「小原庄助さん」は、豊かな農村地帯に代々続いてきた名家の衰勢を、ほのぼのとしたタッチで描いた物語です。
当時まだ農村に残っていた牧歌的なのどかさに、何ともいえない温かさを感じました。
一方で、その古き良き農村社会が時代の流れに逆らえず、変わっていく様が「小原庄助さん」という呑気者でお人好しのおやじさんに象徴されていて、切なくもあります。
「日本にも素敵な時代があったんだなあ・・・」
という、いにしえの生活様式への憧れが湧いてくるような映画でした。
村のゴッドファーザー的な存在、庄助さん(大河内傳次郎)
庄助さんは、代々庄屋だった家柄らしい名家の当主です。
「小原庄助さん」という愛称が板につきすぎて、実名を忘れられるくらいの呑気者です。
「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで・・・」
という民謡でお馴染みの、あのキャラですね。
いつも酔っていて、ヨレヨレの風貌だけど
人の心を和ませる鷹揚さがあり、どこか堂々とした風格があります。
ところが代々の名家も、今となっては身上(しんしょう)も左前で
奥様が持ち物を手放さなければならないし、自分は借金取りから逃げ回っている始末です。
それなのに、彼はといえば昔の立場のまま
ひっきりなしに寄付したり、おごったりして
まるで生き急ぐように散財していきます。
時代は「農地改革」真っ只中で、若者の生きる道は「闇屋」にしかないようなご時世です。
この一見平和そうに見える農村とて、その荒波は逃れようもないようです。
あまりダイレクトには描かれていませんが、
例えばコーヒーと菓子だけの、無味乾燥な「結婚披露宴」の様子などは、
当時の乾いた世相を象徴しているようでした。
一方で庄助さんが
「何か、忘れ物したような気がしないかい?」
と村人を自宅に誘って飲み直す様子は、ちょっと粋な感じです。
おだてられて良い気になって、散財ばかりしている・・・。
と、悪いことばかり取り沙汰されている庄助さんですが、彼の人望は本物です。
頼まれれば嫌とは言えない性格というだけでなく、
村の子供たちを我が子のように可愛がっていたり
人のことは守り立てるけど、決して自分は表に出ようとしなかったり
選挙活動に巻き込まれそうになると、懐柔させられないよう予防線を張るところなど
リーダー的な気質が板についています。
大河内傳次郎さんの出演している映画
「内助の功」の鏡のような奥様、おのぶ(風見章子)
◆昭和の美人女優⑦◆
☆ 風見 章子 さん
『めし』(1951)より pic.twitter.com/ZBCo26kaNJ
— Jack a Daddy (@JackaDaddy1) May 30, 2020
そんな庄助さんには、頼りにしている3人の人物がいます。
ばあやと和尚さんと、そして奥さんです。
彼女の「いつも何かにつけて呼びつけるから
あなたが寝ているときでなきゃ、落ち着いて勉強できません」
というセリフには、庄助さんが
彼女なしでは何にも出来ない事が現れています。
「借金の利子まで心配しながら、人の面倒みてるんだから世話ない」
とボヤきながらも、時制だからと弱音を吐かず、
お客さんの接待や仲人の引き受けなどに余念がなく、
「家柄」だけは守り抜こうとします。
じつは彼女こそが「小原庄助さん」を作り出しているのではないか?
と思うくらいです。
ところが庄助さんの懐が寂しくなってくると
相談しに来る人も減り、お屋敷は寂しい感じになってきます。
ばあやの口からは
「やっぱり家の中は、てんてこ舞いしてる方が張り合いがあって良いね」
という言葉がこぼれ、奥さんも
「私がお嫁に来た時分は、朝から晩まで来客があってお料理屋みたいだったわ」
と昔を懐かしむ様子に、全盛期の栄華が偲ばれます。
風見章子さんの出演している映画
とうとう何も無くなって・・・
借金の取り立て人から逃げ回っていた庄助さんですが
いよいよ返すアテが無くなると、もはやジタバタする事はありませんでした。
「持ち物を一切処分しましょう」とアッサリ言い放ち
あまりの潔さに、借金取りの人も気が引けるくらいです。
そしてこんな場面でも、湿っぽいのが苦手な庄助さんは、自らを笑い飛ばすのでした。
屋敷の宝物が競りにかけられる様子は、
最後のトドメのように、まるで身ぐるみを剥がす勢いです。
しまいには、奥さんも実家に身を寄せるしかなくなり、
さすがの庄助さんも、まるで子供のような泣き顔になってしまいます。
「ばあや」にもお暇を出し、何もかも失って空っぽの家でひとり
最後の晩を過ごしていたら、なんとそこへ押し込み強盗が乱入します。
ところが庄助さんは、鮮やかな柔の技でもって彼らを投げ飛ばし
「遅かったよ。もう少し早く来れば良かったのに」
という冗談のような、皮肉のような事を言います。
聞けば、彼らは今日が仕事初めなのでした。
「悪い時代になったねえ・・・」
と同情を寄せる庄助さんは
「警察に捕まるといけないから泊まっていけ」
と、彼らを晩酌に誘います。
そして人生の後半戦を、ゼロからスタートする羽目になった庄助さんですが
その様子は、いつもヨレヨレだった姿よりもパリッとしています。
奥さんも、いちどは別れたものの、やっぱり彼のもとへ戻ってきました。
普通に考えたら「お先真っ暗」というところですが、
これ程までに自我のない人は、案外どこへ行っても何をしても
生きて行けるような気がします。
清水宏さんの監督映画
1949年公開
映画には、一見のどかな農村にも「新しい風」が吹き込み、
昔ながらの生活が失われていく様子が描かれていました。
やたらと「農村文化の遅れ」みたいな事を吹聴する人が出てきますが
彼らは、どこかいかがわしい感じです。
そして庄助さんの家が没落したのは
彼の「朝寝、朝酒、朝湯」が、身上を潰したみたいに言われていますが、
そういう事でもないような気がします。
お屋敷の競りの様子などは
「農地改革」というものを絵にしたら、こういう図になるのかもしれない・・・
という気がしました。
それから面白かったのは、お屋敷の作りです。
家の中や農家の生活様式が、味わい深く映し出されています。
火鉢のある客間のような部屋に、 庄助さんはいつも土間に向かって座っています。
そして、その土間は「開かれた空間」という感じで、
村人がフラッと入って来れるようになっています。
庄助さんのオープンマインドさが象徴されたような作りで
彼が部落の人たちを、大家族のように取りまとめていたのが
家の構造から伝わってくるようでした。
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