「男性対女性」は、舞台芸術の紹介と資本家の闘いを同時に描いた一風変わった映画です。

この映画で特に興味深かったのは、当時の舞台芸術の様子です。

まず、この頃の舞台はまるで寄席のように演目が雑多な所が不思議です。
ミュージカル、民族舞踊のようなダンス、タップダンス、前衛的な踊りなど、色々な種目の舞台が一堂に会するという豪華振りです。

演出家の「なるべく良心的にやりたい」というセリフが出てきますが、なるほど素晴らしく良心的な舞台です。
逆に、こうジャンルの幅が広いと観客はついていけるんだろうか?という疑問も出てきますが、まだこの頃の舞台芸術にはあまり垣根が無かった様子が伺えます。

ストーリーは資本家の親の思惑から逃れて、自分の道を新しく切り開いていく若者たちを描いた物語ですが、もしかすると伝統芸能である歌舞伎や能の形式にとらわれず、新しい芸術を誕生させようとしたパイオニアの姿を投影しているのかな?と見る事もできます。

そういう黎明期ならではの、新しいものを追い求める若い息吹を感じる映画でした。

舞台芸術の若きパイオニア、哲也(上原謙)


渥見哲也は紡績会社の御曹司ですが、家業を嫌いフランスで舞台芸術を学ぶ事を選んだ芸術家肌の男です。

彼はなかなか優秀らしく、帰国後はさっそく父の知り合いである劇場のオーナーから、レビューの演出を頼まれる事になります。

哲也は誰よりも舞台への情熱を強く持っており、厳しさと真剣さで大勢の踊り子や裏方のスタッフたちの心を一つにまとめて行きます。
そこには「この仕事は義務だけで出来るものじゃない、熱と力が必要なんだ!」という若き芸術家のパイオニア精神が描かれています。

オーナーから苦情が来るほど経費をかけてしまうので儲けは出ませんでしたが、舞台の完成度や評判の面では大成功を収める事になります。

確かに新しい試みをしようとする時は開発費ばかりかかって、儲けは後からついてくるものかもしれません。
哲也のレビューが評判になる様子は、当時の流行の最先端を表わしているような気がします。
この頃の舞台は、海外から輸入した技術を元にして色々と新たな試みが成されていたようで、その黎明期の様子は見ていて楽しいものがあります。

上原謙さんの出演している映画


自立していて快活な娘、美代子(桑野通子)


舞台の照明係をしている美代子は、始めは生活の糧を得るための「お勤め」として、どこか割り切ってこの仕事をしていました。

ところが哲也の舞台にかける熱い情熱に触れる事で、この仕事の面白さにだんだん目覚めていきます。
哲也のふだんの仕事の鬼のような面とは違った素顔を見る機会があったり、一緒に舞台を作り上げていく過程で、だんだん哲也に想いを寄せるようになります。
二人の距離は演出家と裏方という関係から、もっと親密な「同士」のようなものへと変化していきます。

美代子は、かつては裕福なお嬢さんだったらしいのですが、父親を亡くした事で生活が一変してしまったようです。
それでも挫ける事なく、自分の運命に適応していく底力と柔軟性がある事が分かってきます。

最初、哲也とは一方的に教えられるばかりの関係性でしたが、哲也がオーナー側と喧嘩して仕事を投げ出してしまった後は哲也を励まし、逆に社会で生きていく事の厳しさを諭してあげる存在へと変わっていきます。

桑野通子さんの出演している映画


足りない面を補い合う二人

哲也は、父の会社を不振へと追い込んだスパイのような男・山城(河村黎吉)が舞台の支配人になった事に反発して、演出の仕事を中途で放棄してしまいます。

その後しばらくして、劇場のオーナーが別の資本家の手に渡った事で、再び哲也は呼び戻される事になります。

ところが、この資本家の元にも例の山城が入り込んでおり、再び山城の元で働かされる事が分かった哲也は、またもや仕事を断ってしまいます。
どうも こういう所はやはりお坊ちゃん気質というか、こう一本木では仕事になりません。

それを見た美代子は、哲也のそういう世辺りが下手な面を注意します。
その説得の仕方が良くて「相手が資本で対抗してくるなら、こっちはあくまでも芸術家として良いものを作る事で勝負すれば良い」というような事を言って説得するのです。

こういう風に言われれば、哲也の価値観を曲げる事なく今までどうりの気持ちで戦えそうです。
哲也は、父の事業の失敗で何もかも失う事になりますが、知己を得るを得る事で次世代を逞しく担っていけそうな予感で映画は終了します。

島津保次郎さんの監督映画


1936年公開

宝塚の歴史については分かりませんが、1936年時点でもう現在の宝塚スタイルといったものが確立されていた事にはちょっと驚きました。

今ほどお化粧が濃かったり、光り物が炸裂してはいませんが、階段を使った舞台装置や演出、生演奏といった形は、この頃にもう出来上がっていたんですね。

ダンスはタップダンスや民族舞踊など多様ですが、踊り子はすべて女性です。

映画の中では、これらの舞台をまとめて「レビュー」と呼んでいるようですが、男性の世界である歌舞伎と対抗するものとして女性のレビューというジャンルが出来て、宝塚に集約されていったという歴史なのでしょうか?

その黎明期のような頃の様子は、今から見るとかなり不思議で、なかなか面白いものがありました。

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