「杏っ子」は、大小説家の娘と、小説家を目指す青年との結婚と破局を描いた物語です。
杏子が、始めは正統派お嬢様キャラなのかと思いきや、どんな逆境に遭っても冷徹で打たれ強く、煮ても焼いても食えないようなおカミさんに変貌していく姿が印象的でした。
そして二人の結婚生活を通して、実は杏子とその父・平山平四郎(山村聡)との深い絆が描かれていると思いました。
この殺伐とした映画の中に潤いを与えているのは、なんと言っても杏子と父とのやりとりです。
結構言いにくいような話題でも知的な感じでサラリと話せてしまう様子からは、親子の親密で絶対的な信頼が伝わってきます。
そして映画では、美しい高原の疎開地での娘時代と、東京での結婚生活の苦境が、まるで対照的に描かれています。
この大きなギャップは、もう帰る事の出来ない娘時代への甘いノスタルジーのようにも見えます。
それでも、どこかで父への慕情を断ち切らないうちは、杏子には本当の女の幸せは巡って来ないような気がしました。
自分にも人にも厳しい女、杏子(香川京子)
終戦から2年後、作家の平山平四郎一家はある高現地に疎開していました。
平四郎の娘・杏子はここで婚期を迎える事になり、時々お見合いの申し込みが舞い込むようになりましたが、なかなか思うような相手が見つかりません。
そして、いよいよ「この人かな?」という感触の良い人が現れたとたん、思いがけない人から結婚の申し込みをされるのでした。
杏子の見合いに「待った」をかけたのは、ご近所づきあい程度の仲であった亮吉という男でした。
亮吉は、姉弟で古本兼雑貨屋を営んでおり、杏子たちは物資を調達してもらったり、弟にラジオ修理の仕事を分けてもらったりしていました。
この亮吉はなかなか“生きる力”を持った青年で、電機を勉強する傍ら古本を売ったり、物資の調達をしたりして暮らしています。
そんな亮吉は、密かに杏子に思いを寄せていたのでした。
亮吉は杏子本人の意向はすっ飛ばして、いきなり父である平四郎の元へ結婚を申し込みに行きます。
今となっては不思議な光景ですが、昔はそうでもなかったようです。
亮吉いわく、杏子の見合い相手とは戦地で一緒だった事があり、そこで彼の「不潔な場面」を見たのだと言います。
この「不潔な場面」というのが何なのかは最後まで語られる事はないので、見る側には判断のしようが無いのですが、とにかく見合い相手には“ケチ”がついたわけです。
その上で、杏子と結婚させて欲しいと平四郎に申し出たのでした。
平四郎は亮吉の生活力を知っているし、娘の結婚相手には むしろ平凡な相手を望んでいたので申し出を受け入れます。
そして杏子は、父の意向に引っ張られる形で結婚を承諾します。
ただ杏子の中では どこか実家への親しみを断ち切れぬまま、二人は上京して結婚生活を始める事になるのでした。
香川京子さんの出演している映画
結婚して豹変する夫、亮吉(木村功)
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亮吉は、東京でのサラリーマンの生活が耐えられませんでした。
彼は外向きは大人しく振る舞っていましたが、内心は負けん気が強くて独立心の旺盛な性格だったのです。
だんだん職を転々とするのも嫌気がさすようになり、怪しげな投資話などに惹かれるようになって行きます。
一方、杏子はあくまでも平凡な生活を望んでおり、亮吉とはことごとく衝突するようになります。
そして とうとう全く仕事に行かなくなった亮吉は、よりによって小説を書き始めるのです。
亮吉が密かに小説を書いていたのは知っていた杏子ですが、それは あくまでも趣味程度としか思っていませんでした。
平四郎や杏子にしてみれば、亮吉が堅実な職業に就く事を条件に結婚を承諾したつもりだったので、これは二人にとっては裏切り行為のように映ったのでした。
元々愛情から始まった結婚でないだけに、杏子の抵抗はここから本格化し始めます。
木村功さんの出演している映画
結婚とは、試練だった・・・
杏子の抵抗もむなしく、亮吉はすさまじい執念でもって小説を書き続けます。
ところが亮吉の作品はことごとく出版社から拒否され、売れるどころか採用すらしてもらえません。
生活は借金まみれになり、嫁入り道具を売ったり質屋に通う毎日です。
お嬢様育ちの杏子は、だんだん追い詰められていきます。
しまいには杏子の方が音を上げ、窮状を見かねた平四郎の誘いに応じて二人で実家へ身を寄せる事になります。
ところが亮吉は、小説は売れない、妻は父への敬慕の念がだんだん露骨になるという中で、しだいに義理父への憎しみが湧いてきます。
そんな心理状態での同居が上手くいく筈もなく、とうとう亮吉は精神的に壊れてしまいます。
それでも杏子は、亮吉の事を嫌いながらも何か使命感でもあるかのごとく、頑として別れようとはしないのです。
成瀬巳喜男さんの監督映画
1958年公開
「杏っ子」は、室生犀星の原作を映画化したものです。
この原作となった長編小説は室生犀星の自伝的作品ですが、その中の“娘の結婚”に関する部分を切り取った作品になっています。
ヒロインの杏子のモデルは室生犀星の娘らしく、大小説家の娘という特殊な生い立ちの娘が、一見 何不自由なく育ちながらも普通に幸せになれない様が描かれています。
結局 最後まで、夫の亮吉は他人のような存在でしかありません。
これを一刀両断に“ファザコン”と言ってしまえばそれまでなのですが、多かれ少なかれ女性というのは他の家に嫁入りしたとしても、心の底にある実家や故郷への想いが深いものだと思います。
この時代は、お見合い結婚中心の社会から恋愛結婚が主流になっていく過渡期だったのではないかと思いますが、どちらにせよ「甘い」のは最初だけで、ほぼ試練というのが結婚の現実だというのは、いつの世もあまり変わらないような気がします。
ただ、今は杏子のように頑固に耐え忍ぶ人も、その必要性もあまり無くなってきているので、彼女の行動が異様に見えるのかもしれません。