「登山ブーム」は、戦前の頃から何度となく繰り返されてきたようです。

ところが昭和の映画をいろいろと見ていると、登山の楽しみ方はその時々で少しづつニュアンスが違って来ているように思います。

今回は、登山を楽しむ男女を描いた作品から、時代による移り変わりの様子をまとめてみました。

【木石】登山は金持ち層の優雅な遊びだった

「木石」は、細菌学の研究所を描いた物語で、ブルジョアチックなレジャーとしての登山の様子が出てきます。

この頃の登山は、裕福な層だけに許された「特別な遊び」という感じがします。

医者やその友人たちが、なんとか忙しい仕事の合間を縫って出かける山は、わずかな休暇を最大限に楽しもうとする大人の男の「解放区」のようです。

そして登山の様子を8mmで撮影したり、立派な邸宅でその上映会をする光景からして、庶民には手の届かない類の遊びだった様子が伝わっってきました。

【按摩と女】学生のレジャーとしての登山

「按摩と女」には、学生がグループで楽しむ登山の光景が描かれています。

登山といっても本格的なものではなく、学生グループがみんなで温泉宿に泊まりつつ、気分転換に山歩きをする程度で、地元の人なら日常的に歩いていそうな道です。

男子チームと女子チームが、山道ですれ違い際にからかい合ったり、宿で按摩を呼んだりする様子は、都会のボンボン学生という雰囲気です。

【秋日和】気楽な感じのピクニック的な登山

1960年公開の「秋日和」では、山登りも「明るい男女交際」の場といったニュアンスになっています。

グループの中で結婚が決まったカップルがいて、そのお祝いを兼ねて山に旅行する光景が出てきますが、登山といってもピクニック感覚に近い「緩い」道です。

ヒロインの母親の「私の時代には考えられない事だ」というセリフからは、未婚者を含む男女が旅行に出掛け、一緒にバンガローに泊まったりするのも珍しくなくなった、戦後の社会変化への驚きを表していると思いました。

メンバーはみんな事務員などの一般庶民で、戦前と比べると、色々な意味で登山のハードルが下がっている様子が伺えます。

日本の「登山」の移り変わり

日本で登山がスポーツとして定着したのは、大正末期あたりだそうです。
最初の頃は、まず外国人が日本の山に登っていました。

それまでの日本にとって山とは神聖なもので、みだりに遊びに出掛けて行くような場所ではなかったようです。
だから山登りをするにしても、それは山岳宗教と密接に関わるものでした。

『講』と呼ばれる信者の団体単位で、霊山へ詣でるという意味合いの「信仰登山」が、かつての日本の山登りだったのでした。
「簪(かんざし)」には、その『講中登山』の様子が描かれています。

今のような登山が普及し始めた黎明期には、大学や高校の山岳部が本格的なスポーツとして困難なルートの制覇にチャレンジしていたのが、主な層だったようです。

昭和に入ると社会人登山も盛んになり、都市近郊の山々への「軽登山ブーム」というのが起こってきます。

でも登山が完全に大衆化したのは、もっと後の事のようです。
1957年(昭和32年)くらいから、若い人達の間に急速な登山ブームが巻き起こりました。

高度経済成長時代に入って、ようやく日本の庶民もレジャーを楽しむ余裕が出てきたのかもしれません。

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