「誘惑」は、壮年期を迎えた やもめの男が、実らなかった初恋に思いを馳せる物語です。

作品の中で流れる昭和初期の流行歌メドレーや、当時の再現イメージに出てくる衣装が情緒たっぷりで良い感じでした。

昭和初期に青春時代を送ったという主人公は、当時の若者とは趣味も考え方も ぜんぜん違います。
作品の時代背景はちょうど「太陽族」が流行した頃なので、彼らからしたら随分と時代錯誤に見えたのではないでしょうか。

ところが今から見ると、この甘いノスタルジーが新鮮に見えて、当時の流行が陳腐に見えるのだから不思議なものです。

そんな中、マイペースで「空気を読まない」画家や、母親の初恋に思いを馳せる娘の存在は、時代に左右されないオリジナリティがあって魅力的でした。

初恋の思い出に浸るお父さん、省吉(千田是也)


省吉は、銀座に洋品店を構え、悠々自適に暮らす壮年期の男性です。
彼はさいきん奥さんを亡くした寂しい気持ちもあって、遠い昔の青春時代に思いを馳せるようになっています。

それは、行きつけの喫茶店の店主が偶然に発掘した、古いアナログ・レコードがキッカケでした。

時代は、昭和6年頃。
当時の流行歌のメロディーに乗って、甘酸っぱい失恋の思い出が蘇ってきます。
その頃の彼は貧乏学生で、相手はお嫁入りが決まり、最後の逢瀬での出来事です。
省吉は彼女に「接吻」しようとしますが、娘は「いけません」と言い、唇を許しませんでした。

ところが後日、娘からの手紙には
「あの時わたしが拒んでも、やっぱり接吻してほしかった」
と書いてあったのです。

二人の心には、淡い恋の思い出と一緒に、なにか後悔の念が刻まれたのでした。

自由奔放で活発な「今どき」の娘、秀子(左幸子)


省吉と娘の秀子とは、同じ時代に生きていながら、見ている世界のあまりの違いに驚きます。

秀子は父親と違ってリアリストでガッツがあり、悪くいえば情緒に欠けたような娘です。
この親子の価値観の違いは食事にまで及んでいて、二人は一緒に別々のメニューを食べていたりします。

彼女にとってはアートも利益追求の手段でしか無く、彼女の価値基準はすべて金銭によって決まります。
父親を保険に加入させようとする所などは、さすがにちょっと怖いような・・・。

秀子はクリエイターで、鉄とガラスの無機質な素材を扱った「前衛生花」のグループで活動をしています。

さすがはモダンアートというか、生花とは名ばかりで、その制作風景は町工場のようです。
道具はバーナーやチェーンソー、ハンマーやスプレーといったワイルドさで、現場は凄まじい騒音に満ちています。

省吉には今、洋品店の2階を画廊にする計画があって、秀子はそのオープニング企画として生花の展示会を開いてもらおうと画策中です。
そして彼女は資金不足を補うべく、とある絵画のグループと合同企画を目論んでいます。

いっぽう省吉は、画廊に出入りする秀子の男友達の人種を見て憂慮し、娘にふさわしい結婚相手を物色し始めます。

ところが秀子は父親の見繕った男たちなど見向きもせず、展示会でジョイントしている画家の一人・松山(葉山良二)と恋に落ちるのでした。

左幸子さんの出演している映画


省吉を上回るようなロマナチストな娘が登場

そんな中、展覧会のお手伝いをしに松山の妹である章子(芦川いづみ)が画廊を訪れます。

ところが彼女を見た省吉は、思わず息を呑みます。
それは彼女が、むかし恋に落ちた相手と瓜二つだったからです。

運命のいたずらのような偶然ですが、章子はなんと初恋の人の娘だったのでした。
思い出の人の再来のようで、省吉の胸は高鳴ります。

ところが章子も、じつは省吉の存在を知っていたのでした。
彼女は、母の秘密の手紙を読んでしまったのです。
章子の母親は5年前に亡くなりましたが、その胸の中だけに、省吉との思い出をそっと大切にしまっておいたのでした。

そしてある夜、酔っ払った秀子が章子を連れて家に帰ってきます。

みんなが寝静まった後、章子の気分が悪くなったと勘違いした省吉は、彼女の眠る部屋に入って行きました。
そして章子の寝顔に初恋の人の面影を見た彼は、思わず接吻をしてしまいます。
「私は、なんて事を・・・」
と、すぐに彼は反省モードになり、恐ろしくなってその場から逃げ出します。

でもこれで、彼はやっと抑圧された青春時代への未練と決別できたようです。

それにしても、何もかも知っていながら敢えて唇を許す、この可憐な娘の大胆さには、ちょっとゾクゾクするものがありました。

ラストシーンでは、省吉の思い出の場所で、秀子と松山が白昼堂々と「チュウ」を楽しんでいます。
開放的な時代に生まれた彼女たちにとって、後悔の念などは無縁のようです。

1957年公開

秀子のセリフに、当時の価値観を象徴するような言葉がありました。

「マスコミの現代では、アート・イズ・マネー。
簡単よ。何でもジャーナリズムに乗ればいいんだもの」

そんなに言うほど簡単ではないでしょうが、彼女の主張にも一理あると思います。

芸術でも何でも、人々に受け入れられるには「マーケティング活動」が必要なのは確かです。
売れっ子には大体、本人にビジネスセンスがあるか、名プロデューサーがついていたりするものです。

そしてこの映画にも、ちゃっかり若き日の岡本太郎氏や東郷青児氏が出演していたりして、彼女のセリフもなかなか説得力がありましたw

このお二人はその代表的と言えそうな存在で、著名なアーティストともなると、そのライフスタイルが注目されたりする所などはタレント的だと思います。
じつは芸術作品も、センセーショナルな人生や派手なパフォーマンスなど、アーティストのキャラクターとセットになった総合的なものなのかもしれません。

ただマスコミの時代は、成功への道はとても狭き門で、一部のスターと大勢の脱落者という図式でした。
そして たとえスターになっても、スポンサーの意向には逆らえない部分があったと思います。

ところが次なる技術革新の到来で、大量のデータが安価に、素早く、地球の裏側まで届く時代になりました。
今までは一握りの人しか手にできなかったチャンスは、いまや一般人の手にも届くものになっています。

昨今のマスコミは、その質の低下を指摘される事が多くなりました。
ほんの一部のトップを占める団体が、一方的に発信し、大衆は「受け取るのみ」という時代も、そろそろ終焉が見えてきたようです。

各個人がスマホを持ち、誰でも発信できるという環境は、これまでには無かった可能性に満ち溢れていると思います。


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