「月は上りぬ」は、奈良の風景が美しく、登場人物は穏やかな人たちで、古き良き日本の良さが満喫できるホームドラマです。

主人公の3人姉妹の、堅苦しさの無い自然な上品さが素敵です。
適齢期であるキャラは皆、インテリ層にありがちな恋愛に対するぎこちなさを持っており、なかなか苦労しています。

1955年という時代にしては随分と古風な感じの映画で、どこか戦前期を懐かしむ感覚を、古都を舞台にする事で表現しているのだと思います。

姉妹の中で一番モダンな末娘、節子(北原三枝)


三人姉妹の三女・節子は、活発でまだ少し幼さの残る娘です。
好きな男性とも兄妹のように無邪気に接しているため、恋愛に発展できずにいます。

ところが節子は、人の事となるとがぜん積極的で行動的になります。
親類の友人で、家に時々あそびに来る男性が、密かに二女に好意を持っているという事に気付いたりします。
その理由は、昔の事をよく覚えているとか“目の色が違う”というごく些細な事で、その辺は相当に観察眼が鋭いようです。

大人しくて控えめな二女の様子を見かねた節子は、かなり大胆な方法で二人を接近させようとします。
男性側に嘘の電話を掛けて、神社に呼び出して“来たら本物”という賭けをします。
更には月夜の晩に、両方に嘘の呼び出しをかけて逢い引きを仕掛けるのです。
姉は表向きは怒りましたが、これがキッカケで二人の恋は本当に成就してしまうのでした。

おっとりしたプー太郎、昌二(安井昌二)

長女の亡夫の弟である昌二は、失業中でプラプラしています。
寺に間借りして翻訳のアルバイトなどをしていますが、そのアルバイトすら生活苦を背負う友だちに譲ってやる始末です。

あまりにも泰然としていて欲がないので、女性から見たら少し心配な感じの男性です。

あるとき昌二に東京での就職の口が見つかり、けっこう良い勤め先らしかったのですが、昌二はこれすらも友人に譲ってしまいます。

ピンチを乗り越えて大人になった二人

昌二が就職口を友だちに譲ってしまった事で、節子は激怒します。
いくら生活苦の友人が可愛そうだからと言って、就職先まで譲るのはお人好しが過ぎると昌二を責めました。

ところが昌二は、節子の怒りが「昌二の就職が決まれば、結婚して東京で生活できる」という利己的な動機から来ている事が分かると、逆に腹を立ててしまいます。

二人ははじめての大喧嘩をしたまま、昌二に別の就職が決まって奈良を離れる事になってしまいました。
ところが、どちらも意地を張ったまま時が過ぎ、いよいよ昌二が奈良を発つ日が来ました。

そこへ長女が気を利かせたのか、節子に昌二の住まいへお使いに行かせます。
昌二と節子はやっとそこで会う事が出来ましたが、昌二の様子はいつもと違いとても真剣な様子でした。

彼は節子に「これから生活は大変になるけど、俺が付いているから」と言います。
いつもはあまり核心に触れるような事は言わない男ですが、この時ばかりは違いました。
「二度とは言わない、俺について来い!」みたいな感じになって、実はとても頼りになる男性だった事が分かります。

その様子を見て、節子もなんだか急に女性らしくなるのでした。

1955年公開

映画には、節子がやたらと東京に行きたがる描写がたびたび出てきます。

節子の一家は元々東京に住んでいたのですが、疎開で奈良に来たまま今に至っているのでした。
活発な性格である節子にとっては、静かで変化の少ない奈良よりも、活気ある首都の方が居心地が良かったのでしょう。

ところが父親は「東京は、もう昔のようでは無くなってしまったよ」と、逆に帰りたくない様子です。
父親は戦後の東京を知っており、空襲で焼かれて変わってしまった今の様子は、昔とはぜんぜん違うのだと言います。

1955年といえば、戦後の復興期とされている時期も既に過ぎています。
ただ戦前の東京を知る人間にとっては、復興が成った後であっても決して元に戻ったという訳ではなく、新しく別の町になってしまったという事なのでしょう。
この映画自体、少し時代にそぐわないような雰囲気を持っていて、変わってしまった日本に同調できずに、古都に留まる父親の心境を表しているようにも見えました。

【ちょっと余談】お寺での生活

映画には、失業した青年がお寺に下宿しているという、面白い様子が描かれていました。

じつは下宿とまではいきませんが、お寺にも宿泊できる所があるそうです。
最近では、元々は僧侶や参拝者のための宿泊所に、一般の人も受け入れる所が増えているそうです。

オプションとして「修行体験」もあったりしますが、特にそんな事をせずとも、神社仏閣で生活すれば おのずと知らない場面にぶち当たる事もあって、新鮮な驚きがあるかもしれません。

奈良の吉野山に、元は宿坊で今は旅館となっている「竹林院群芳園」という所がありました。

聖徳太子が建立したお寺で、庭園は千利休が築造した(伝え話のようですが)という相当な歴史のある所で、かつては山伏修験者の宿坊だったそうです。


吉野の桜で有名な吉野山のすぐ近くですが、桜のシーズンは避けて行きたい所ですww
もちろん吉野の桜も見たいとは思っていますが・・・。

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