あの頃映画 みかへりの塔 [DVD]

「みかへりの塔」は、問題児を更生する為の学園の様子を描いた物語です。

まず、この学園のあまりの教育方針の厳しさに驚きます。
厳しいと言っても体罰やシゴキではなく、集団生活の牽制力を利用した「村社会」のようなシステムで自立の促進を目指す、という方法が日本的だと思いました。

毎日 家事から勉強に雑用、職業訓練までこなす大忙しのカリキュラムで、生活ルールの厳しさは大人でも悲鳴をあげそうな内容です。
おまけに学科は年齢ではなく学力で振り分けるので、出来ない子は大きくなっても年下の子に混じって授業を受けなければなりません。
特に問題児でなくても、ほとんどの子が脱落しそうな気がしてしまいます。

そして何よりも、講堂に集まって代表の子が「誓詞」を読み上げる様子などは、まるで軍隊のようで肝を潰します。
こんな集団生活に耐える事が出来れば、確かに相当な修練になるとは思いますが・・・。

物質的に恵まれたお嬢さん育ちの、多美子(野村有為子)

学院に新しく入ってきた多美子は、お金持ちのお嬢様です。
彼女は寄宿舎のような気分で呑気に入所したきたのですが、その貧しく厳しい環境に驚き、たちまち家が恋しくなります。

それでも気の強い彼女は堂々と振る舞い、反抗的な態度を崩さず、決して屈服しようとはしません。
そして彼女の人を見下すような態度は、仲間の反感を買ってしまいます。
のっけから嫌がらせを受けたり嫌われたりして、まったくここに馴染みそうにない様子です。

多美子には母親がおらず、父親と二人家族です。
この学園では、子供達は一定の数に分かれて、教員や保母が親代わりを勤める仮の「家庭」を形成して暮らしています。
ところが保母が若い女性なのを見て、多美子は最初からナメてかかるのでした。

まだ駆け出しのお母さん、夏村(三宅邦子)

この学園の子供たちは、普段は子供同士の牽制が効いてガマンしているのですが、やっぱり基本的には逃げ出したい気分のようです。

何かキッカケがあるたびに逃亡を企てますが、かといって何が何でも自由が欲しいと計画的に脱走を試みるほどのモチベーションも無いのが特徴です。
教員や保母たちの方が熱意が強く肝も据わっているので、いつも子供たちは彼らに根負けしてしまいます。

いっぽう夏村は、思いつめたような所がある まだ経験が浅い感じの女性です。
この夏村の存在が、多美子にとっては少々うっとおしいようです。
夏村は反抗的な多美子を決して叱らず、根気良く耐え続けます。

そんなある日、多美子は父親に「虐待されている」という手紙を送って助けを求めます。
父親はすぐに娘を連れ戻しに学園を訪れますが、逆に学園長からお説教をされてしまいます。

「そりゃ更生させようというんだから、本人にとって居心地が悪いのは当然でしょう。
いったいあなたは何の為に娘さんをここへ入園させたのです?」

と一喝され、多美子を置いたまま すごすごと帰って行きました。
多美子はヒステリックになり、やけくそ半分に学園を出て行こうとして夏村に引っ叩かれてしまいます。

夏村は、自分が暴力を奮ってしまった事を苦にして辞めようとしますが、多美子には夏村の真剣な気持ちが伝わったらしく、彼女はここに留まる気分に変わって来ます。

真の卒業を迎えた子ら

この学園は人里離れた場所にあり、水源は井戸一つで賄っています。
ところがこの場所は水脈が乏しく、この井戸も枯渇してきてしまいます。
仕方なく麓の川まで水汲みに行く事になりますが、毎日これではあまりにも大変です。
かといって水道工事が出来るほどの費用は、この学園にはありません。

そこでいっそのこと「水路を自作してみたらどうか?」という発案がなされます。
学園の敷地の丘の上に池があって、そこから水路を引く作業を子供たちの力でやってしまおうというのです。
この一大建設工事は大変な作業で、さすがにサボったり具合が悪くなる者、脱走する者も出てきます。

でも むしろその方が普通なのかもしれず「子供にこんな大変な労働をさせるのは無茶だ」という迷いも、職員たちの中にありました。
ところが ほとんどの子供が、ヒイヒイ言いながらも結構 喜々として働きます。
この時ばかりは、学園全体が一つになったような一体感に包まれるのでした。

彼らのような若さで、働く喜びや大きな目的に向かって仲間たちと一丸となる楽しさに目覚める事が出来たら、もう人として合格なのではないでしょうか。
二度とここへ舞い戻ってくる心配は無いような気がします。

1941年公開

この物語は、実在する「修徳学院」を描いた実話のようです。
この学校は今でも現存していますが、既に時代や日本の社会も変化してしまったので、さすがにこの頃とは違ったものになっているとは思います。

そして映画に描かれているような学園生活は、今では受け入れられないものだと思います。
ただ当時の社会では、いかにドロップアウトする子供を無くそうという想いが強かったか、という事に驚きました。
逆に言えば、誰ひとりとして脱落する事を許さないという「厳しさ」のようなものを感じます。

たとえ底辺だろうと家庭的な事情があろうと、親の力が及ばない時は他人が介入してでも、子供たちを救わなければならないという風潮があったように見えます。
じつはこの辺が、日本の民度が高い理由の一つなのかもしれないと思いました。

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