戦後の貧しい頃の東京では、生活の厳しさに加えて住宅事情が悪く、住む所を見つけるのも大変だったそうです。
そういう状況で、若い世代が「下宿」として一軒家の二階を借りて暮らしている話が、復興期の映画にははよく出てきます。
その暮らしぶりは大変そうではありますが、一方で家庭的でとても温かみがある事に驚かされます。
というのも水回りは皆共用、台所も一つなので、ご飯は大家さんがこしらえる所も多かったようです。
こんな家族のような環境で暮らすうちに、自然と親しくなるのでしょう。
世代も、大体は大家が中高年だし下宿人は若者たちで、世話を焼いたり焼かれたりする緩やかな協力関係を築いています。
こういう大家さんは「下宿屋」という形を取っておらず、別に本業を持っていたり、子供が独立した後の部屋を貸して副収入を得ているという感じです。
「煙突の見える場所」恋も芽生える下宿生活
「煙突の見える場所」は、バツイチの妻と前夫の赤ん坊を巡る騒動を描いた映画です。
貧乏長屋のような見すぼらしい家に、一階が家主の夫婦、二階には独身の女性と男性が襖一枚で隣り合わせに暮らしているという、ちょっと今では考えられないような暮らしです。
洗面所はなく、朝は庭に出でたらいの水で顔を洗い、ご飯は大家の奥さんが作ります。
これは想像ですが、きっとお風呂などは無いのでしょう。
そして、夫婦喧嘩の会話は二階に丸聞こえという有様です。
下宿といっても ほとんど同居みたいなもので、そのあまりのカルチャーショックが愉しかったりします。
二階の部屋にはせいぜい火鉢を置ける程度で、下宿人は一人一間のみです。
下宿人の二人は、話がしたくなれば襖越しに話をするし、時には一緒にお菓子を頂いたりする仲で、単なる隣人以上という感じです。
良く言えば寂しくないと言えるけど、その不便さは想像を絶するものがあり、こんな環境でキチンと暮らしている若い二人には知的な洗練すら感じます。
「稲妻」下宿人の生活の大家への影響
「稲妻」は、父親がそれぞれ違うという兄弟たちを描いたドラマです。
下町の一軒家に、独身の末娘とその兄が母親と3人で暮らしていますが、既に嫁いでいる娘も何かと実家にやって来るにぎやかな家庭です。
一人だけ女学校を卒業させてもらった しっかり者の末娘以外は、だらしがなかったり自立心が弱かったりして、皆生活に追われて右往左往しています。
末娘はこのいい加減でモラルの低い家族が嫌で、二階の下宿人にちょっと憧れを抱いています。
この下宿人は学生かフリーターのようですが、貧乏でもレコード鑑賞だけは楽しみたくて、二食(にじき)と言われる1日二食の生活を送っています。
実利的な家族たちは、食事を削ってまで文化を手放そうとしない下宿人の生き方が理解できませんが、末娘は彼女の影響を受けてか、自分も家族から離れて環境を変えてみたくなります。
ガチャガチャした下町を離れて、上品で緑豊かな郊外の二階に間借りして自活を始めます。
ここも同居みたいな下宿生活ですが、ここは子供たちが自立して一人暮らしのお婆さんが、知り合いの娘さんに二階を貸している感じです。
昔の映画では敷金・礼金の事を「権利金」と呼んでいますが、その負担が下宿生活の大きな障害になっているような話が出てきます。
「この二人に幸あれ」家族のように温かい大家さん
「この二人に幸あれ」は、親の反対を押し切って結婚した二人が、自活の厳しさにあって折れそうになる物語です。
ヒロインが結婚する男性は、畳屋さんの二階に間借りをしています。
田舎から出てきて今はサラリーマンをしているのですが、大家さんとは家族のように親しく、何でも話すような仲です。
叔父さんはまるで家族のように下宿人の結婚の心配をし、父親のいない彼の為に結婚相手の親への挨拶まで買って出てあげます。
もちろん皆が皆そうではないでしょうが、この時代の下宿生活というのは、下宿人と大家がとても親密な関係を築いていた事が分かります。
そして独身だった彼は、結婚してもそのまま二階で夫婦生活に入ります。
この頃は、女性は結婚したら仕事を辞めて家庭に入る人が多かったので、節約しなければやっていけなかったのでしょう。
大家の叔父さんは「女というやつは、女房になった途端に威張り始めやがる」などと言いながら、若い二人を暖かく見守ってくれます。
世代の違う大家と下宿人が、家族の延長線上のように親しく暮らしている様子を見ていると、お互いに助け合いながら良い関係を築いている気がします。
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