
「小原庄助さん」は、豊かな農村地帯に代々続いてきた名家の衰勢を、ほのぼのとしたタッチで描いた物語です。
当時まだ農村に残っていた牧歌的なのどかさに、何ともいえない温かさを感じました。
一方で、その古き良き農村社会が時代の流れに逆らえず、変わっていく様が「小原庄助さん」という呑気者でお人好しのおやじさんに象徴されていて、切なくもあります。
「日本にも素敵な時代があったんだなあ・・・」
という、いにしえの生活様式への憧れが湧いてくるような映画でした。
村のゴッドファーザー的な存在、庄助さん(大河内傳次郎)
おい、「小原庄助さん」最高のパンク映画じゃねえか!
村の大物の小原庄助さんに言われて、和尚さんが村長に立候補して
自分は最初にお伺いに来た文化尊重の若者の応援演説にw pic.twitter.com/trviX2nYTY— ty_Rogosu (@ty_Rogosu) December 31, 2017
庄助さんは、代々庄屋だった家柄らしい名家の当主です。
「小原庄助さん」という愛称が板につきすぎて、実名を忘れられるくらいの呑気者です。
「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで・・・」
という民謡でお馴染みの、あのキャラですね。
いつも酔っていて、ヨレヨレの風貌だけど
人の心を和ませる鷹揚さがあり、どこか堂々とした風格があります。
ところが代々の名家も、今となっては身上(しんしょう)も左前で
奥様が持ち物を手放さなければならないし、自分は借金取りから逃げ回っている始末です。
それなのに、彼はといえば昔の立場のまま
ひっきりなしに寄付したり、おごったりして
まるで生き急ぐように散財していきます。
時代は「農地改革」真っ只中で、若者の生きる道は「闇屋」にしかないようなご時世です。
この一見平和そうに見える農村とて、その荒波は逃れようもないようです。
あまりダイレクトには描かれていませんが、
例えばコーヒーと菓子だけの、無味乾燥な「結婚披露宴」の様子などは、
当時の乾いた世相を象徴しているようでした。
一方で庄助さんが
「何か、忘れ物したような気がしないかい?」
と村人を自宅に誘って飲み直す様子は、ちょっと粋な感じです。
おだてられて良い気になって、散財ばかりしている・・・。
と、悪いことばかり取り沙汰されている庄助さんですが、彼の人望は本物です。
頼まれれば嫌とは言えない性格というだけでなく、
村の子供たちを我が子のように可愛がっていたり
人のことは守り立てるけど、決して自分は表に出ようとしなかったり
選挙活動に巻き込まれそうになると、懐柔させられないよう予防線を張るところなど
リーダー的な気質が板についています。
◆大河内傳次郎さんの出演している映画◆
「内助の功」の鏡のような奥様、おのぶ(風見章子)
◆昭和の美人女優⑦◆
☆ 風見 章子 さん
『めし』(1951)より pic.twitter.com/ZBCo26kaNJ
— Jack a Daddy (@JackaDaddy1) May 30, 2020
そんな庄助さんには、頼りにしている3人の人物がいます。
ばあやと和尚さんと、そして奥さんです。
彼女の「いつも何かにつけて呼びつけるから
あなたが寝ているときでなきゃ、落ち着いて勉強できません」
というセリフには、庄助さんが
彼女なしでは何にも出来ない事が現れています。
「借金の利子まで心配しながら、人の面倒みてるんだから世話ない」
とボヤきながらも、時制だからと弱音を吐かず、
お客さんの接待や仲人の引き受けなどに余念がなく、
「家柄」だけは守り抜こうとします。
じつは彼女こそが「小原庄助さん」を作り出しているのではないか?
と思うくらいです。
ところが庄助さんの懐が寂しくなってくると
相談しに来る人も減り、お屋敷は寂しい感じになってきます。
ばあやの口からは
「やっぱり家の中は、てんてこ舞いしてる方が張り合いがあって良いね」
という言葉がこぼれ、奥さんも
「私がお嫁に来た時分は、朝から晩まで来客があってお料理屋みたいだったわ」
と昔を懐かしむ様子に、全盛期の栄華が偲ばれます。
◆風見章子さんの出演している映画◆
とうとう何も無くなって・・・
借金の取り立て人から逃げ回っていた庄助さんですが
いよいよ返すアテが無くなると、もはやジタバタする事はありませんでした。
「持ち物を一切処分しましょう」とアッサリ言い放ち
あまりの潔さに、借金取りの人も気が引けるくらいです。
そしてこんな場面でも、湿っぽいのが苦手な庄助さんは、自らを笑い飛ばすのでした。
屋敷の宝物が競りにかけられる様子は、
最後のトドメのように、まるで身ぐるみを剥がす勢いです。
しまいには、奥さんも実家に身を寄せるしかなくなり、
さすがの庄助さんも、まるで子供のような泣き顔になってしまいます。
「ばあや」にもお暇を出し、何もかも失って空っぽの家でひとり
最後の晩を過ごしていたら、なんとそこへ押し込み強盗が乱入します。
ところが庄助さんは、鮮やかな柔の技でもって彼らを投げ飛ばし
「遅かったよ。もう少し早く来れば良かったのに」
という冗談のような、皮肉のような事を言います。
聞けば、彼らは今日が仕事初めなのでした。
「悪い時代になったねえ・・・」
と同情を寄せる庄助さんは
「警察に捕まるといけないから泊まっていけ」
と、彼らを晩酌に誘います。
そして人生の後半戦を、ゼロからスタートする羽目になった庄助さんですが
その様子は、いつもヨレヨレだった姿よりもパリッとしています。
奥さんも、いちどは別れたものの、やっぱり彼のもとへ戻ってきました。
普通に考えたら「お先真っ暗」というところですが、
これ程までに自我のない人は、案外どこへ行っても何をしても
生きて行けるような気がします。
◆清水宏さんの監督映画◆
1949年公開
映画には、一見のどかな農村にも「新しい風」が吹き込み、
昔ながらの生活が失われていく様子が描かれていました。
やたらと「農村文化の遅れ」みたいな事を吹聴する人が出てきますが
彼らは、どこかいかがわしい感じです。
そして庄助さんの家が没落したのは
彼の「朝寝、朝酒、朝湯」が、身上を潰したみたいに言われていますが、
そういう事でもないような気がします。
お屋敷の競りの様子などは
「農地改革」というものを絵にしたら、こういう図になるのかもしれない・・・
という気がしました。
それから面白かったのは、お屋敷の作りです。
家の中や農家の生活様式が、味わい深く映し出されています。
火鉢のある客間のような部屋に、 庄助さんはいつも土間に向かって座っています。
そして、その土間は「開かれた空間」という感じで、
村人がフラッと入って来れるようになっています。
庄助さんのオープンマインドさが象徴されたような作りで
彼が部落の人たちを、大家族のように取りまとめていたのが
家の構造から伝わってくるようでした。
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