「綴方教室」は、子供の作文を通して、下町の人々の日常で繰り広げられる喜怒哀楽を豊かに綴った物語です。

作り物でないリアリティ溢れる生活風景が描かれていて、当時を知らない自分までもがノスタルジックな気分になるような情緒ある作品でした。
この映画の原作は作者の実体験を元に書かれたもので、作者の豊かな観察眼を通して描かれた世界だから面白いのだと思います。

子供の新鮮な感受性と、大人顔負けのような洞察と理解を備えた視点で捉えられた歴史的にも貴重な映画でした。

作文の面白さに目覚める少女、正子(高峰秀子)

正子は、下町長屋でブリキ職人を営む家庭の長女で、まだ小学校6年生です。
幼い弟とケンカしたりする様子はまだまだ幼い感じですが、背が高くてけっこう大人っぽく見えます。

正子は学校で、今でいう作文である「綴り方」を習っています。
最初こそ自分だけ分かっているような支離滅裂な文を書いていましたが、先生の指摘をちゃんと理解し、次第に客観的な視点とオリジナルな洞察を持った文章が書けるようになって行きます。
先生は正子の才能に驚き雑誌へ投稿してみたところ、これが採用されてしまうのです。

ところが正子の才能が開花されるのと相反するように、家の経済はだんだん悪化してきます。
父親が自転車を盗まれた事から商いが出来なくなり、雇われの仕事を始めるしかありませんでしたが、それはとても不安定な仕事でした。

次第にお米すら買えなくなり、正子が学校を出てからの進路にまで暗い影を落とすようになって行きます。
とうとう母親からは「芸者になれば良い暮らしが出来る」というような話題が出るようになります。

仲良しのお隣さん、丹野のおばさん(本間敦子)

正子の家は、お隣の丹野さん一家と親しくお付き合いしています。
あるとき丹野のおばさんは、旦那さんだけを置いて田舎へ行く事になります。
おばさんの家ではうさぎを飼っていて、それを正子に譲ってくれるのでした。

しばらくして、丹野のおじさんは再婚をしました。
「3人候補があって、一番若い人を貰った」などという噂が流れてきます。
どうやらおばさんは、愛想をつかされてしまったようです。

ある寒い夜、久しぶりにおばさんが娘を連れて「隣の留守を待つ間、ちょっと待たせて欲しい」と言って訪ねてきます。
おばさんは まるで別人のようになっていて、憐れで卑屈な感じになっていました。
キリスト教に救いを求めているらしく、大げさに拝んだり哀れみを乞う様子は、怖いものがあります。

母親は気丈な女なので「可愛そうだけど、あれじゃあね・・・」という感じで、どうにも共感は持てません。
確かに、子どもたちの「おばさん、いやな奴になっちゃったね」というセリフが、妙に的を得ている感じがします。

人生最初の壁にブチ当たる正子

正子の綴り方が雑誌に載ったまでは良かったのですが、実は後から問題が発生していた事が判明します。
そこに書かれてあった事実が、正子たちの暮らしを脅かす事になってしまうのです。

先生は、綴り方の指導で「思った事を正直に、正確に書くこと」と教えていました。
正子はその教えを守り、実行してきた事で実力をつけてきたのです。
ところが正子の文章の中には、ある金持ちの事を”ケチ”だと噂している場面が描かれていました。

その金持ちの子供が雑誌を読んで傷つき、親が怒ってしまったから大変です。
その金持ちは、じつは正子たちの生活を支えているような立場の人間で、彼らに睨まれるのは生活を脅かされる事を意味します。
家は大騒ぎとなり、正子は正しいと思った事が悪い事とされ、辛く悲しい思いをします。
正子からすると、見たままを正確に書いたに過ぎず、噂の対象になっている人が読む事までは想定していなかった訳です。

でも、これは“文章を書く”からには必ず出会う壁のようなものかもしれません。
先生は正子の両親を訪ね「自分が迂闊だったのだから、正子を叱らないでくれ」とお詫びを言いました。
正子の才能を潰したくなかったのでしょう。

その甲斐あってか正子は文章を書く事を止めず、工場で働くようになっても書き続ける決心をします。
むしろ「書くネタ」が新しく増えるくらいに思っているようです。

1938年公開

映画は、1930年代の東京葛飾の下町である四つ木が舞台になっています。
となりのおじさんが「素手で鶏を絞める」という強烈なエピソードや、大雨が降ると膝まで浸水してしまうという当時の暮らしぶりが描かれています。
貧乏な家の娘が芸者に売られていくというのも、この頃ではまだ普通に行われていたという事がわかります。

この作品は実在の人物である豊田正子の私小説を映画化したものなので、エピソードも実話に基づいたものだと思います。
この「綴り方」の指導も、1930年代に実在した実践教育運動だったようです。
作文を書かせる事で、子供の社会を見る目を養うというのが目的でした。

これは今も欧米の教育現場では普通に行われている事で、文章の書き方もシステマティックに指導するため身に付きやすく、論理的思考も育まれるようです。
そう考えると、どうも今の日本では国語教育が遅れているような気がしてなりません。

【ちょっと脱線】幸せそうな牛のミルクが飲みたい

「なかほら牧場」という乳製品のオンラインストアのトップページを見たとき、昔NHKの某番組で見た『幸せそうな牛』の光景を思い出しました。

『幸せそうな牛』って、イメージできますか?

あくまでも私の印象ですが「笑っている」んです。

環境の良い牧草地で、伸び伸びと自由に駆け回る子牛たちには、表情があったんです。

いままで自分が見ていた牛は、寂しくてウツ的な眼をしていたんだと、衝撃を受けた事を思い出しました。

出来れば その番組の映像も紹介したいと思って探してみましたが、見つけ出すことが出来ませんでした。

その代わりにはなりませんが、ここは昭和初期の映画を紹介するサイトなので、
お嬢様として何不自由なく育ちながら、
使命感にかられて茨の道を選ぶ「わが青春に悔なし」のヒロインが、
野生の力をみなぎらせて、活き活きと輝く姿のイメージをリンクさせてみました。

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