心のような優しさを見せるのでした。
じっさい千枝子には付き合っている男性がいて、幸せそうな未来が待っているようです。
梅園竜子さんの出演映画
悲しい巡り合わせ
この姉妹には、じつはもう一人兄弟がいます。
長女のおれん(細川ちか子)は、家出して今はもういません。
彼女は他の二人とはまた全然違うタイプで、流しの仕事がバカバカしくなったのか、界隈のチンピラのボスになって悪事を働いていました。
それでも ある男性と恋に落ちたのをキッカケに、悪事からは足を洗ったのでした。
そして、ある日お染は偶然おれんに出会います。
彼女らはいま極貧状態で、夫が病気だというのに、田舎に帰る旅費さえ無いという有様でした。
思い余ったおれんは
「これを潮に、今度こそ本当に足を洗えばいい」
と思い、田舎へ行く旅費を作るため昔の古巣へ戻る決心をし、金持ちのボンボンから「カツアゲ」するのに一役買ってしまいます。
ところがそのボンボンは、千枝子の彼氏だったのです。
この計画に気づいたお染が止めに入ったものの、お染はチンピラに刺されて怪我をしてしまいます。
成瀬巳喜男さんの監督映画
1935年公開
この映画で一番面白かったのは、1935年(昭和10年)当時の浅草の様子です。
芝居小屋や映画館、飲食店が所狭しと立ち並んで活気があり、夜はカフェーやレビューといった艶めかしい場が賑わいます。
隅田川の情景も出てきますが、帆船が走っていたり、船がたくさん停泊している様子は、ちょっとした港のようです。
「松屋の屋上」の光景も登場し、当時のデパートの屋上はいろいろと実験的な試みをしていた事がわかります。
動物園のような大きな檻があって中に動物がいたり、ロープウェイのようなものも走っています。
他に高い建物が無いので眺望も良く、遊園地のような楽しそうな空間でした。
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