「鬼火」は、日常に潜む悪い考えがひょんな事でエスカレートして、大きな悲劇に発展するという毒々しい物語でした。

たとえ激しい悪意が無かったとしても、出来心や想像力の欠如から、時として思わぬ結果を招く事もあるという、ちょっと怪奇的な怖さが満ちています。

それが いかにも恐怖映画というのでなく、ごく普通の男性の日常を描いていながら、それが一歩間違う事で「魔界」に繋がってしまうような紙一重なところが、一層恐ろさを増しているのだと思います。

モヤモヤしている独り身の男、忠七(加東大介)

 

真夏の酷暑の中、徒歩で下町を巡る忠七は、けっこう成績の良い「ガスの集金人」です。
彼は愛想の良いお人良しに見えますが、その内側では鬱積したものを抱えています。

昔は闇屋をやっていて、その頃はけっこう羽振りが良かったのですが
絶妙なタイミングで止めて堅気に戻った事で、その後も落ちぶれずに済みました。

ただ、いちど美味しい思いをしてしまったせいか
真面目に働いても、自分ひとり暮らして行くのが精一杯という現状には、不満が募ります。

おまけに彼は、子供の頃からの貧乏続きで「憂さ」の蓄積があり
貧乏人から厳しく取り立てることに、一種の優越感を感じるような屈折した所があります。

そして家庭の内側を見る機会の多いこの仕事には、数々の誘惑に出くわす場面も少なくありません。
留守宅の勝手口に、お財布が無造作に置いてあったりするのは序の口で
奥さんのお留守に、旦那さんが昼間っから女中さんと・・・なんて現場に出くわしたりすると
心がザワつくのが止められない様子です。

おまけに忠七は家庭も持てず、彼女もいない独り身を持て余しています。
要領の良さそうな集金仲間ですら、自分の立場を利用していい思いをしているらしく
自分だけが真面目にやっているようで、だんだん馬鹿らしくなってきます。

そんな折、彼はある「難関な案件」に挑戦します。
その家は荒れ果てて幽霊が出そうな不気味さで、忠七は少し躊躇しつつもその門をたたきます。

出てきたのは、みすぼらしい身なりのやつれた女性でした。
ひろ子というその女性は、苦労の中にも美しさを忍ばせています。

彼はいつもの調子で強気に催促をしますが、ひろ子は
「夫が病気で、薬を煎じるのに どうしてもガスが必要だから、どうか止めないで欲しい」
と懇願します。

そんなひろ子の哀れな様子を見て、忠七の中に良からぬ考えが芽生えてしまいます。
彼は「考えてやってもいいが、ただでは出来ないねぇ」と、
彼女に肉体的な代償を求めるのでした。

謎に満ちた美女、ひろ子(津島恵子)

 

ひろ子は忠七の要求に「夫が寝ているので、ここではいけません」と返します。
そこで忠七は、自分の家に出向いてくるように言い、その時に便宜を図ってやると約束します。

その夜、忠七はウキウキして身なりを整えたり、寿司を取ったりして、お出迎えの準備をしています。
すると、まるで見違えるように綺麗になり、表情も明るくなったひろ子が現れます。
そして色っぽくお愛想を言ったりするので、忠七は舞い上がってしまいます。

この別人のようなひろ子と、あまりに違和感のある展開に、何が起こったのか謎が深まりますが、それは何の事はない「忠七の妄想」だったというオチでしたww

それにしても、男というのはどこまでお目出度いのだ!?と驚くような、自分に都合の良い解釈には思わず笑ってしまいました。
彼からすれば「出来心」の範疇で、皆やっている事だ、とタカをくくっていたのでしょう。

妄想と現実の違いは、まるで別世界だった

ところが忠七の妄想とは裏腹に、実際に現れたひろ子は帯すらしていません。
もう着る物すら、彼女は満足に持っていないのでした。
そして一応来るには来たけれど、やっぱり決心がつかず、彼女は怯えて家を飛び出して行ってしまいました。

ひろ子は、昔はとても幸せに暮らしていました。
ところが夫が不治の病にかかってからは貧乏のどん底まで落ちて、どうにもならない状況になった所に、忠七の脅迫と出会ったのです。

ひろ子は、迷いに迷いました。
そして悩んだ挙げ句に、決心を固めます。

彼女は夫に「帯が無くて出かけられないのよ」と告げますが、そこには夫にはっきりとは言わなくても、ギリギリの選択を迫られているという告白が含まれているように見えます。
そして夫の答は「俺の帯をしていけば良い」というものでした。

何だか夫は、状況を察した上で、そう言ったように見えます。
もちろん妻を愛していない訳ではなく、追い詰められてどうにも仕様が無かったのでしょう。

もう語るべき事も無くなったような二人の短いやりとりの中には、言葉に出すのも憚られるような苦悩と悲しみが滲み出ています。

◆千葉泰樹さんの監督映画◆


1956年公開

この映画は、その映像や演出的な際どさに、ついつい心を持って行かれてしまいます。

でも実は、この物語で一番恐ろしいのは、他人の不幸に対する異様なまでの無関心ではないかと思います。
人の家の情事などには、めっぽう好奇心旺盛なのですが・・・。

そして忠七の呑気な妄想と、地獄のような現実とのギャップも、この物語の怖い所です。
こういう物事の「受け取り方」の落差というのは、世界中で日常的に起こっているのでしょう。

日本社会も、かつての地域社会が壊れ、家族制度もだんだん機能を失い、今また物理的にも分断される状況になって、バラバラになりつつあります。
ふたたび人と人とが繋がるための新たな方法を、模索する必要性が急激に出てきているような気がします。

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